第2話 天使との出会い
すごく楽しかったマクナイト家での日々だったが、残念ながら突然終わりを告げた。
僕たちが十二歳の時、クララのお母上様が馬車の事故で亡くなってしまった。馬が急に暴れだしクララのお母上様は馬車から投げ出され、その上に馬車が倒れたそうだ。
クララはとても悲しんでいた。僕もすごく悲しかったけど、クララを慰めるのは僕しかいないと思った。僕はできる限り伯爵様の家へ行きクララの隣にいるようにした。十二歳の僕には何も上手く言えないけど、クララの手を引き図書室へ行って、クララの好きな本をクララに読んであげた。お母上様のように上手くはないけれど、何度も何度も読んであげた。クララは少しずつ一緒に読んでくれるようになっていった。
クララやマクナイト伯爵様が黒い服を着なくなった頃、伯爵様のお家の感じが変わったなと思った。
「新しいお義母様がいらしたの。一つ違いの義妹もできましたのよ」
クララは家族が増えたことを喜んでいた。
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クララから新しい家族の話を聞いた日から、数週間後の夜、十三歳になっていた僕は不思議な夢を見た。
一冊の本を写真付きで読んでいる……というか、演劇を見ている……というか、自分が演劇に出ている……ような、そんな不思議な夢だった。
クララと僕がお菓子を食べながら話をしていると、まるで天使のような女の子が現れる。その天使は僕を散歩に誘う。
『きっと、ボブバージル様にもお気に召していただけるわ』
『わたくしのお話ならきっと楽しんでもらえますわ』
僕はとても明るい笑顔で可愛らしく話をするその天使をどんどん好きになっていく。
僕は目を覚ましガバリと起き上がった。夢が頭にまとわりつく。意味はわからないけど、頭がすごく痛かった。汗で寝間着はぐっしょりと濡れていた。
夢なのに……なぜか全く忘れることがない。とてもザワザワする。
〰️ 〰️ 〰️
その夢を見た日はクララの家へ遊びに行く約束をしていた。僕はいつものように本を持って行く。クララが笑顔で迎えてくれて二人でメイドの後に続く。
いつものように、応接室に向かう……
ではなく、
今日は温室に置かれたテーブルに案内された。いつもは、応接室か伯爵邸に来客があればクララの部屋だった。
温室に入った瞬間に既視感に襲われ足元がグラついた。そんな情けない姿を前を歩くクララには見られずに済んだ。
「え? 今日はこちらなの?」
クララも不思議そうにメイドに聞きいている。
「はい。奥様からそのように承っております」
「お義母様が……、そうなのね……。わかりました」
クララも残念というか疑念というか……。納得していないことが伝わった。かといって、何かをされたわけではないので、これ以上抗議できる状況でもない。
いつものように並ぶお菓子や果実水。でも、今日の僕はなんだかグラグラして頭痛もする。
何かおかしい。
クララとの話もなぜか頭に入ってこない。
そして、鈴の鳴るような声は突然降ってきた。
「お義姉様。こちらにいらっしゃいましたの?」
そちらに振り返って、僕はあまりの驚きに思わず立ち上がった。椅子が倒れて、メイドが急いでかけつける。僕は背中に汗が伝うのを感じた。
夢に出てきたテーブル。
夢に出てきた植物たち。
そして、夢に出てきた天使が僕たちの方へとやってくる。微笑みをたたえながら……。
「ふふふふ」
天使が、優しそうな瞳で笑う。きっと、僕が立ち上がったことを笑っているのだろう。
しかし、馬鹿にしたような笑いではない。何かを認めるような、……そんな笑い方。
『そうよね、気持ちはわかるわ』
『わたくしに見惚れているのね』
天使は自信を持ってそう言っているようだった。
その微笑みをたたえたまま、しずしずと僕たちに近づいてくる天使。
僕は額に流れる汗も拭けずに固まっていた。
「ジル。先日お義母様と義妹ができたって言ったでしょう。彼女がわたくしの義妹のダリアナよ。
ダリアナ。わたくしの婚約者のボブバージル様よ」
クララは当たり前のように僕らを紹介した。天使の名前はダリアナというらしい。確かに伯爵様の再婚話は聞いたが、随分と前だった。今更紹介されることに違和感を覚えずにはいられない。
「はじめまして。伯爵家が次女ダリアナでございます。わたくしもジル様とお呼びしてもよろしくて?」
小首を傾げてお願いする様は何もなければ頬を染める男は多いのだろう。
しかし、夢と現実との相似と相違に戸惑い、なんとも言えない苛つきが消えない僕には、媚びているようにしか見えなかった。
自分に気合を入れて拒絶の気持ちを表に出す。
『ガッタン!』僕はわざと乱暴に座った。
「ギャレット公爵家次男のボブバージルだ。ジル呼びはクララにしか許していない。ご遠慮願いたい」
まずは、ジル呼びに対しての抗議のつもりだ。初対面で馴れ馴れしい。どれだけ自分に自信があるというのだ。
僕の見たことのない態度にびっくりしていたクララだったが、クララだけの呼び名だと僕がはっきりと言ったので、少し顔を赤らめて俯いた。可愛らしいなと思った。
「……そうですのね。わかりましたわ……」
拗ねたような顔をしたダリアナ嬢だが、一度肩を上下させて切り替えたようだ。
「わたくしもお茶をご一緒してよろしいかしら?」
さすがに初日でこれは拒否できない。
「どうぞ」
僕はなんとなく夢のようになりたくなかった。
わざと立ち上がりクララの隣の椅子を引いて、ダリアナ嬢をその席へ誘導した。ダリアナ嬢が座るのを確認すると、僕は先程の椅子へ戻る。
僕が見た夢では、クララとダリアナ嬢が僕を挟んで座っていた。そして、ダリアナ嬢はことあるごとに僕に触ってきていて、とても気持ち悪かったのだ。
だから、ここではダリアナ嬢を誘導して、僕とダリアナ嬢でクララを挟んで座る形にした。
僕は心がけていつものように読んだ本の話や季節の話などをした。
ダリアナ嬢が時々話しかけてくるが、流行りのドレスの形やダリアナ嬢の友達が持っていたという扇の話だった。
それらについて、僕は全く興味はない。
紳士としてはそれを表に出さないのかもしれない。でも、最初にダリアナ嬢を『馴れ馴れしく図々しい』と感じてしまった僕はそれをしなかった。
クララがキョロキョロと何度も僕とダリアナ嬢を見比べている。話の合わなさに戸惑っているのだろう。僕が興味がない話だと表していることが、クララには伝わっても、ダリアナ嬢には伝わらないようだ。なんとも複雑怪奇な時間が流れる。
こうして不可思議なお茶会をしていた。しばらくすると、そこへマクナイト伯爵夫人がやってきた。
「はじめまして、ボブバージル様。ダリアナの母でございます」
優雅にカーテシーをしたご夫人はとても美しく、ダリアナ嬢に少し似ていた。
だがっ! 『ダリアナの母』はおかしい。今はクララの母でもあるはずなのに……。きっとそんな気もないのだろう。『クララは将来、僕と幸せになるのだから、今は我慢だ』と自分に言い聞かせる。でも、『いつか伯爵様には忠言申し上げなくてはならない』という決心もする。『子供の僕が言うより、父上か母上に言ってもらおう』僕は両親に相談しようと思った。
僕の考えを知る由もないマクナイト伯爵夫人が妖しく微笑んだ。
「クラリッサ。少しお話があるの。お部屋に来てもらえるかしら?」
「え?」
クララは咄嗟に僕の顔を見た。
『クララのお客』が来ているのに呼び出しとは、失礼極まりない。そんな常識さえも知らないのか?
常識を弁えているクララは、席を外す無礼を気にしている。
「クララ。構わないよ。僕はそろそろ失礼しよう」
「いえ、お時間はかかりませんわ。
そうだわっ! ダリアナ。ボブバージル様のお相手をしっかりしてちょうだいな」
「わかりましたわ、お母様。ボブバージル様、お庭へ参りましょう」
僕の意見など聞かず二人で話を進めていく。本当に図々しい親子だ。
しかし、マクナイト伯爵夫人からの言葉だと、理由なく断る訳にもいかない。変に断るとクララの立場も悪りそうだ。
「あ、ああ……。
クララ。待ってるよ。後で二人で話をしよう」
「ジル。……わかったわ。後でね」
マクナイト伯爵夫人の後ろにクララがついていき、温室を出て行った。
ダリアナ嬢が僕の腕を取ろうとしたので、何もないことのように、サッと避けた。
散歩に連れ出された僕は腕は組まないものの、話は上の空で頷き決して笑顔はない。しかし、その天使はそんなことは全く気にせず、一人でしゃべり一人で笑い、笑う度に僕に絡みつこうとする。僕はそれを避け続けた。
「このお花はわたくしが植えさせたのですよ。お義姉様は全くお庭に興味がないようですの。淑女らしくありませんでしょう?
ですから、わたくしのお庭にしようと思いますのよ。きっと、ボブバージル様にもお気に召していただけるわ」
その言葉を聞いたら、目眩がして少しグラついた。そうだ! 夢でもそんなことを言っていた……。まさか……。
しかし、クララは決して庭に興味がないわけじゃない。お母上様のことがあって離れていただけだ。
最近になって、僕に庭師との話もしてくれるようになった。そうやって少しずつお母上様のいた空間といない現実の折り合いをつけていっている途中なのだ。それを邪魔してほしくない。
そうは思うが、夢での言葉が頭に流れこんできて強く抗うことができない。
「まあ、ボブバージル様。お疲れですの? お義姉様のお話って難しいことばかりで、疲れてしまいますわよね。わたくしのお話ならきっと楽しんでもらえますわ。ふふふ」
僕は東屋に連れて行かれた。
歩く道筋が夢と被る。
話の内容が夢と被る。
天使の笑顔と被る。
とても気持ち悪かった。さらに足元がおぼつかなくなる。
「大丈夫ですか?」
天使が僕の手を握りしめてきた。さりげなく振り払い、自分の右目を覆うように顔を隠す。
メイドがお茶を持ってくる。ゆっくりなどしたくはないが、頭痛がひどくて動けない。
『クララが来たらクララで癒やされよう』
そう思って我慢した。
しかし、その後でクララが来ることはなかった。約束の時間になってもクララは現れず、僕は家へ戻った。
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