第15話 元候爵令嬢の旅
三日目の朝、外に出されて連れて行かれたのは馬車の乗降場だった。中にはお母様が乗っていた。
「お母様っ!」
お母様に抱きつこうとしたら隣の近衛兵に掴まれて、お母様の向かいに座らされた。お母様の隣にも近衛兵がいた。隣の人に触られたから、四人で馬車に乗っていることが頭に浮かんだ。
「座っていろ。しゃべることは許されない。いいな」
馬車は動き出した。時々誰とはなしに聞いてみるが近衛兵に睨まれるだけで誰も答えてくれない。今までで一番のすごくつまらない旅。
お城へ行く時より更に汚い宿に泊まった。宿もお母様とは別々の小さなお部屋だし、着替えもさせてもらえなかった。
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三日後、着いたのは叔父様のお家だった。
「一刻だけ待つ。支度をしてこい」
お母様が私の手を引いて急いで別宅へ入る。メイドが一人もいなかった。
「トランクにお金になりそうな物を入れなさい。ワンピースはもう積んであるからいらないわ。指輪やネックレスは絶対に忘れないで。下着は多めに入れていいわ。始めなさい」
とても怖いお母様の顔。急いでいるのだから仕方がない。
私は部屋に入り、まずは着替えた。下着もワンピースも六日も着ていたなんて初めてのことだった。
それから、この一ヶ月にここで使っていたものをトランクに入れた。近衛兵が迎えに来たのはあっという間だった。
「来い」
近衛兵とかいう人はトランクも持ってくれない。男のくせに信じられない!
さっき、馬車で到着した場所に汚い馬車が一台止まっていた。
「ここからは、コイツラがお前たちを国境を越えた町まで連れていく。国境門にはすでに連絡が行っているし、コイツラからも連絡が来ることになっている。逃げられないからな」
近衛兵がお母様を睨んだ。睨まれたのは私じゃないのに私はお母様の影に隠れた。殴られるかと思うくらい怖かった。
「わかってるわよっ!」
お母様が近衛兵に怒鳴った。
私達はその汚い馬車に乗らされた。
馬車が動き出して間もなく、お母様が馭者に合図を送る。馬車が止まってドアあきお母様が降りる。お母様はその馭者たちに何やら指示して戻ってきた。
「蓄えておいてよかったわね。こんな国、いられなくなったって平気よ」
お母様が呟く。悪巧みの魔女の顔だった。
次に止まったのは、一月前に来たお店だ。
「あなたはここで待っていなさい」
お母様はそう言うと、大きめのバッグを持ってお店へ入る。すぐに戻ってきたがまた何やら馭者に指示した。その度にお金を渡している。
次に止まったのは小さな商店だった。
「あなたもいらっしゃい」
お母様はさっきの大きなバッグを持ったまま馬車を降りる。二人でお店に入った。
お母様の顔はさっきと明らかに違う。ニコニコしていて心から喜んでいることがわかった。
「エイダ! いったいどうしたんだ?」
店に入ると、とてもハンサムな男性が私たちが来たことに驚いたけど嬉しいという顔で、お母様をいきなり抱きしめた。
この人の顔……どこかで見たことがあった。どこだったのかは思い出せない。
「バリー。私達、オルグレンの町に行くことになったの。その町で誰か頼れる人はいないかしら?」
お母様は、泣きそうな……そう誰もが助けてあげたくなるような顔をしていた。
「ああ、それならブラッドの店に行くといい。私から早馬を出しておこう。町でブラッドの店といえば、誰でも知っているさ」
何かをサラサラとメモをしてお母様に渡す。
「しばらくはオルグレンにいるから、絶対に会いに来てね」
「わかったよ」
「ダリアナ。あなたのお父様よ」
「おお、ダリアナ。大きくなったな。ハハ、私にとても似ているじゃないか」
私はびっくりしすぎて何も言えなかった。でも、確かに私に似ていた。
お母様も私も美しいと言われて、二人でいれば似ていると言われる。
だが、この男の人とお母様を比べると、私はその男の人に似ていた。
見たことあると思ったのは……鏡の中でだった……。
「おいっ! 急げっ!」
馭者が怒鳴り私たちを呼びにきた。放心状態だった私は何もわからないまま馬車に押し込まれた。私はさっきの男の人に触れる暇もなかった。
馬車の中でお母様がさっきの男の人について話しているけど、あまり頭に入ってこなかった。でも、あの男の人の話をするお母様は、今まで見たこともないくらい可愛らしくてびっくりした。
「おい、降りなっ!」
馭者の一人が扉を開ける。お母様は、馬車を降りると怒鳴り出した。
「こんなとこ、泊まれるわけないでしょっ! ここにはあなたたちが泊まりなさい。私達をちゃんとした宿に連れて行って!」
さっきの顔と正反対だ。私はお母様が怖くて馬車を降りられない。
「ここに泊まるだけの銭しかもらってねぇよ」
眉間に皺を寄せて一人の馭者が睨んでいた。もう一人は道にツバを吐いていた。
「お金は私が払うわ。あなたたち、どうせ馬車で寝るつもりだったのでしょう? それよりはここの方がマシというものよ」
お母様は二人をあざ笑うように見ていたが、それでも二人は納得したようで、再び馬車に乗りこんだ。先程よりずっといい宿へ泊まることになった。ワンピースや下着の入ったトランクを持って降りる。お母様は大きなバッグを手放さない。
六日振りに湯浴みができた。髪はキシキシとしていた。フカフカのベッドへ飛び込むと、夕食も食べずに眠った。
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久しぶりに気持ちのいい朝!
しかし、それはすぐに終わった。朝食が終わる頃、馭者たちが来た。
「急げよ。時間がねぇ」
私達は慌てて支度をした。また汚い馬車に乗る。
「役人が雇った馬車だから、こればっかりは変えられないわね。国境でバレちゃうもの」
お母様は渋顔だった。でも、気を取り直したようですぐに笑顔で話をしてくれた。
「ダリアナの力のことを考えたのよ。直に触ると詳しくわかるっていうのは、確かだと思うのね」
お母様は真面目に話を進めていく。私は頷く。……しかできない。だって、難しいことはわからないもの。
「まさか、ダリアナが見た運命を拒否する人がいるなんて、思わなかったわね。拒否できるのは私達だけじゃないなんて、ちょっと不便ね」
「きょひ?」
ほらね、すぐにわからないお話になる。
「つまり、嫌がるってこと。ボブ様がダリアナが見た運命を嫌がったから、こうなってしまったのよ」
「そうかもしれないわ」
すごくよくわかった。ボブ様が公爵になりたいって思ってくれれば、すべてが上手くいったのだ。ボブ様を騙していたクラリッサが憎くてたまらない。今度はもっとちゃんと教えてあげなくちゃ!
「ダリアナ、そんな顔をしないで。美しいことが私達には大事なことなのよ」
お母様に叱られるくらいひどい顔をしていたらしい。
「結婚のように長い期間のことをダリアナの力に頼るのは止めておきましょう。伯爵様も短い間だったけど、優しくしてくれていたのは間違いないのだから」
「うん」
「お別れのお金もたくさんくれたしね」
「え? お別れしたの?」
私は少しだけ叔父様の家にいるものだと思っていた。伯爵様のご領地へ向かっていると思っていたのだ。
「そうよ。私達はわけのわからない罪で、この国にいられなくなったのよ。だから、オルグレンの町に行くの。バリーの知り合いがいる町でよかったわ」
オルグレンという町。あの男の人に説明していたのは、伯爵様のご領地ではないのか。私は肩を落としてしまった。
「そこは、どれくらい遠いの?」
「あと、三日くらいで国境を越えられると思うわ」
「こっきょう?」
「この国の外に行くってことよ」
私はもう私の王子様に会えなくなるのだと初めてわかった。椅子に倒れ込んでしばらくそのまま寝てしまった。
その日もキレイな宿に泊まった。夕食もちゃんと食べた。久しぶりに美味しい夕食だった。湯浴みをしてフカフカのベッドで眠った。
そして、次の日もキレイな宿だった。
お母様が毎日新しい生活でしたいことの話をするので、私ももうボブ様のことはどうでもよくなっていた。
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四日目、国境の門には昼過ぎに着いた。衛兵に馬車を降ろされて、門の奥にある部屋に連れて行かれた。
「腕を出せ!」
私は、飛び跳ねるほどびっくりした。だけど、お母様は袖を肩までまくり上げる。そういえば今朝、お母様にこのワンピースを着ろ言われたものを着たのだった。それは、袖を肩までまくりあげられるワンピースだった。
お母様の腕を一人の衛兵が抑える。もう一人の衛兵が火鉢から棒を取り出す。先は赤々として親指ほどの太さがある。それを、お母様の腕に押し付けた。
『ジュッ』
嫌な音がして、獣が焼けるようなにおいがした。お母様の顔が歪む。
「いやぁーー!!」
私は扉に向かって逃げ出した。でも、すぐに捕まった。私は暴れた。衛兵が私を抑える。さっきお母様にしたことを私にすることが、何度も頭に浮かんでくる。
『バチン!』
頬に痛みが走った。
「ダリアナ! 私達は生きるのよっ!」
私を叩いたのはお母様だった。初めてお母様に叩かれたショックで座りこんでいると、お母様が私の袖をまくりあげた。
そして、ものすごい痛みがうでを襲った。
「きゃーーー!!! 痛い、痛い、痛い!」
衛兵に変な薬を無理やり飲まされた。
「痛み止めの薬だ。本当はこんなことしたらダメなんだけどな。罪人とはいえ嬢ちゃんはまだ小さい。すぐに眠るだろう」
衛兵に担ぎあげられて、馬車に乗せられる頃には私は寝ていた。
腕の痛みで目が覚めた。宿だろう。ベッドの上だった。腕には包帯がされていた。
「目が覚めたの? これを飲みなさい。眠るほどじゃないけど少しは痛みが減るわ」
私は水と一緒に渡された薬を飲んだ。
「あいつらは何も言わなければこれを手の甲にでもやるのよ。こんなのが手の甲にあったら、外にいけないでしょう。だからこちらから肩を差し出したの」
薄暗くてお母様の顔はわからない。声は普通だった。
「これは何?」
泣きながら聞く。
「あの国に入れないって印よ。一生消えないわ。あんな国、一生行かないけどね。フンッ!」
お母様は侯爵夫人だったときとは全く違う人になっていた。でもなぜか、今の方が生き生きしているように見える。
夕食は部屋でとり、痛みに耐えながらベッドに入った。
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朝食をとり、ここ数日の通り馬車に乗る。腕はまだ痛い。
「今日の夕方にはオルグレンへ着くわ。ブラッドさんに会いに行くのは明日にしましょう」
お母様がウキウキしていることがわかる。
「お父様が亡くなってから変なことになってしまったね」
私は窓から外を見て呟いた。街道が森に挟まれるようになった。
「そうね。私たちが元侯爵家の者だなんて誰も信じないでしょうね。ふふふ」
お母様が小さな女の子みたいに笑っていた。本当に楽しそうに。
「面白い?」
「そりゃそうよ。私たちは自由なのよ」
お母様は両手を広げて大きな声で『自由』という言葉を使った。
「自由かぁ」
お母様と笑いあった。
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お昼過ぎた頃、急に道が悪くなったようで、馬車がガタガタと揺れだした。しばらくして馬車が止まる。
馭者が扉を開けた。
「車輪がイカれた。取り替えるから、降りてくれ」
そう言われて、馬車を降りた。数歩歩く。そこは鬱蒼とした森の中だった。
誰かに腕を掴まれた。
私が首をナイフで切られ倒れることが頭に浮かぶ。
私がびっくりして振り向くと、ナイフが高くあげられていて私に向かって真っ直ぐ落ちてきた。
私は遠い旅に出た。
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