あの時のままに

ひとしずくの鯨

第1話 あの時のままに

 R15相当の性描写があります。15才未満の方及び好まれない方はご遠慮願います。




 妻はヒザの上にその大きなお尻を乗せた。その身につけるコットンのショートパンツがはちきれるほどにパツパツであった。ソファーが、その重みの分、更に沈み込んだ。そうしてテレビを見ている目線をふさぐ形で、その横顔をさらす。


 妻は横座りしたので、一見、自然ではある。童顔であり、40間近の今でも、そう変わらない。初めて出会った高校1年の時、一目惚ひとめぼれした少女のおもむきをいまだ強く残しておった。


 そうして横を向いたまま、目のはしでこちらを見る。小悪魔めいた笑顔を浮かべて。魅了されたあの時のままに。


 それから妻は上体をひねってこちらを向き、首に手をまわし、しなだれかかるように体を密着させる。


 そのふくよかな双丘が柔らかくつぶれるのが、2枚のTシャツ越しに伝わって来る。そうして顔の横に自らの顔を持って来ると、耳元でこうささやいた。


「ねえ。裕子。どうだった?」


 想わず体を硬くした。


 妻は再び目の前にその横顔をさらす。その唇が開く。初めてキスした唇であった。妻は初めてではなかったようだが。


「どう? わたしは太ってしまったけど、裕子はあの時のままでしょう? 首なんて少し力を入れただけで、折れそうなほど細い。あのきれいなうなじを見る度に、うらやましいと想ったものよ」


 己のノドがゴクリとツバを飲み込むのが分かった。


「良かったの? 裕子は良かったと言ってたわよ。あなたもバカね。あなたに惚れているわけじゃないの。私に恥をかかせたいだけのために、あなたを誘うのよ。そして決まってこう言うの。『あなたに愛されたって』 でも、しゃくに障ると想わない? 抱かれたとは言わないのよ」


 再び、己の耳元に口を寄せる。


「ねえ」


 妻の息吹は生きておる者ゆえの湿り気を帯びておったが、声は何かに生気を奪われた如くに、半ば枯れておった。


「どんな風だったか? 私に教えてくれない? 服装は?」


「白のワンピース」


「あら。処女を気取ってかしら? そこら辺は裕子も女ね。何度抱かれた相手でも、そう扱われたいのよ。大事にね。バカなあなたもそれくらいは分かるでしょう?」


 そこで、初めて真正面から見つめて来る。


「でも、これは言い過ぎだわ。アレは裕子のお気に入りだった。いつもアレ。私と最後に会ったときも。

 それで、どこに行ったの?」


 たたえる笑みは、こちらの恋心を見透かしたようであり、やはりあの時のままと想えるが。


「Y温泉のホテル」


「ふっ。あなたたちのやりそうなことね。わたしと行ったところに行くなんて。あなたはそこでわたしに指1本触れなかったのに」


「それで、いつ頃、着いたの?」


「日が暮れかけておった」


「夕方? なら、休みの日ね。友だちとゴルフ旅行に行くと言ってたあの日ね」


「ああ」


「もしかして、着いて、すぐ抱いたの?」


 一層くぐもった声で同じ答えを返す。


「そうね。あなたはすぐにしたがるから。でも裕子は温泉に入りたがったんじゃないの?」


「ああ」


「そうよね。汗をかけば、女だってにおうわ。それに下着も替えたいのよ。ほら、あの部分も濡れるし。でも、バカなあなたはそんな裕子の気も知らずに、我慢できなかったのね。仕方ないわ。裕子は痩せているけど、男をそそる体をしているから」


 妻の目は、しばし遠くを見るようなまなざしの中にその焦点を失う。


「どうだった? 裕子。濡れていた? 」


「ああ」


「でも、なぜかしらね。もったいないと想わない? あんなに綺麗なのに、わたしに恥をかかせるためだけに、結婚もしないなんて」


 やはり同じ答えを返さざるを得ず、そうすると、ようやく焦点が合った。


「裕子も裕子ね。まるで、あなたとの逢瀬を心待ちにしてたみたい。ついつい濡れてしまい、そしてあなたにそれを知られてしまうなんて。何やってるのかしら? そして愛撫もそこそこに、抱いたのね」


「ああ」


「あなたはいつもそう。もしかして裕子もよがってた?」


「ああ」


「なによ。誇らしげに。そうじゃないのよ。久しぶりなだけ。そうでしょう?」


「その通りだ」


「高校時代、あなたは、わたしという存在がありながら、親友の裕子と浮気してた。わたしがやらせないからと言っていたけど、でも、あなたはどうして裕子に乗り換えなかったの?あの子の方がきれいなのに」


 不思議げに見つめられる。ただ、その一瞬で全てを読み取った如く、すぐに笑みが再び顔に広がる。


「ああ。これは聞いちゃいけないことよね。裕子がそれを望まなかったからよね。だって、裕子はあなたを好きなわけじゃなかった。私に屈辱を与えたいだけ」


「ねえ。裕子の肌はあの時のままに張りを保ってたでしょう。あすこも昔のままに良かったのよね。だからすぐに行っちゃった」


「ああ」


「でも、それは言い過ぎじゃない。どんな女だって、容色は衰えるもの。程度の差はあれね。高校生のままの体だなんて、あり得ないわ」


 そう言って、同意を求めて、にらみつけて来る。その意思をみなぎらせた瞳は、あの時のままに魅惑的であった。


「いや。藤本さんは特別だから」


「ハハ。藤本さんか? あの時のままね。あなたたちは、こんなに逢瀬を重ねても、さん付けなの? それとも、私の前だけなの? もう、バレているんだから、今更なのに。それから、どうしたの」


「それから、温泉の家族風呂に入って、ゆっくり互いの体を洗った」


 そして、己はことこまかく妻の求めに応じて答え続けた。その際、藤本がずい分とはずかしがったこと、そしてもう一度抱いたこと。そのときは、時間をかけて愛撫してから、ことに及んだことなどを。


「裕子を想い出してるの? わたしのお尻の下で硬くなってる気がするんだけど?」


 と言って、己の膝丈の短パンのチャックを下ろすと、かなり乱暴にアレをまさぐり出した。

 

 彼女の大きな双丘に手を伸ばそうとすると、


「ダメよ。裕子を抱いたけがらわしい手で触らないで」


 そのきつい声は、リビングに響くほど、大きかった。やがて落ち着いたのか、妻は言葉を継いだ。


「これも高校生の時のままね。私はこうやって、あなたにしてあげていたけど、それで十分じゃなかったのね。だから裕子と浮気した」


 無理矢理しごくが、まともに立たず、ついにあきらめたのか、妻は、いつしか別々となった寝室に向かった。忌まわしきものを見た気がして、急ぎその方から目をそらす。




 藤本裕子。

 妻の親友で同級生。県内の同じ高校に通い、ゆえに己にとっても同級生であった。


 確かに綺麗な女性であり、整っているという点では、学年で1、2位であったかもしれぬ。それに比べれば、妻の顔は多少崩れておったが、それでも己が惚れたのは妻の方であったのだが。そして藤本裕子が己を好きでないというのも、本人に確かめたことはないが、恐らく事実である。


 その言葉通り、妻は最後の一線を越えることを許さず、いつも手でしてくれた。口でということも無かったが、これはついぞ変わらなかった。ただ、往時、体を触ることは許してくれておった。


 そして妻の言っておることと異なり、高校時代から今に至るまで、一度も藤本裕子と浮気したことは無い。それどころか、高校を卒業した後は顔を見かけてさえいない。無論、妻の方は会っていたようだが。


 更に言えば、藤本は20代後半に行方不明になっておった。未婚であった。


 事件に巻き込まれたとの噂もあったが、決定的な証拠はなく、ただの失踪人扱いとなれば、警察はまともに捜さないということを、その時、初めて知った。失踪した日の服装は、白のワンピースだったという。


 妻はその後ずいぶんと落ち込んでおった。いつ頃からであろうか?妻がその妄想に支配され始めたのは。最初の兆候は、体を求めても応じなくなったことだった。


 といって、無理矢理、抱くことはさすがにできようはずもない。時が解決してくれる。そう想っておったが。


 ただ、あるとき、こう告げられた。そのイタズラっぽい笑顔も、キラキラとする瞳もあの時のままに、


「私しか知らないことがあるのよ」と。そして「あなたの奥さんが刑務所に入ったりしたら、困るでしょう」と。

 

 いうまでもなくそれもまた妻の妄想のはずである。


 不思議なことは、妻が妄想を抱いたのは、藤本がいなくなる前だったという気がすることだ。


 そんなことのあろうはずはないのだが、妻の妄想に付き合っておるうちに、己の記憶もぐちゃぐちゃとなってしまったのだろう。


 そして、こんなになってしまった妻だが、その気持ちだけは、今でも推し量り得る。


 あの時のままに――結婚してからも、しばらくは、というより、結局2人の間に子供ができなかったこともあってか、ずっとそれが合い言葉の如くとなっておった。


 それを言い合うことは互いの幸福感を確かめ合う行いでもあり、また互いの気持ちが同じであることをその一言で代弁できもした。


 妻が己のために用意してくれる部屋着は未だにペアルックであった。ならば、妻のその気持ちは、今でも変わらないはずだから。


 ゆえに、もちろん、警察に届けてもいなしし、相談もしていない。己にできるのは、妻の願いに応え続けることであった。




 ただ、最近ずっと妻のかたわらに白いワンピースの女がおって、片時も離れず、先ほどもそうであった。


 その見開かれた目で、妻の一挙手一投足を見ておるのだった。


 その白き首には細いヒモの跡らしきものが、くっきりと付いておった。


 そしてその顔は死に際を写したのだろうか? みにくく引き歪んでおり、それが藤本なのか否か――少なくとも己の記憶の中にあるそれとは隔たりが大きく、判然としなかった。




 きっと全ては気のせいなのだろう。


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あの時のままに ひとしずくの鯨 @hitoshizukunokon

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