第6話 天使の言葉
僕は冷静な声で話を始めた。
「君が美しいだって? ハッハッハっ! 冗談は止めてもらいたいな。君のような欲望を丸出しの女性を美しいなんて、僕には思えないね。
ああ、安心してくれ。クララの可愛らしさも君にわかってもらおうとは思っていないよ」
僕の小馬鹿にした物言いにダリアナ嬢は苛つきを隠せない。
「はぁ? クラリッサが可愛らしいですって? あなた目が見えないの? あんな不細工が可愛らしいわけないじゃない!」
僕はカッとなったが、今は情報が大事なのでなんとか冷静に話をしようとした。
「もしかして、それをクララに口にしたのかい?」
僕の声は少し震えてしまったが、それを有利だと取ったのかダリアナ嬢は自慢げに答えた。
「そうよ。わたくしとお母様とで、しっかりと教えてあげたのよ。とっても簡単だったわ。鏡の前で隣に並んで『不細工なのね』ってつぶやくだけ。フッハハハ! 最初こそ何を言われてるかわからなかったみたいだけど、この頃は鏡の前にも立たないわ。あれが表に出るなんて伯爵家の恥ね」
ダリアナ嬢は当たり前のことをやったのだと言っているかのようにスラスラと自分たちがやってきた卑劣な話を声高に述べた。
僕は拳が震えるのを抑えようとしたが無理だった。いや、拳を震えさせることで、なんとか意識を保っていられたのかもしれない。
「価値観の違いというのは恐ろしいね。とにかく、僕は君には興味がないし、今後近寄りたいとも思わないよ。今までもそう伝えてきたつもりだったけど、君には態度で示しても通用しないようだからね」
暗に馬鹿にしたことは通じたようだ。ダリアナ嬢の声が少し大きくなった。
「ふんっ! 本当にバカな男ね。私と結婚すれば公爵になれたのにっ!」
ダリアナ嬢は鼻を高々と上を向かせて横を向いた。小馬鹿にして返したつもりだろう。一人称が『わたくし』になったり、『私』になったりと落ち着かない。どちらが本当のダリアナ嬢なのだろうか?
ともかく、僕は公爵など望んでいないから嫌味にもならない。そんなことに気が付かないほど、ダリアナ嬢自身が欲望に塗れているのかもしれない。
しかし、僕の意思がダリアナ嬢と一緒ではないことを伝えるべく、さらにゆっくりとゆっくりと諭すように話した。
「君は一体何を言っているのかな?――
全く理解ができないよ。僕はクララと一緒にここを継ぐんだよ。
あ〜、そうだなぁ。その時君らにはここにいてほしくないな。後で君たちを監禁できるような領地の屋敷を確認しておこう」
僕はあえて『監禁』という言葉を選んだのだが、これにはダリアナ嬢は反応しなかった。今回のクララの監禁には関わっていないのかもしれない。
「そう、それにね。公爵は兄上が継ぐんだ。それなのに、君が僕を狙う意味がわからないなぁ? 君にはここを継ぐ権利はないはずだ。そして、僕にも爵位はない。君は何が狙いなんだい?」
ダリアナ嬢は後妻の連れ子なので伯爵家の血を継がない。マクナイト家の伯爵位は継げないのだ。
僕だって、もし、クララとの結婚がなくなって、父上の持つ爵位の一つをいただいたとしても、伯爵位だ。それを『公爵』だと言い切るダリアナ嬢の真意を計りかねる。
ダリアナ嬢は両手を腰にあて上半身をこちらに倒してきた。まるで『仕方がないから、教えてあげるわ』とでも言いたそうな態度である。
「ふんっ! だ、か、ら、そのお兄様がもうすぐ死ぬのよ。死んだらあんたは公爵を継がなきゃなんないでしょう? そして、クラリッサは伯爵を継がなきゃなんない。あんたらは絶対に上手く行かないのよっ」
ダリアナ嬢の口調が乱れ、ご令嬢のそれではなくなっている。まるで下町の娘のようだ。
ダリアナ嬢が僕を指差しながら、高らかに宣言した内容はとても恐ろしいものだった。さすがに、僕も兄上の死を口に出されて眉根を寄せて睨んだ。
隣にいる護衛からまたカチャリと音がする。この護衛は公爵家に長くいる人で、僕も兄上も幼い頃からとてもお世話になっている人だ。兄上の死を望むようなことを言われて、気分がいいわけがない。僕が許可しなければ動かないとは思うが、心情穏やかではないだろう。
僕や護衛の顔つきが変わったことに気が付かないダリアナ嬢はまだ続けた。
「ハハ その時まで待ってあげるわ。頭を下げてわたくしを乞うなら許してあげる。わたくしの寛大さに、あんたは、わたくしを一生崇め奉るのよ」
ニヤリとひしゃげた口角は決して美しいものではない。こズルい下民がするような表情だ。ダリアナ嬢はそんな自分に気がついているのだろうか? 兄上に何かあったとしても、ダリアナ嬢に頭を下げるなんて万が一にもありえない。
これ以上話をしていると、僕も護衛もダリアナ嬢になんらかのことをしてしまいそうだ。僕はダリアナ嬢からもう離れることにした。
「そんな日は一生来ないよ……」
僕は最後の言葉は本当に届いてほしいという気持ちで言ったのだが、届いてはいなそうだ。ダリアナ嬢はツンとした表情のまま、踵を返して部屋に戻っていった。
僕は護衛に頷き、階段を下りる。丁度、応接室に行った護衛が帰ってきた。
「あちらには誰もおりませんでした」
「ありがとう。今、ダリアナ嬢と話したんだ。ダリアナ嬢をクララの部屋に行かせないで」
「畏まりました」
護衛の一人が階段上で待機してくれることになった。
〰️
応接室に入りソファーに沈み込むと、先程のダリアナ嬢の言葉を反芻する。
『そのお兄様がもうすぐ死ぬのよ』
これはどういう意味なのだろうか? 確かに、兄上が亡くなることになれば、僕は公爵を継がなければならなくなるだろう。だが、人の死を予言するように言葉にするなんて……おかしい。
そう、まるで、僕が見ている夢のようだ。僕は誰かの死を見たことはないが、ダリアナ嬢の言動などは予言できるようなこともあった。
ダリアナ嬢の摩訶不思議な今までの言動と、今回の予言。僕は僕に近い何かを感じていた。だが、それを確認するためには、僕のことも話さなければならない。リスクが大きすぎる。
そう判断し、ダリアナ嬢には今後も近づかないことを決めた。
ダリアナ嬢と話をしていたからか、難しく考えてしまっていたせいか、さほど待たずにメイドが呼びに来た。ミルクを持ってきたメイドだった。
〰️
僕は再びクララの部屋へ行く。クララはベッドにいた。僕らは十三歳。添い寝していい年齢ではない。ベッド脇に用意された椅子に座る。
「ジル」
僕はクララの呼びかけに笑顔で応えた。クララは横向きに寝て、僕の手を両手で握ってきた。先程よりも手が暖かくなっていて、緊張がほぐれたことがよくわかる。
「クララ、さっきの復習だよ。
ジルはクララが大好き。
ほら、言ってごらん」
僕はクララの目を見て、呟くように語りかけるように声をかけた。
「ジルはクララが大好き。
クララもジルが大好き。
ジルはクララが大好き」
ウンウンと頷き、クララが間違えていないことを伝える。クララも頷きかえす。クララの目がトロンとした。先程の気力がない嫌な感じではなく、表情が和らいで、眠いという感じだ。
「クララが眠れるまでここにいる。もう悪い夢は見ないよ。クララ、大好きだ」
僕の手を握るクララの手の上から、僕の手を重ねた。
「うん……うん……」
ゆっくりと頷くクララから一筋の涙がこぼれた。メイドが用意しておいてくれたタオルで拭いてやる。クララは目を閉じて、僕がすることを受け入れる。
「ゆっくり、おやすみ、クララ」
クララは本当に寝れていなかったのだろう。すぐに寝息を立て始めた。僕は頃合いを見て立ち上がる。
ベッドから少し離れたところで、メイドから説明を受けた。特に外傷らしいものはなかったそうだ。具の入ったスープを少し口にしたらしい。ミルクは飲めたというから、体調の回復には向かうだろう。
心の回復は、急いではならない。急がせることが、さらなる負担になることもあるからだ。それをメイドとともに確認した。
「僕はここの使用人を知らないから、君のことを信じるよ。しばらくは君が信用できると判断した者だけでクララの世話をしてほしい」
「畏まりました。ありがとうございます」
「お礼を言うのは僕の方だよ。後はよろしくね」
僕はクララのことをメイドに託して部屋を出た。
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