第9話 伯爵家のこれから

 メイドに連れられてクララの部屋から廊下へ出る。


「本当に静かだね」


「はい、今朝、日の出とともに半分ほどの使用人が出ていきましたので。

ですから、ボブバージル様にはご迷惑をおかけすることもあるかもしれません。手が足りないもので申し訳ありません」


 メイドが歩きながらも僕に頭を下げた。僕はそんなこと気にしてない。


「いや、原因の半分は僕だ。気にしなくていいよ」


「原因だなんて、とんでもございません。残った者はみな、クラリッサお嬢様をお慕いしております。ですから、ボブバージル様にはみな感謝しておりますわ」


 メイドは困り顔の笑顔で僕への気持ちを伝えてきた。


「大したことはしてないよ」


 メイドがノックをして応接室のドアをあける。僕が中に入るとすでに伯爵様はいらっしゃった。


「朝早くから悪いな。クララもキチンと朝食を食べたと聞いている。君のお陰だ、バージル。すまないな」


 クララとは逆に昨日よりやつれてしまった伯爵様に僕はなんとも言えない気持ちになる。


「おはようございます、伯爵様。僕は朝食をクララといただけて楽しかったです。二人でおしゃべりしたのは久しぶりだったので。伯爵家のお料理は美味しいですね」


「そうか、後で料理人に伝えておこう。まあ、座ってくれ」


 伯爵様と向かい合って座る。伯爵様は小さなため息の後、話を始めた。


「昨日は、大変世話になったな。クララを助けてくれてありがとう」


 伯爵様が僕に頭を下げる。


「止めてください。僕も無茶をしすぎました。今朝から邸内が変わった感じがして、責任を感じています」


 僕は両手の平を左右に振って謝らないでほしい意思を伝えた。


「いや、いい方向に変わったのだ。礼をいくら言っても足りないくらいだよ。それなのに、昨日は、礼も言えずに……。すまなかったな」


 伯爵様が目を伏せた。昨日の伯爵様の心理状態がどんなものかは理解している。だって、僕の気持ちを代理してくれると思って話したのだから。

 

 僕は伯爵様にいつまでも謝られていたくなくって、すぐに結果を聞くことにした。


「それで、あの後は?」


 伯爵様とは、昨日の夕刻にこの応接室で別れてから話をしていない。


「うん、今朝早くにあの二人は実家に戻したよ。妻に雇われた者たちも子爵家へ戻した」


 伯爵様が目を伏せたまま話が進む。


「子爵家の方だったのですね」


「ああ、彼女も夫と死別していてね。彼女の場合は、5年以上前なのだが。

前に彼女が嫁いだ侯爵家は、彼女の夫が病気で亡くなると、夫の弟である次男が継ぐことになったんだよ。それで、彼女は娘とともに実家の子爵家へ戻されたんだ。

娘でなく、息子だったら違っていたかもしれないね。それに、その次男との再婚も、貴族ならあり得た話のはずなんだがな……。それもなく、実家の子爵家に戻された。それも、彼女だけでなく、実孫のダリアナも一緒に、だ」


 血筋を重んじる貴族ならではのことなんだろうけど、兄の後に弟との結婚は有り得ないことではないのだ。

 それにしても、ダリアナ嬢が幼い頃だけとはいえ、元侯爵令嬢だったことには驚いた。あの口調で元侯爵令嬢とは考えられないことだった。


「彼女たちは、見ての通り親子で美しいからね。引く手数多だったろうに。

なぜか五年も未亡人でね。再婚の意思がないのだろうとまで言われていたようだ」


 確かに、喚いていないときならばそう思わなくもない。しかし、二人の酷い有様を見た僕には頷くことはできなかった。

 テーブルの模様を意識なく見つめている伯爵様のお話はゆっくりと進んでいく。


「私は妻となる人の見た目などは気にしないが、クララが寂しい思いをしないようにと少し慌てていたのかもしれないな。紹介されてすぐに決断してしまった。

私はクララのために白い結婚を望んだから、それを受け入れてくれるだけでも有りがたかったんだ」


「え? 白い結婚って?」


「ん? 君にはまだ早い話だったか?」


「いえ、理解はできます」


 僕には『システムを理解できる』という意味であり、伯爵様のご年齢で白い結婚を望むことは理解できない。


「その約束だったはず、なのだがな。彼女に何度か誘惑されて、な。彼女は、美貌には自信があっただろうからね。私が完全に拒否をしたんだ。そのときに、キチンと話をしておけばよかったのかもしれんな。私のせいで、クララの婚約者の君に矛先が向いたのかもしれん。


それにしても、君とダリアナではここは継げぬのにな。本当によくわからん」


 伯爵様は小さく首を振っていた。


「……ですね……」


 僕はダリアナ嬢が兄上のこと言っていたのを思い出した。


「君が言っていたように、君がクララに興味がないと思わせるようにクララを洗脳していたようだ。

私に向かっても、クララのことを、その…………。

まあ、それを言われて思わず、な」


 伯爵様はご自分の手の平を確認なさった。夫人を叩いてしまったのかもしれない。おそらく夫人に『不細工』という言葉を使われたのだろう。

 クララのためにいっておくと、クララは決して不細工ではない。絶対的にかわいい。

 確かにあの二人はものすごくキレイだった。それと比べればクララは普通といえる。なら、普通でいい。


「クララのために確認しておくが、クララはダリアナに何かをぶつけたり投げつけたりはしておらんぞ。それは誰に言われなくても私がわかっている」


 伯爵様はクララの無実を訴えるためだろう、やっと僕と目を合わせた。


「はい。僕もそう信じています」


「それから、そちらからの手紙についてだが……。申し訳ない。それについて聞かずに出してしまって……な……」


 クララについての虐待や悪口について聞くだけで、それ以上は耐えられなかったのだろうと容易に予想がつく。


「構いませんよ。僕からの手紙も母上からの手紙もクララを守りたい思いからです。母上は彼女らとクララが一緒にいることはクララにとって良くないかもと考えておいでだったので」


「そうか。ギャレット公爵夫人にもご心配をおかけしたのだな。後ほど謝罪とお礼に伺おう」


「はい。母上はそれで喜んでくれると思います。

それで、これからこちらはどうなるのですか?」


「うん、執事を戻して、クララが成人するまでは執事にこの家を回してもらう予定だ。彼なら産まれた時からクララを知っているしな。安心して任せられる」


「え? ご夫人とは?」


「もちろん、離縁するよ。この家はクララのものだ。白い結婚はそのためなんだ。離縁についてはこちらに不利になるようなことはないはずだ。昨日のこともあちらの行き過ぎた言動のせいだと主張するさ」


 叩いてしまった話のことだろう。

 白い結婚の意味がようやく理解できた。伯爵様の行動はすべてクララのためなのだ。結婚したことも、そして、離縁することも……。


「まあ、当面困らない程度には持たせたし、彼女らに贈ったものはそのまま持たせた。それで充分だろう」


 その辺の大人の事情はわからないけど、僕とクララが結婚した後にも何も起こらないよという意味かな、と理解する。


「あ、あのぉ、旦那様……」


 メイドが珍しく声をかけてきた。クララの専属メイドだ。


「なんだ?」


 伯爵様の口調はとても優しいものだった。


「クラリッサお嬢様のクローゼットが半分ほど空になっておりまして。宝飾品もほぼ半分に……」


 伯爵様が拳をぐっと握られた。


「そうか。妻の形見は?」


「どうやら、手前の派手なものしか取られてはいないようです。恐らくすべてご無事かと」


「そうか。ならば手切れ金だと思おう。クララにも気にさせないように」


「はい」


 伯爵様は、再び大きなため息をついた。


「どんな言葉でクララからそれらを奪っていったのだろうな? 私の罪は本当に重いようだ」


 伯爵様のお心が深く沈んだことがわかった。


「どうして、伯爵様の罪になるのですか? 伯爵様はクララを思ってやったことなのでしょう? それとも、クララがそういう気持ちをわからない子だと思うのですか?」


 伯爵様は僕の言葉に目を見開いて驚いていた。


「そうだな。クララは優しい子だ。説明すれば、私のクララへの思いはわかってもらえると思っているよ」


「そうですよね! 僕でも伯爵様がクララのことが大好きなんだってわかりましたから!」


「ハハハ! そうか、そうか! そうだな……

バージル、ありがとう……」


 伯爵様は、笑いながら泣いていた……。





「元々、クララに寂しい思いをさせたくなくて再婚したんだ。だが、君がいてくれれば、私が再婚などせずともクララは寂しい思いをしなくて済みそうだしな」


 伯爵様にそう言われるとさすがに頬が熱くなるのを感じた。それでも僕はきちんと伝えた。


「そうなるように、頑張ります!」


「よろしく頼むよ。公爵殿も心配されてるかもしれん。今日は早めに帰りなさい。また、こちらへ遊びに来てくれると嬉しいよ」


「はい! また来ます」


 僕はクララに挨拶をして、次回の来訪を約束し、公爵邸へ帰った。

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