第3話 公爵家の封蝋

 それからというもの、伯爵邸へ行くと、必ず、クララだけではなくダリアナ嬢が一緒であった。テーブルにははじめからカップが三つ用意されている。

 さらに、クララと二人になれることはまずない。クララはマクナイト伯爵夫人に呼ばれることが多く、僕はダリアナ嬢と二人にされてばかりだった。


 時には、前触れを出して来訪を許可されたにもかかわらず、クララがいないときもあった。


「お義姉様は、急用らしくて、お友達のお邸へ行かれてしまいましたの。酷いでしょう?

ボブバージル様。わたくしのお勉強を見てくださいませ」


 強引に腕を引かれ応接室に引き込まれる。メイドはわざと席を外しダリアナ嬢と二人きりにさせられる。僕はわざと席を立ち応接室の両開きのドアを全開にする。


 僕の『拒否したい』という気持ちはともかく、若い男女を二人きりにしようとするなんて『伯爵家の執事もメイドも常識はないのか?』と訝しむ。これも両親を通して確認しなくてはならないだろう。


 予想はできていたものの、ダリアナ嬢はやはり勉強などせず、ずっとおしゃべりをしている。…………うんざりだ。


 そんなことが数回続くと、僕の足はマクナイト伯爵邸から遠のいた。


〰️ 〰️ 〰️


「最近、マクナイト伯爵様のお邸へ行かないのね?」


 母上に尋ねられれば、チャンスとばかりにマクナイト伯爵邸での出来事を話した。



「なるほどね。でも、あの方―僕の父上―は他家に口出しすることは嫌がるのよねぇ」


「……わかるよ。でも……、そうなると僕は何も言えないの?」


 僕はちょっと拗ねた言い方をした。母上はそんな僕を見てくすりと笑う。


「それは、クララちゃんに会えないことへのスネ? それともクララちゃんの勇者様になれないことへのスネ? ふふふ」


 嬉しそうにしている母上を僕はちょっと睨んでプイッと横を向いた。


「うふふ、冗談よ。

そうねぇ……。

そうだわっ! クララちゃんにお手紙を書きなさい」


 顎の下に手を添えた母上がアドバイスをしてくれる。


「クララに読んでもらえるかな? 代わりにダリアナ嬢が読んだりしない?」


「そうさせないためのいい方法があるのよ。ふふふ」


「方法?」


「そうよ。公爵家の封蝋を使うのよ」


 母上はさも自信ありげに鼻をツンと上にしながら、そう提案してきた。


「! そんなことして、父上に怒られないかな?」


「何を言うの? バージルの婚約者へ、正式なお誘いのお手紙です。公爵家の封蝋を使って当然でしょう」


「プッ!」


 母上はソファーに座ったままで、両手を腰にあてて胸を張った。『名案でしょう!』と言わんばかりの母上に思わず笑ってしまった。


「あら? 少しはわたくしを信じる気持ちになったみたいね。封蝋はわたくしか執事に頼みなさい。ただし、公爵家として恥ずかしくないお手紙を書くのよ。下品なお手紙は止めてね。うふふ」


「はい! 母上。ありがとう!」 


 僕は早速、クララに手紙を書いた。『僕の家で待ってるよ』と、『二人でゆっくり話をしよう』と。


 数日後、クララから『明日、訪問する』という手紙が来た。間違いなくクララの字だった。


〰️ 〰️ 〰️


 また、あの夢だ。


 天使は一人で僕のお家へ来たようだ。


『あなたの気持ちを隠さなくていいの』

『わたくしたちは、惹かれ合っているのです』

『ボブ様のお部屋へ行きたいわ』


 僕の腕にすがりつく天使。僕はそれを振り解けない。


 誰かっ! 誰か僕を起こしてくれ! こんな夢なんか見ていたくないっ!



 起きた時には、汗をかき、忘れられない映像が頭に流れていた。


 僕は急いで机へ向かい引き出しを開けた。昨日の手紙を確認する。伯爵家の封蝋にクララの文字。今日、来てくれるという返事。クララも楽しみにしてくれていることがわかる言葉。


「大丈夫……。だって、だって、クララと約束したんだから……」


 僕は自分に言い聞かせた。



〰️ 〰️ 〰️


 そして僕は朝から、執事と一緒に図書室の窓際のいつもの席に花を飾り、クララと語る本を探す。母上は午後から出掛けてしまうらしく、クララと会えないことを残念がっていた。




 それなのに…………


 約束の時間に来た伯爵家の馬車から降り立ったのはダリアナ嬢だった。僕は怒りより、夢の映像の渦に飲まれてしまいそうで、立っているのがやっとだった。


「こんにちは。ボブバージル様っ!

お義姉様は急に具合が悪くなってしまって、来られなくなりましたの」


 ダリアナ嬢は、さも、自分がいることが当たり前のようにニコニコしながら言った。いつも以上に着飾った姿。姉の具合が悪いことを伝えるだけならあまりに仰々しい格好だ。


「それなら、今からお見舞いに伺うことにするよ。まだ明るい時間だし、大丈夫だよね?」


 僕はこの状態から離れるべく提案した。


「お義姉様はボブバージル様に心配をかけたくないからと、わたくしを寄越したのですわ。ボブバージル様が我が家に行かれてしまったら、お義姉様のお気持ちを無駄になさることになりますわ」


 『心配なのはクララのことか?自分がここにいられなくなることか?』僕はダリアナ嬢の言葉を素直にとることはできない。


 どちらにせよ、ダリアナ嬢と二人なんてとんでもないことだ。そんなことをすれば、どんな話にされて噂を撒かれるかわかったものではない。


「そうか……。そこまでいうなら、訪問は諦めよう。伝言ありがとう。お帰りいただいて結構だよ」


 僕ははっきり拒絶したはずなのに、ダリアナ嬢は僕の腕にからまってくる。


「もう、真面目さんねっ!

ここにはお義姉様はいないのよ。あなたの気持ちを隠さなくていいの」


 ダリアナ嬢が卑猥さを感じさせる上目遣いで僕を見てきた。


 僕が僕の気持ちを隠すだって? こんなにはっきり拒絶しているのにわからない相手に、何をどう隠すというのだ。僕が会いたいのはクララだ。ダリアナ嬢とは一刻も早く離れたい。それが僕の気持ちなのに……


「初めて会ったあの時、わたくしを見て、あまりの美しさに驚かれたのでしょう?

あの時のボブ様ったら、とても可愛らしかったわぁ。すぐにわたくしに一目惚れしたのだとわかりましたもの。

わたくしも一目見たときから、ボブ様のことをステキだなって思いましたのよ。

わたくしたちは惹かれ合っているのです」


 誰が誰に一目惚れだ? 僕は一目惚れなどするタイプではない。相手を観察し、相手の性格などに少しでも興味を持たないと付き合いができないタイプだ。

 ダリアナ嬢に対しては、興味どころか嫌悪しかない。付き合いなどできるわけがない。


 それなのに……

 

『わたくしたちは、惹かれ合っているのです』

『その天使をどんどん好きになっていく』


 僕の頭はグラグラする。これは夢? 現実? どちらの天使が言ってる言葉だ? グラグラ、グラグラ、倒れてしまいそうだ。


「やっとお義姉様の目のないところで二人になれたのです。ボブ様のお部屋へ行きたいわぁ。お部屋からは、メイドにも出ていっていただきましょうね。

本当の二人きりになるのよ」


『ボブ様のお部屋へ行きたいわ』


 そんな勝手はゆるさない。


 天使は僕の手を握りしめてきた。僕は天使を思いっきり振り払い、側にいたメイドに抱きついた。メイドは僕の顔色の悪さに悲鳴をあげて執事を呼び、僕は部屋に運ばれた。


 ダリアナは部屋までは来なかったから、執事が僕の意思をわかってくれたのだろう。



 夕方、母上が僕の様子を見に来てくれた。


「公爵家からの誘いを断るのに、家令が来なかったのですってね。一応、抗議のお手紙はしておいたわ。それにしても、姉のいぬ間に男の部屋へ入ろうだなんて、礼儀も淑女もあったものじゃないわね。クララちゃんにとってよいことには思えないわ」


 母上に僕の心配事が伝わったようで少しホッとした。


 でも、夢の話は家族にもできない。



 だって…………頭がおかしいって思われてしまうから…。


〰️ 〰️ 〰️


 それからというもの、何度手紙を出してもクララから返事が来なかった。


「公爵家の封蝋を無視できるなんて、どういう神経してらっしゃるのかしら?」


 母上は腕を前で組んで怒っているが、意味がわからない。


「どういうこと?」


「クララちゃんにお手紙が届いていないんじゃないかって思うのよ」


 僕はあまりのことにあ然とした。伯爵家が公爵家の手紙をなかったことに……

 普通なら……できない。そう、普通なら……


 ダリアナ嬢の母親が普通の人か……?



 僕はとても不安になって、もうしばらく待っても返事がなかったらマクナイト伯爵邸へ行ってみようと思っていた。



〰️ 〰️ 〰️



 僕はまた夢を見た。


 『お義姉様、ボブ様はわたくしと惹かれ合っているのです。そろそろ諦めてくださいませ』

『お義姉様は公爵家にはなれないでしょう』

『ボブ様にはお義姉様は全く相応しくないの。相応しいのは、わたくしのような美しい女なのよ』


『ジルはダリアナが好きなのでしょう?わたくしはダリアナには敵わないもの』


 クララが泣いている。


 天使を抱きしめる僕。


 足元には、泣き濡れているクララ。


 僕はクララを助けたいのに――僕の体は動かない。


 誰かっ! 誰か僕を起こしてくれ!

 僕は……僕はクララを……


『クラリッサっ! 君はダリアナを虐めているそうだなっ! 婚約は破棄だ!』



 僕の怒鳴り声で僕は目を覚ました。僕はそんなこと言いたくないっ!


 まだ真っ暗な時間、僕は一人ベッドの中で涙が止まらなくなった。

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