第10話 兄上のおでかけ
僕がマクナイト伯爵邸から戻ると、なんと家では、父上が仕事を休んでまで待っていてくれた。
玄関で待っていてくれた父上と母上。僕は恥ずかしながら、母上を前にして少し泣いてしまった。自分が考えていたよりも僕は緊張していたようだ。
昨日のことを父上に説明する。父上は母上からそれまでの話を聞いていたようだ。
「そうか。それは大変だったな。しかし、お前が婿入りする家だ。そして、お前が守るべき婚約者だ。よくやった」
「はい、父上。僕もクララを守れて良かったです」
「公爵家の名前を使うのも、乱用しなければ構わないよ。お前はきちんとわかっていそうだな」
「はい」
「だが、一人でクラリッサ嬢の部屋へ向かったのは愚策だな。少なくとも、護衛は連れて行くべきだった。はじめからクラリッサ嬢の部屋の警備が護衛であったなら、お前は監禁を確認できなかったかもしれん。そうなったら危ないのはクラリッサ嬢だ。わかるな?」
「はい。自分が非力であることを忘れていました。申し訳ありません」
「謝ることではないが、反省をして次に繋げるべきことだ。覚えておきなさい」
「はい」
父上に伯爵邸でのことを報告したが、ダリアナ嬢が兄上について変なことを言っていたことについては、まだ言わなかった。
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「バージルもいつの間にか男の顔をするようになったな」
「ふふふ、そうですわね。好きな女の子の前でそうできるなんて頼もしいわ。昔の貴方みたいですわね」
「私が十三歳のときは、もう少し子供だったよ。なにせ、君と出会ったのは学園なのだから」
「そうですわね。そう思うと、バージルの手が離れてしまうのは早すぎて寂しいですわ。アレクシスだって、いつも婚約者のキャサリンさんのことばかりですのよ」
「ハハハ、そういうな。兄上が息子たちに代を譲ったら、二人で領地でのんびりしよう。君が大好きな薔薇をたくさん育てよう」
「まあ! ステキ! 楽しみにしておりますわね。ふふふ」
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後日、クララの家も執事が戻り使用人たちも戻ってきて、平穏な日常となった。なんと、出ていった使用人のほとんどが推薦状を持たせてもらえず職につけなかった者が多かった。今回はそれが功を奏しクララの家はすぐに元に戻ったが、本来ならありえない話である。
伯爵様が使用人たちに働いてなかった時の分の給料も払い、それを子爵家に請求して賠償してもらったという話は、僕が大人になってから聞いた。これも、貴族の責任、貴族のシステムのようなものだそうだ。使用人は決して使い捨ての駒ではない。
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ダリアナ嬢の言葉と僕の夢……。それらを隠して、僕はアレクシス兄上に相談してみた。
「兄上、来週、お祖父様の所へ伺うのは中止にできませんか?」
「なんだ? 何かあったのか?」
兄上は目をキョトキョトさせて聞いてきた。
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
夢のこともダリアナ嬢のことも話したくないとなると、説明がとても難しい。僕のわがままだと思ってほしいくらいだ。
「うーん、理由もなくは無理だな。ブランドンも一緒だからな。ブランドンが行くのは内密なのだがな」
ブランドン第一王子殿下のことだ。兄上とブランドン第一王子殿下は同い年で、兄上は国王の側近という意味でも、父上を継ぐのだ。
お祖父様とは前国王陛下である。すでにお祖母様は亡くなっていて、離宮でお一人で暮らしている。長男同士のブランドン王子殿下とアレク兄上は、お祖父様に小さい頃から可愛がられていて、お祖父様が離宮へ行ってしまってからは、年に数回会いに行っている。僕やティナも時々はご一緒する。
今までは、兄上だけで行くことの方が多いのだと思っていたが、実はそうではないのかもしれない。
「では、護衛の数を増やすことはできますか?」
「ブランドンが行くことが内密であるのだ。あまり大袈裟にはできないよ。それに、王都からの街道は整備されているしさほど遠くでもない。心配はいらないよ」
兄上は大丈夫だとばかりに僕の肩を叩いた。
僕は一生懸命考えたけど、いい方法が思い浮かばない。どうにか兄上に僕の心境をわかってもらうしかない。
「兄上。もし、兄上が無事に戻ってきてくださったら、兄上がほしがっていたあの辞書を差し上げます」
「え! 本当に?」
兄上が目を見開いて反応した。その辞書は僕の宝物だけど、兄上の命には変えられない。
「はい。あれは、クララのお父上が手配してくれたものです。次はいつ手に入れるチャンスがあるか予想もつかないほどです。それを差し上げます!」
「なんか、普通、逆じゃないのか? まあ、いいや。お前の気持ちはわかったよ。護衛たちに人数を増やせるか聞いてみよう。
だが、私が帰ってきて取られるって泣いたりするなよ。ハハハ」
兄上は茶目っ気たっぷりに僕にウインクまでしてみせた。だが、僕にはそれをうまく返せる余裕がなかった。
「兄上が無事に戻ってきてくだされば、帰ってきてくれた嬉しさに本当に泣いてしまうかもしれませんね」
「大丈夫か、バージル? お前にそこまで心配されるのは初めてだぞ」
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翌週、兄上は護衛を増やしてお祖父様に会いに行かれた。二日目に早馬が来たときには、心臓が飛び跳ねた。父上が手紙を読む。
「お祖父様のところへ無事に到着したそうだ」
ただ、それだけの連絡だった。
僕は『ほぉ〜』とため息をつき、部屋に戻ってソファーに座り込んだ。なんとなく切り抜けた気がする。
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十日目、兄上が無事に戻ってきた。みんなと挨拶をして落ち着いたとき、兄上から声がかかった。
「バージル。ちょっと話があるんだ。僕の勉強室へ来てくれ」
兄上に付いていく。
この部屋は、将来兄上の書斎兼執務室になる部屋だ。机、本棚、ソファーだけで調度品などはないシンプルな部屋だ。
「兄上。これ、約束の辞書です。ご無事で何よりです」
「それは遠慮しておくよ。それより話をしたいんだ。座ってくれ」
兄上はいつになく真面目な顔だった。つい先程までの明るく茶目っ気のある兄上ではない。
僕たちはソファーに向かい合って座る。
「何か飲むか?」
「大丈夫です」
「うん。じゃあ、早速本題なんだけど。父上や陛下には早馬が行っているが、実は行き掛けに野盗に襲われたんだ」
まるで調査書を読むかのように言う兄上の言葉を、僕が理解するのに少し間があった。
「………え!! 早馬は無事に到着した連絡だ、と聞きました」
「父上が家族のみんなを心配させないための配慮だろう。
とにかく、それでな……。まあ、護衛が言うには、『元の人数だったら勝てていたかわからない』というのだ。つまり、お前に護衛を増やせと言われて助かったというわけさ」
まさに、僕が見た夢はそれだった。兄上が誰かに草の上で襲われる。少し遠くに馬車が見えた気がしていた。そして、早馬。夢の中の父上は、早馬から連絡を受け取り、僕たちに『アレクシスが死んだ』と告げるのだ。
僕は相似点に少し震えてしまった。今まではクララへの暴言や僕とダリアナ嬢の逢瀬のシーンであったが、実際兄上が死んだシーンでなくとも、兄上が逃げていたシーンは、こうして無事に帰ってきてくれても頭を離れない。
「そこで、な……。なぁ、バージル。お前は護衛の人数を増やせと言った……。
お前には私達が襲われることがわかっていた? ……かのようだ……。なぜなんだ?」
兄上はとても歯切れの悪い言い方をした。
「話してもわかってもらえることではありません」
これは僕の本当の気持ちだ。だって、夢だなんて……。
「お前が疑われることになってもか?」
兄上のあまりの一言に僕は頭がカッとなり、顔が熱くなるのを感じた。それでも、怒鳴ることなく言葉を紡ぐ。少しだけ声が震えてしまった。
「どういうことですか?」
「……あくまでも噂の一つだ。
第二王子が第一王子の命を狙っているという噂がある」
僕には兄上の言い分が全く理解できなかった。
「だから、何なんですかっ!?」
僕はまさかのことに、少し強く言ってしまった。
「そんなに怒るなよ。もしもの話だ」
兄上のバツの悪そうな顔を見ても、僕の怒りは収まらなかった。
「僕は僕のためにも兄上に無事に帰ってきてほしかったんだ。なのに……」
僕は兄上にも聞こえないような小さな声で愚痴をこぼした。そうしなければ、爆発してしまいそうだった。
「……ん? お前のため?」
僕は少し恨めしい目で兄上を見た。兄上は困った顔をしていた。
「ここからは父上も一緒に話した方がよさそうだ」
兄上の提案で父上に相談することになった。
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