第5話 クララの救出

 窓には厚いカーテンが閉められたままで、ロウソク一本ない部屋は真っ暗だ。僕はさすがに動けないが、勝手知ったるメイドは窓へかけていきカーテンを開けた。明るくなった部屋でクララを探す。クララは壁側の部屋の隅で丸くなっていた。


「クララ――」


 クララはビクッとして顔を上げた。髪はボサボサでもう昼をとっくに過ぎているのに寝間着だった。目がトロンとしており焦点が合わない。僕だとわかっているのかも不明だ。


「私も三日ほどお嬢様にお会いできていなかったのです」


 メイドが僕に小さな声で伝えてくる。


 こういうときは僕より慣れ親しんだメイドがいいだろうと、彼女に任せることにした。メイドはクララに近づこうとした。そこにノックの音がする。メイドが扉へ行く。何やら話をしてすぐに戻ってきた。


「信用できるメイドにミルクを頼みました」


「そうか。それはいいね」


 メイドがクララに近づき何やら話しかけながらゆっくりと立たせる。僕はわざと窓際に行き二人を遮らないようにした。


 クララをソファーに座らせてクララにローブをかける。背中を擦りながらクララに話しかけている。

 しばらくすると、メイドは僕の方へやって来た。


「お嬢様からボブバージル様にお話があるようです。お声は大きくはなさらないでくださいませ。わたくしはお体をお清めいただくお支度をしてまいります」


 僕はゆっくりとクララの隣に座り、クララの手を両手で包み込んだ。


「僕の大好きなクララ。やっと会えた」


「ジ、ジル……。わたくし……わたくしでは、ダメなのです。

わたくし……わかってしまったのですもの」


 僕の手を見つめながら震えるように言葉を出すクララ。僕を見ようとはしない。


「クララは何をわかったの?」


 できるだけ、優しく、語りかけるように、クララを焦らせないように、そう意識して聞いた。


「わたくしはとても不細工なの。不細工なわたくしは、ジルの隣に立てるような女の子じゃないの。ジルが……ジルが……恥ずかし思いをすることになるわ。

そ、それに……


「それに?」


 僕は反論せず全部聞くことにした。心の中はドロドロのマグマ状態であった。爆発させてあの親子を殴りに行きたかったが、今はクララを優先させる。


「そ、それに、ジルはダリアナが好きなのでしょう? わたくしはダリアナには敵わないもの」


 クララは泣きながら消え入りそうな声で訴える。

 夢の中のセリフをクララが口にすると、一瞬、目眩を起こすが懸命に振り払う。


「僕が好きなのはクララだよ。クララも知ってるでしょう? 僕のクララはとてもかわいいよ。誰がクララにそんな嘘を言っているの?」


 僕は握った手をさらにギュッと握った。クララはまるで僕が隣にいることを今知ったかのように、僕の顔を一瞬ジッとみた。


 しかし、クララはすぐに下を向き、すべてを否定するかのように頭を振った。クララの涙は頬を伝って止まらない。


「でも、でも……初めてダリアナに会った時、ジルはダリアナに見惚れていたわ」


 クララは震える声でその時の悪夢を思い出したくないとばかりに小さく頭を振っている。


「勘違いさせてごめんね。あの時は、僕の知っている人にあまりにそっくりだったから、びっくりしただけだよ。だから、僕は僕から離れた席にダリアナ嬢を案内したろう? よく、思い出してごらん」


 クララが頭を振ることを止めてゆっくりと思い出そうとしていることがわかる。僕もゆっくりと待つことにした。


 クララが顔をあげて僕の目を見た。


「え? そ、そうね。そういえば、わたくしが真ん中でしたわ。そう、あの時、ジルとダリアナのお話がとてもちぐはぐで――

そうですわ。わたくし、とても困っておりましたのよ」


 僕もウンウンと大きく頷き、クララを肯定する。


「そうだったよね。それに、愛称呼びもダリアナ嬢にははっきりと断ったでしょう?」


 今度はクララがウンウンと頷いている。


「ジルって呼べるのは、わたくしだけだっておっしゃってくださって」


 やっとクララの視界に僕が入っていると感じられた。


「うん、そうだよ。『ジル』って呼ぶ者は家族にもいない。クララだけのものだよ。それに、僕が隣にいてほしいのはクララだけなんだよ。

ねぇ、クララ、この前、どうして僕の家に来てくれなかったんだい?」


 クララはまだ完全に覚醒はしていない。今なら嘘はつけないだろう。僕はクララが嫌がらない言葉を使って聞けることを聞くようにした。


「ジルが風邪をひいたのでしょう? 会えなくなったと連絡がありましたわ。お見舞いに行きたかったのですけど、具合が悪いのに伺ったら、迷惑になると言われて……」


 また下を向いてしまった。僕が覗き込むとクララが顔をあげる。


「ジル、風邪はもう大丈夫ですの?」


 小首を傾げて不思議そうに問う。僕は『僕の風邪』については否定もしないが肯定もしない。今はまだ、クララにアイツらの悪事を伝えるのは刺激が強すぎる。


「心配してくれてありがとう、クララ。じゃあ、僕からの手紙は読んだかい?」


「ええ、一度お手紙くださいましたわね。引き出しにしまってありますの。お返事は届きましたか?」


 僕は何度も手紙を書いているし、返事はもらっていない。いや、一度だけもらった。僕も大切にとってある。その手紙なのかは確認できないが、たくさん送ったはずの手紙が1つしか届いていないことははっきりした。それでも、アイツらの仕業だとは今は言わない。


「ああ、僕からなかなか返せなくてごめんね。手紙を書いたらクララに会いたくなってしまうから。

ねぇ、クララ。もしかして、寝むれていないの?」


 クララの目の下には真っ黒なクマができている。


「わたくし、夢でジルに『ダリアナを虐めているそうだなっ! 婚約を破棄だ!』って言われますの。わたくし、わたくし……ダリアナを虐めてなんかいませんのに……うっ」


 クララが再び泣き始めた。僕はクララの背を擦った。クララの言ったそのセリフは、夢の通りなら僕が言うはずだった言葉だった。クララの口から出た言葉であっても頭に衝撃が走った。

 クララも僕と似たような夢を見ているのかもしれない。


「わたくし、その夢を見るのが怖くて怖くて。もうその夢を見たくなくって。そう考えたら、寝れなくなってしまいましたの。うっうっうっ」


 クララは、顔を手で覆って、膝にそのまま手をつけるように俯いて泣いてしまった。

 僕はその背を優しくさする。


「クララ、これだけを考えて眠るんだ。ジルはクララが大好きだ。ほら、クララも言ってごらん」


「ジルはクララが大好き……

ジルはクララが大好き……」


 クララが小さい声でつぶやき、顔をあげて僕の手をクララから握ってきた。


「ジル、ジル、わたくしもジルが大好きですの。ずっとずっと、大好きでしたの」


「うん、うん。知ってるよ。

クララ、ありがとう」


 クララは今度は僕の手の上で泣いた。僕は空いている方の手でクララの背中を擦っていた。


 そこへメイドが二人入ってきた。


「体を拭いてもらうといい。気持ちいいよ。温かいミルクもあるそうだ。終わった頃また来るね」


 クララは頷いた。


 僕はメイドの一人に公爵家の護衛を馬車まで呼びに行ってもらう。

 その間に、クララがカップの飲み物を口にしたのを確認した。少しは食べることができるようでホッとした。


 護衛が来たので席を立つ。


「応接室にいるから、終わったら呼んでほしいんだけど」


「畏まりました。軽食もお持ちしたので一刻ほどいただくかもしれません」


「うん、丁寧に頼むよ」


 クララをメイドに託し、部屋を出た。


〰️ 〰️ 〰️


 一人の護衛に応接室に誰もいないことを確認に行ってもらう。

 それを待っていると、階段より一番手前の部屋から誰かが出てきた。護衛が咄嗟に僕の前に立つ。出てきたのはダリアナ嬢だった。護衛はダリアナ嬢に対して少なからず敵意を見せた。母上から何かを聞いていたのか、呼びに行ったメイドに聞いたのかはわからないが、ダリアナ嬢が味方でないという認識ははっきりと見てとれた。しかし、僕は護衛を止めた。


「美しいわたくしがあなたを選んであげたのに、あなたは何が不満なの?」


 ダリアナ嬢は腕を前に組み、片足を少し前にして斜めから僕を睨む。せっかく止めた護衛がカチャリと嫌な音をさせる。僕はもう一度、手で護衛を止めた。

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