第7話 伯爵とのお話

 クララの部屋をそっと出ると、そこにはマクナイト伯爵がいた。僕は会釈する。外はすっかり暗くなっていた。


「クララは?」


「いま、少しだけ食べて寝ました。僕が信用できると判断したメイドについてもらっています」


「……そうか。随分と気苦労をかけたみたいだな。現状を説明できる者がどうもいないようなのだ。バージルから話を聞かせてもらえるかい?」

 

 マクナイト伯爵様が困惑していらっしゃることがよくわかる。他人の家で、『僕が信用できると判断したメイド』なんて言葉は普通ならありえないことだ。普通でない現状を伝えなければならないだろう。


「もちろんです」


 護衛にその場に残ってもらい、先程のメイド二人にも声をかけることにした。信用できる者をクララのことを頼んでから応接室に来るという。


 マクナイト伯爵様と二人で先に応接室へ戻る。マクナイト伯爵様が飲み物を聞いてくれたが、少し待ってもらうことにした。しばらくすれば、先程のメイド二人が応接室に現れた。今は僕はこの二人以外からの食べ物は食べれない。しかし、のどがカラカラだった。メイドはボトルにいっぱいの果実水を持ってきてくれた。マクナイト伯爵様にはワインのようだ。

 護衛の一人にも飲み物を頼み、クララの部屋の前の護衛にも飲み物を頼んだ。その護衛が安心して飲めるように、僕のサインをした紙を一緒に持っていってもらった。


 マクナイト伯爵様がワインを一杯一気に煽った。『はぁ〜』と大きく息をしてから、話し始めた。


「公爵家には使いを出した。今日は泊まっていくといい。施錠できる部屋にするから心配はしなくていい。食事はあとで部屋に届けさせよう」


「できればあの二人にお願いします」


 ここまでのことで僕がこの家の使用人の一部を信用していないことは充分に伝わったであろう。伯爵様は、『ふぅ』ともう一度大きく息をして了承してくれた。


「わかった。

それで? 何があったんだ?」


 伯爵様は手の平を前で組み肘を膝に乗せて、前屈みで僕の話に耳を傾けた。僕は背筋を伸ばし、しっかりと伯爵様の目を見る。


「伯爵様は、昨日、僕に『クラリッサに会いに来てほしい』と言われました。どなたに頼まれたのですか?」


「妻だ。クララはこのところ、どう見ても元気がなかったからね。妻に原因を知っているか聞いたんだ。そうしたら、君に会えてないというではないか。確かに、以前は君と話した本の話などをよくしてくれていたんだ。それに、前妻が生きている頃は、一緒に勉強もしていただろう?

だから、私が君に会いに行ったのだよ」


 やはり、クララは今日僕が来ることは知らなかったのだ。それにしても、伯爵夫人は都合よくクララの名前を使ったものだ。


「そうでしたか。僕はここのところ、こちらにお邪魔しても、クララと二人で話すことは全くできませんでした。それどころか、ダリアナ嬢と二人にされ、クララは夫人の部屋に連れていかれてました」


「なに?」


 伯爵様は片眉を上げて訝しむ。僕を疑っているのか、夫人を疑っているのかは、定かではない。


「時には、先触れを出したにも関わらずこの家にダリアナ嬢しかおらず、メイドたちによりダリアナ嬢と二人きりにされることもありました」


 伯爵様が壁際に立つメイド二人に視線を移す。二人は戸惑っている。


「このお二人ではありませんよ。そのメイドが誰なのかは、後で二人から聞いてください」


「そうしよう」


 伯爵様の視線がこちらに戻ったことを確認してさらに続ける。


「僕はそれが嫌でこちらに伺わなくなったのです。その代わり、クララに我が家に来てもらう約束をしました。しかし、その日、我が家に来たのはダリアナ嬢でした。ダリアナ嬢にはクララの具合が悪いと聞かされました」


 伯爵様は少し思い返すように宙を眺め、訝しむ顔のまま答えた。


「そこまで具合の悪い日は記憶にないが?」


「そうでしたか。クララが病気でないのならそれはよかったです。しかし先程クララに聞いたら、クララは僕が病気だと聞かされていたようです」


「どういうことだ?」


 伯爵様は理解できないとばかりに、ソファーの背もたれに寄りかかり腕を前で組んで僕の話を待った。


「わかりません。ただ、僕とクララは誰かの策略で会えなかったのではないかということです。

その日から、僕はクララにたくさんの手紙を書いて我が家へ誘ったのですが、クララからの返事はありませんでした。先程、クララに聞いてみたら、クララには届いていなかったようです」


「なぜだ?」


 伯爵様は真相に辿りつけないことに少し苛立っているようだ。だが、僕としても、最初からすべてをさらけ出すわけにはいかない。クララを守るためにも。


「それも……わかりません。そう言えば、執事もメイドもずいぶん変わったのですね」


「ん? メイドもか?」


 急に話が変わったことに戸惑いつつも、壁際の二人のメイドに伯爵が確認すると二人は頷いた。


「そうなのか。私の仕事は館長だ。特に家内で秘書兼執事を必要としない。だから、前妻の時も、前妻が選んだ執事やメイドにしていた。前妻の選んだ使用人たちでは、今の妻がやりづらいだろうと、使用人の采配は自由にさせていたんだ。出てもらう使用人には推薦状を持たせるようにと伝えてな」


 少し冷静になったような口調で伯爵様は説明してくれた。


「出ていった使用人のことは僕はわかりません。でも、公爵家からの手紙を握り潰せるなんて、ご当主様か執事か夫人しかいませんよね。僕の母上が、僕の手紙を正式な公爵家からのお誘いのお手紙だと判断してくださり、僕の手紙には公爵家の封蝋がしてあったはずなのですが…」


 伯爵様は公爵家の封蝋と聞き、さすがに肩をゆらした。

 個人同士の手紙のやり取りには、よく雑貨屋などで売られている封印を使うことが多い。僕も他の友達や家族には、お気に入りの波のような模様のものを使っている。それでも、外にあるサインで僕だとわかるようにはなっている。

 それを敢えて、公爵家の封蝋にしたのだからそれを握り潰すのは普通ではない。


「そ、それはもちろんだ。いや、執事や妻でも、公爵家の封蝋の付いた手紙をどうにかしていいわけがない。私の書斎にそのような手紙は届いていない」


 そりゃそうだ。それが爵位だ。と言いたいがやめた。伯爵様には覚えがないようだ。


「クララに届いていない手紙……。そういうことだと、バージルは考えているのだな」


「僕からだけではありません。母上からも抗議のお手紙を出したと聞いています」


「ギャレット公爵夫人からの抗議の手紙だと!?」


 伯爵様はキョロキョロと見渡すが、執事らしき者は今はこの部屋にいなかった。


「是非後ほどご確認をお願いします」


「わかった……」


 僕は頷いて、次の話を始めた。


「これは、確認なのですが、最近、物が壊れたりしましたか? 特に本が傷ついていたとかありませんでしたか?」


 またしても話が変わったことに、伯爵様は大きく息を吐いた。僕が子供だから話がコロコロと変わると思っているのかもしれない。僕はあることを確認しながら話を進めているのだ。


「ふぅ〜。いや、特には何も聞いておらんよ」


「夫人とダリアナ嬢が言うには、クララがダリアナ嬢に物を投げつけて虐めているそうです。特に本を毎日投げつけられるとおっしゃっておりました」


 『タンッ!』


 伯爵様が軽くテーブルを拳で叩いた。伯爵様はそれでも声を大きくすることなく話を続けた。


「そんなこと、ある訳ないだろう! クララは私の仕事をよく理解してくれている。クララも本が好きなことは、バージルも知っているだろう?」


「はい。よく知っています。だから、夫人の言葉もダリアナ嬢の言葉も信じておりません」


「それは、助かるよ。それにしてもなぜそんな嘘をバージルに吹き込むのだ?」


 伯爵様の疑念が、僕から夫人とダリアナ嬢へ移っていくのを強く感じた。


「それと、あの……」


「はぁ〜、なんだ?」


 まだあるのかと言いたげな疲れた表情の伯爵様は僕を促した。僕にしてみればここからが本番だ。


「クララは『クララが不細工だ』と、夫人とダリアナ嬢に言われていたようです」


「「ひっ!」」


 メイドが小さな悲鳴をあげ、二人で慰め合うようにハラハラと泣き出した。


「おそらく、一度や二度ではありません。『不細工だから僕と合わない』であるとか、『クララが不細工だから僕がダリアナ嬢を選ぶはずだ』と言われていたように思われます。言われ続けなければ、あの状態にはならないと思うのです。それが夢にまでなって、クララは眠れなかったと言っていました」


「なっ! 信じられんっ!」


「ダリアナ嬢からは『クララが不細工だと教えてやったんだ』との言質を、この護衛とともに取りました」


 後ろに立つ護衛が頷いた。伯爵様の膝の上にある拳が震えている。先程の僕のようだ。


「さらに今日、僕がここに来ることをこの家の者、全員が知っていながら、クララだけは知らずに……」


 僕は言い淀んだ。執事はマクナイト伯爵様のことは言い淀んでいた。もし、マクナイト伯爵様のご指示だったら……、あの親子にマクナイト伯爵様が変えられてしまっていたら……その場合、逆効果になる。


 僕の知っているマクナイト伯爵様であることを確認するためにここまで話をしてきたのだ。 


『大丈夫!』


 僕は僕に言い聞かせる。


「知らずに、何だ?!!」


 伯爵様の怒りも頂点が近いようだ。こんなに険しい顔を見たことがない。


「クララの部屋のドアに鎖と鍵前をされており、クララは監禁されていました」


『ガタン!!』『カシャン!』


 伯爵様が勢いよく立ち上がる。ワイングラスが倒れた。絨毯へ溢れる。

 伯爵様は目を見開き、眉が釣り上がり、歯を食いしばって、両手をギリギリと音が出そうなほど握りしめて、ドアを睨んでいた。


 僕は最後のひと押しをする。


「鍵を持っていたのは――夫人が選んだ新しい執事でした」


 伯爵様はその顔のまま扉へと大股で歩く。ドアを開けたとき僕を思い出したようだ。


「すまぬが、今日はここまでだ。部屋でくつろいでくれ。明日、クララと朝飯を食べてやってもらいたい」


「嬉しいです。お受けします」


 僕は立ち上がって伯爵様に頭を下げた。伯爵様は応接室を出て行った

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