憎しみと愛情と

 


 監視の目を掻い潜り、先日リシェルの前に姿を現した際、連れ戻そうと彼女を捕まえた時念の為に追跡魔法をこっそりと掛けておいて正解だった。街を移動していると知らなければ、いなくなった後をずっと探す羽目になっていた。

 漸くリシェルの前に姿を見せられても、底に千里眼を入れた水で盗み見て知ったリシェルの側にいる男に邪魔をされた。更に運悪く、早々にリゼルにも見つかり強制送還されてしまう。

 ノアールが飛ばされたのは自身の部屋。開いていた扉へ吸い込まれ、部屋に入れられると扉が閉まった。前に警備兵はいなかった。兵を撒いて人間界に行ったから、彼等はいなくなったノアールを未だ探し続けている。

 落ち着いて感じた違和感。室内が妙に甘ったるい香りに包まれている。嗅いでいると気分が高揚し、頭がぼんやりとしてくる。すぐにハッとなり、換気をしようと窓に近付くも開かない。鍵は掛かっていないのに開かない。苛立たし気に窓を蹴っても罅一つ入らない。


 更に、小さなビアンカの声がした。ノアールが振り向いた先は寝室。薄い肌着だけを身に纏ったビアンカの瞳は潤み、頬も赤い。ノアールを見るなりうっとりと顔をした。



「でんかあ……」

「ビアンカ……」



 昼間、親しい令嬢達とリシェルを陥れる話をしているのをリゼルに知られ、結界に閉じ込められ媚薬入りのケーキで全身が汚れたビアンカ達と一緒に王太子専用の風呂場に飛ばされた。媚薬で性欲が増している彼女達が助けを求めるも、経験のないノアールはどうするのが適切な処置となるのか分からず。火照る身体を冷まさせるのが先だと冷水に浸らせた。彼女達は泣いて嫌がったがノアールはすぐに侍女を呼びつけ、世話をさせた。媚薬は魔王城に常駐している医師に効果を消させ、それぞれ厳重注意をして家に帰した。


 媚薬の効果は既に切れているビアンカが寝室に、それも情欲を刺激する恰好で再び媚薬を身体に入れられている。


 誰の仕業か考えなくても分かる。

 リセル=ベルンシュタインだけ。



「くそ……っ!」



 最初に出会った時からリゼルが気に食わない。

 圧倒的魔力を持つのに、個人的理由であっさりと父に魔王の座を押し付け、愛する妻と娘との時間を選んだ。結局、父の泣き付きによって補佐官として仕事を手伝っているが……。


 時に父を蹴り飛ばして大量の書類を僅かな時間で処理をさせ、時に父へ暴言を紡いで罪人の死刑執行書のサインを大量に書かせ、時に仕事をサボって寝ている父を見つけ首輪を付けて執務室へ強制連行した。椅子に縛り付けると徹夜で各地に住む貴族からの嘆願書や必要書類の確認をさせたりと。兎に角、魔王を魔王とも思わない鬼畜振りを毎回発揮していた。


 一部の部下達は、魔王と鬼畜補佐官、下僕と女王様と囁ている。

 前者は分かるとして後者は意味が分からない。リゼルは男なのに女王? と。


 父は、誰が婚約者であってもリゼルは気に食わなかったと何度も言うがそんなことはどうでもいい。

 リシェルはノアールが好きだと何度も言っていたのに、最後には選んでもらえなかった。


 父とリシェルがしていた会話を偶然聞いた後、自分の聞き間違いだったのだと思いたくて、その翌日ノアールはリシェルに訊ねた。



『リ、リシェル……リシェルの最愛は僕……だよね?』

『違うよ。ノアは二番目よ。リシェルの最愛はパパよ』


『でもね、ノアは――』



 あの後、リシェルは顔を赤らめはにかんだ様子でノアールに何かを言っていたがノアールには届いていなかった。

 妃教育を受けるべく毎日リゼルと登城して、終わるとノアールの所に来て、一日何を学んだかどんな食事をしたかという誰も聞いていないのにリシェルはどんどん話を進めていった。その頃のノアールはリシェルの話をちゃんと聞いていた、気になる内容なら自分からも話にいった。

 会話の中でリシェルは何度も言うのだ。



『リシェルはノアが好き!』と。


 だがそれは一番じゃなく、二番目。

 リシェルが好きだったノアールの衝撃は計り知れない。ずっと、自分が一番だと信じていたから。

 リシェルも自分と同じ気持ちと信じていたから……。



「でんかぁ……助けてください」

「……」



 リシェルの裏切りはノアールを一気に絶望と不幸のどん底へ叩き落とした。

 その時生まれたリシェルへの憎しみが今尚ノアールの心の大部分を占める。


「殿下……」



 ゆっくり、ゆっくり近付いて来たビアンカを抱き締めた。煽情的な姿のビアンカは視界にいるだけで目に毒。


 ビアンカの細い腕が背中に回った。


 キスをしている時も、一緒にいた時も、デートをした時も。


 隣にいるのがリシェルだったら、目を閉じてキスを待っているのがリシェルだったらと何度も想像した。実際にいるのがビアンカだと思い出した時――毎回空虚な思いが胸を抉った。


 部屋に充満するのは媚薬と同等のお香だろう。


 リゼルは既成事実を作ってノアールとリシェルの完全なる絶縁を望んでいる。

 そうなるか、と理性を総動員し、ビアンカを気絶させてベッドへ運んだ。魔法で眠らせようにも、室内には魔法の使用を制限する結界まで貼られていた。さすがリゼルと言っていい。問題はどうやって部屋を出るか、である。窓も駄目、外への扉も駄目。



「うぅ……」



 お香を嗅ぎ過ぎて身体の奥底が熱い。今のビアンカの姿は刺激十分。寝室の扉を閉めて部屋からの脱出を模索した。ら、外へ続く扉の鍵が開けられた。勢いよく扉が開けられた。絶好の機会だと、ノアールは誰が入って来たか碌に確認もせず外へ走り出した。



「殿下!?」



 アメティスタ家当主の声がしたような気がするが構っていられなかった。

 医務室に駆け込んだノアールは帰る準備をしていた医師を捕まえ、媚薬効果を消す薬の処方を頼んだのだった。



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