第19話 距離感の違い
一時限が始まるとき新編入生が紹介された。
シンシア・ハックマン男爵令嬢だった。シンシア嬢はクラスみんながざわめくほど、美しい少女だった。
この時期の編入については「最近、男爵家に親子で引き取られたから」と説明していた。
そんなシンシア嬢がコンラッドを見つけると、コンラッドの元まで走ってきた。
「今朝は本当にごめんなさい。私ったらボォッーとしていて。お怪我はありませんでしたか?」
シンシア嬢はコンラッドの腕を掴んで……というより、絡ませて騒いでいた。僕はコンラッドに絡みつく彼女のその腕を掴んだ。
と、その時、いつかのような目眩がした。
コンラッドはあまり良くない状況だと判断しているものの拒否することもできずただ苦笑いをしている。
僕は目眩を我慢してシンシア嬢に苦言を呈した。
「コンラッドの腕を離してくれないかな? ここは貴族の集まりなんだよ。婚約者でもない男女間の過剰なスキンシップは好ましくないものなんだ。
君も男爵家の人なのでしょう? いくら先日まで平民であっても、ここは貴族の学園だからね。貴族のマナーを勉強した方がいいよ」
僕ももちろんコンラッドから彼女の腕を離すとすぐに彼女の腕を離した。
「ご、ごめんなさい。私……本当に申し訳なくて」
シンシア嬢の上目遣いの猫なで声を聞いて、僕は気分が悪くなり、目を細めて嫌悪感を顔に出してしまっていた。
「バージル。勘弁してやれ。
シンシア嬢。私は大丈夫だ。気にしなくていい。
それより、早く授業に移ろう」
コンラッドの一言で授業が開始された。
〰️ 〰️ 〰️
昼休み。いつもの男四人にマーシャとクララも加わって、学生食堂のテラス席に集まった。僕たちはすでに愛称または敬称なしでお互いを呼び合っている。
「バージル。ありがとうございました。わたくし、あまりにびっくりしてしまって。彼女に何も言えませんでしたの」
マーシャが僕に頭を下げた。マーシャの言葉にクララが頷いている。
「僕はコンラッドのとなりの席だからね。気にしなくていいよ」
お礼を言われるほどではないので僕は笑顔で答えた。
「それにしても本当に驚きだよな。でも、男爵家はかなり平民に近い場合もあるというし、本人も先日まで平民だったと言っていたな。平民ならあれくらいは普通なのかもしれない」
ウォルが顎に手をあてて考えながら言う。ウォルはいろいろなことに詳しい。平民のことは僕はほとんど知らない。
「えっ! 俺には信じられないけどなぁ。ダンスでもないのにすごい近かったぞ」
セオドアは婚約者が年下ということもあり、かなり真面目だし硬派だ。『あれくらいは普通』ということが理解できないのだろう。かくいう僕も理解できず、セオドアと顔を合わせて二人で首を振った。
「そうか? 先日、マーシャと市井に行ったが、マーシャはあのように腕を組んでくれたぞ」
コンラッドはチーズを口に運びながらなんでもない風であった。コンラッドの意外な告白に、男三人は目を見開き、クララは口に手を当てて目をパチクリと何度も瞬かせていた。
「「「本当に?」」」
男三人が身を乗り出してマーシャに再度聞き返す。
「だ、だって……。コンラッドがそうしてほしいっておっしゃるから……」
マーシャは真っ赤になって僕たちから視線を反らすために下を向いた。そして、コンラッドの袖を引いて助けを求めていた。
「うん! すごく嬉しかったよ。また、市井に行こうなっ!
お前たちは市井には行かないのか?」
この快活さがいやらしさを消すのか? コンラッドが言うと断れないマーシャの気持ちはわかる気がする。
「お忍びは時々するけどさ。ティナとそこまでしたことはないよ」
そうなのだ。お忍びをしても時々手を繋ぐぐらいだ。それでもドキドキするのだ。あんなに密着したら……。
「二人は俺たちと違って十五歳になってからの婚約だからな。大人の婚約に近いのかもしれないな」
なるほど、セオドアの意見には一理ありそうだ。
クララは話を聞きながら、青くなったり赤くなったりしている。
席を立つときに、僕とクララは数歩みんなから離れた。
「ねぇ、クララ。今度お忍びに行ったら、そのぉ、僕と腕を組んでくれる?」
クララは真っ赤になって小さく頷いた。僕は次がとても楽しみになった。
〰️ 〰️ 〰️
この学園では四月に園遊会が行われ、各クラスの庭園が披露される。披露されるのは四月であるが、その評価は四月までの八ヶ月間の各クラスの担当区画の様子が対象となる。
各クラスで係を決めて、係の者が庭師とともに区画内の花壇を作る。毎年、始業日初日に係決めをやるので、係になれば午後からはその作業になる。
係を六人ほど決めるのだが、僕とクララはクララのお母上様の関係で庭作りは好きだったので係に立候補した。
そして、係は立候補制にも関わらず、なぜか僕、クララ、コンラッド、ウォル、セオドア、シンシア嬢であった。
僕は思わず三人に聞いた。
「えー! 三人って庭いじりに興味あった?」
「わからないうちに手を上げていたんだよなぁ」
「私も気がついたら係になっていたんだ。その時の記憶は……覚えていない……」
コンラッドとウォルは自分の行動に『?』をつけている。
「俺はコンラッドが手をあげたから。護衛だから、さっ」
そういうメンバーが係になったので、花壇の案については僕とクララ以外に意見などほぼ出ない。クララの提案で、一年中楽しめる花壇にすることにした。まずは秋から冬に楽しめる花を選んだ。
しかし、シンシア嬢がどうしてもバラを植えたいという。
「新しい苗は夏前に植えなければいけませんし、こちらで主に使われる古株は十二月にならないと植えられませんわ」
クララは薔薇について丁寧に説明した。
「新苗を植えても、私なら大丈夫です! 絶対に枯らしません!」
自信満々のシンシア嬢に対して、彼女の編入初日にこれ以上言うほど僕たちも図々しくはなかった。
ある程度決まったので、庭師に手伝ってもらいながら植えていく。クララの知識は庭師も感心していたが、バラの新苗については最後まで反対された。それでもシンシア嬢が譲らないので庭師に諦めてもらった。
こうして、なんとか形になった。僕とクララは楽しくて結構夢中になってしまった。幼き日々を思い出して楽しんだ。クララとはクララのお母上様の話もした。寂しくないわけてはないだろうが、思い出に昇華できているようだ。
僕が『よいしょ』と立ち上がったときにそれは起こった。
「このバラは私の心なの。春が楽しみだわ!」
シンシア嬢のその呟きというには声の大きすぎる独り言が響くと、僕は脳を叩かれたようになった。十三歳の時に経験したあの目眩だ。
僕はその場に膝をつき、最後は耐えられずに意識を失った。
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気がついたら保健室でクララが心配そうに僕の手を握りしめていてくれた。クララはまるで願うかのように、僕の手に自分の手を重ねそれを額に当てていた。
「いつかの逆だね」
僕は優しく声をかけた。クララの顔があがる。頬には涙の跡があった。
「ごめんね。心配かけて」
クララが左右に首を振る。
「心配する方って大変なのね。あの時のジルの気持ちが少しわかったわ。ジルが目覚めてくれるまで……怖くて怖くて……」
また涙の伝う頬を僕は空いている手で拭いた。クララもきっと、十三歳のときのあの事件のことを思い出している。確かにあの時、僕はクララのことが心配で随分と無茶をした。
「久しぶりの学園だから、昨夜は少し寝れなかったんだ。こんな失敗になるなんて本当にごめんね」
夏休みが二ヶ月ほどあるこの学園。今日はその夏休み明けの始業日だ。
もちろん、寝れなかったというのは嘘なのだが、僕にもわからない頭痛の原因でないかと思うことを伝えるわけにはいかない。
倒れたと言っても一刻ほどであった。保健室の先生によると、呼吸も乱れていなかったので寝不足だろうと診断されたようだ。
クララは納得してくれたようだ。心配しているだろう四人に伝えてくると言って保健室を出ていった。
保健室の先生に断って僕もすぐに教室に戻った。下校時刻の前に目が覚めてよかった。今日から新入生の妹ティナを一年生の教室に迎えに行き帰宅することになった。
家族には学園から早馬が来ていたらしく、母上には心配されて、ティナには『同じ学園にいるのに、なぜ自分に連絡くれなかったの!』と怒られた。母上の手配で早々にベッドに入れられ、枕元にはホットミルクが届いた。
母上にこれ以上心配をかけたくないと寝たフリをしていれば、本当に母上が枕元にいらして僕の額に手を当てた。『ほぉ』と小さなため息をついて部屋を出ていった。
母上を安心させることはできただろうか? 母上のひんやりとした手はとても気持ちがよく、僕は知らずに口角をあげたまま本当の眠りについた。
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