二日目~リバースデイ~


 ――遠い遠い銃声が響いた、ああまた夢だ。バレッタは無意識にそれが夢であると理解した。意識的に理解するのは夢から覚めた時だろう。戦場、自分はΠパリスを駆っている。そのセンサーが遠くの銃声を拾った。それはきっと大事なもので、失いたくないもので、だけど届かなくて。だから今も最前線にいる。この夢を終わらせたくて、初めての敗北のせいで久しぶりにこの夢を見た――起きる頃には一筋の涙が頬をつたっていた。そこで「ああ、またあの夢を見ていたんだ」と意識的に理解する。戦場とは常に死と隣り合わせだ。負け=死。そうではない摸擬戦で少し力が緩んでしまったのかもしれない。「だから負けた」そんなのはもう二度とごめんだ。もう摸擬戦だろうと絶対に負けない。そう誓って朝の支度を始めた。バレッタは髪を軽く結わくと鏡の前で制服のまま寝た事を思い出す。幸い変なしわはついていなかった。安堵したまま顔を洗顔ウェットシートで拭うと、寮の部屋を出た。そのまま隣接された学園に向かう。そこで「よっ」と声をかける一日目で話かけてきたゴシップ好きの女子だ。よく見ると黒い髪の毛に銀色のメッシュが入っている。昨日は気づかなかった。「ずいぶんと話題になってるね」そう言ってタブレットの画面を見せてくる。何事かと思えば昨日の摸擬戦の様子と共に『無敗の王者フローレンシア敗れる! 生徒会長ミラール宣戦布告か!?』と目に悪い毒々しい文字で描かれていた。「これは?」バレッタが尋ねるとゴシップ好きの女子は

「校内新聞だよ、あ、私の事はリンディって呼んで?」

「よろしくリンディ、で? その記事がどうしたの?」

「あはっ、気にしてないんだね。すごい胆力!」

「ありがと」

 かなり話題になっているらしい、こうなると一挙手一投足を見られる事になる。任務遂行に当たっては厄介極まりない。リンディと二人、廊下を進み教室までたどり着く、その間にもしきりに彼女はバレッタに向かって噂の話をしていた。

「それでね、あなたが暴徒鎮圧部隊に居たっていうのはダミーの情報なんじゃないかって噂まで飛び交ってて!」

「飛躍しすぎ、それに本当にあれはまぐれなんだってば」

「運も味方につける、勝利の女神はバレッタに微笑んだのよ!」

「リンディ、嬉しいけどはしゃぎすぎ」

「あは、ごめん」

 予鈴が鳴り響く、ホームルームが始まる。フローレンシア先生が教室に入って来る。タブレットを教室の前にある、旧時代風に言うなら黒板の位置にあるモニターを点灯させる。そこには月の地図が示されていた。そこで開口一番、先生はこんな事を口走った。

「ええーおはよう諸君、いきなりで悪いが、一時間目の授業、お前達にはゴミ拾いをしてもらう」

 ゴミ拾い――ああ、要するにスペースデブリの撤去か――とバレッタは納得する。月面開発が進んだ過程で、放置された廃棄物もいくつかある。それの撤去作業をしろとのご命令だ。女子の学園といえども兵士の学び舎、命令は絶対であり、それがどんなに面倒くさい事でもこなさなくてはならない。

「全員、自分のΠパリスを非武装状態にして来るように、それが出来ない者は今すぐ学園に作業用Πの貸し出し申請をしてきなさい。以上、ホームルーム終わり」

 そう言うとそそくさと先生は教室を後にする。せわしない人だ。バレッタはそう思った。クラスメイトものそのそと更衣室へと向かう、バレッタはいつも通りに最後尾につく。これは彼女のルーティーンでもあったし、危機管理でもあった。敵に後ろを取られないようにという最低限の動き方。刺客がどこにいるのかもわからない。まあ今、自分自身が学園に放たれた刺客なのだが、とバレッタは心の中で苦笑する。するとリンディが振り返ってこちらを見やる。近づいて来ると耳打ちをしてきた。

「ねぇ、茶髪の一年生と会わなかった?」

 一通り考えを巡らせ、一人、思い当たる。ミラール先輩とかち合っていた新聞部の子だ。

「あるかも」

「その子ね、うちの部の後輩なんだけど」

 どうやらリンディは新聞部らしい、通りでゴシップ好きな訳だ。むしろゴシップを書く方なのだから。

「それでそれで?」

「その子、ああ、ソーディ=レインコートって言うんだけど、あなたにぞっこんでね、あっでも、あともう一人。ずっと生徒会長も追っかけてる」

「生徒会長ってミラール先輩の事?」

「名前知ってるんだ、そうだよ、ミラール=ブレインさん。第一次月面戦争のもう一人の英雄」

「また『もう一人』」

 歩きながら話す二人、リンディは片手を前に出して片目を瞑り謝意を示す。

「ごめん、紛らわしかったね、でも本当にそうなの、フローレンシア先生とミラール先輩は月面戦争の英雄なんだ」

 なるほど、とバレッタは合点がいった。だからああもミラールは自分に噛みついて来たのだ。同じ戦争を生き残った者が負けたという事実が信じられなくて。

「だから、私が勝ったのはまぐれなんだけどなぁ」

「まだ言うか、勝てば官軍、でしょ?」

 リンディはよほどバレッタの勝利という情報をか確固たるものにしたいらしい。新聞部のさがだろうか。それにしては何かがズレているような気もするが。更衣室にたどり着く。中に入る、パイロットスーツに着替える少女達の肌色が眩しい。その中に混ざるバレッタとリンディ。制服のネクタイを外し、ボタンをはずし、袖を抜き、スカートを降ろす、インナースーツを着る為、下着も脱ぐ。

「バレッタってスタイルいいね、グラマー♪」

「それセクハラ」

 そして身体のラインが浮き出るインナースーツを着込み、その上から騎士甲冑を装着する。

「ねぇ、スリーサイズいくつ?」

「記者って言うより変態オヤジね、黙秘します」

「つれないなー、あ、ちなみに私は78の――」

「聞いてないッ!」

 リンディを置いて行くように格納庫へと向かうバレッタ、するとそこで青い髪の、そう、ミラール=ブレインと遭遇する。どう対応していいか分からず。とりあえず会釈する。するとミラールは。

「……今日は高等部全員でかかる大掃除よ、あなたの操縦テクニック、見せてもらうから」

「――はい、私でよろしければ」

「あなたでないとダメなの」

 真っ直ぐ見据えられる、その視線に射止められる。その場に縫い留められる。そんな錯覚に陥る。そこに一際大きい声がやって来た。

「いたいた! ライバル二人揃ってるじゃないですか!」

 例の後輩、ソーディ=レインコートである。リンディがやれやれと首を振っている。いやリンディは置いて行ったはずなのだが、いつの間にか追いつかれている。

「新聞部、授業中の取材行為は禁止されているはずですが?」

「あう、でも授業内容を記事にするのはOKだったはずです!」

「……くれぐれも変な事は書かないように」

「わっかりましたー! ……行きましたか? 行きましたね? バレッタ先輩! ソーディ=レインコートです! お話聞かせていただいても?」

「いきなり越権行為?」

 するとリンディがソーディの首根っこを捕まえてずるずると引き摺って行く。

「あーあー何するんですか先輩ー」

「うっさい、もし新聞部が廃部になったらあんたのせいだかんね――じゃねバレッタ、また後で」

 バレッタはその言葉に無言で笑顔を送り手を振った。後で、とは授業後に取材をさせろという事だろうかと邪推する。そんな考えを振り切り、まずは目の前の事に集中する。まずはこの学園に慣れなければ任務は遂行出来ないのだから。格納庫の奥、ミサイルポッドを外され痩せこけたリングス001に乗り込む、計器類のチェック、ここまで学園で管理されてはなかなΠを駆っての単独行動は難しいだろう、とバレッタは考える。発進シークエンスに移行して、月の宙へと出る。相変わらず、冴え切った景色。青い地球を眼下に、白い砂地へ着陸する。月の地図を表示する、とクレーターだらけの凸凹した土地の至る所に金属反応があった。

「これがデブリ、か、用は戦争の残骸よね。機密保持のためか回収じゃなくて破壊が主な任務に設定されてるし、どこまでもきな臭いわこの学園」

 バレッタが一人ごちる。勿論、通信は切ってある。バレて怒られないように通信回線をオープンにする。流れ込んでくる音の洪水、通信しているのもお構いなしに学生たちが喋り倒している。また通信を切ろうかと思った時、ひどく低い声が響いた。

「静かに、諸君、仕事の時間だ」

「今のって」

「学園長じゃん」

「やばっ」

 ざわつきが一気に静まり返った。バレッタも息を飲む。アポロン学園の長、つまるところ創設者、齢も不明な、唯一、性別が男性であろうという事と、中年は遥かに超えているだろうという事は分かった程度だ。老人が、姦しい娘達を一声で鎮めた。そのすごみにバレッタは息を飲む。心の中で彼女は自身の意見を撤回する。此処は魔窟である。何が潜むか分からない魔物の巣穴だ。

「さて、みんな準備はいいか? 東の海まで移動する、付いて来い!」

 フローレンシア先生の号令で、全員がその場から発進する。バレッタはルーティーン通り最後尾につく。そこに隠し切れぬ鼓動を秘めながら。しばらく何もない砂地を走ると、東の海へとたどり着く。そこは鉄くずの墓場だった。Πの破片が辺り一面に散らばっている。これを強化ナパームで焼き払っていくのが今回の任務だ。それだけが唯一許された装備だった。慎重に残骸へナパーム弾をセットしていく。誤爆で仲間や自分を巻き込まないように。高等部全員でかかる一大作業だ。設置はすぐに終わった。爆破の前に、全員が撤退していく、すると、一機、ジタバタと藻掻いているΠを見かける。砂地に足を取られ、動けなくなっているのだ。バレッタは急いで方向転換して救助に向かう。

「大丈夫!?」

「あうあ、その声、バレッタ先輩?」

 どうやら相手はソーディらしかった。だが誰が相手だろうと関係無い、いそいで砂地に囚われた脚部を切断しようとして、武器の類は積んでいない事に気づく。

「ソーディ? 降りられる? こっちに乗り移って」

「は、はい」

 両機の胸部コックピットが開く、排出されるソーディ、ワイヤーを身体にセットしたバレッタが彼女を受け止める。そのままワイヤーを引き、ソーディの機体から離れ、リングス001のコックピットに二人で乗り込む。

「あ、あの、あり」

「お礼なら後で聞く」

 ナパーム弾の点火のカウントダウンが始まっている。十、九、八――バレッタはブースターを吹かして加速する――七、六、五――東の海を出る――三、二。一、零。ナパームに火が点く。東の海が燃え上がった。その炎はナパーム弾に内蔵された燃料が尽きるまで消える事は無かった。教師陣から撤退の指令が下る。帰投するΠ達。しかし、バレッタは一つ気掛かりな事があった。通信を切ると燃え残りがちろちろと火を残す瓦礫の墓場に足を踏み入れた。熱気で機体からアラームが鳴り響く。

「先輩!? 帰投命令出てますよ!?」

 バレッタはソーディの存在を半ば忘れていた。一つ、任務を遂行するために必要な情報がそこにあると、確信めいた何かが彼女を導いていた。その場所は、先ほどまでいたソーディの機体のあった場所だ。

「ああ、ロードル055……」

 跡形もなく燃え滓になっている。そこに。強化ナパーム弾の炎さえ受け付けない超合金で出来た扉。これがあった場所にソーディの機体は足を取られたのだ。

「ビンゴ」

 小声で呟いたバレッタにソーディは首を傾げる。それでいい、此処に機密兵器がある事は間違いない、後は強化ナパーム弾でも開かない扉をどう開くか、だ。そこでようやくソーディの存在を思い出したバレッタは不敵な笑みをたたえて彼女に問いかける。

「ねぇ、小さい新聞部さん? この扉、どうやって開ければいいと思う?」

「ふぇ? えっと、学園から『マスターキー』を借りてくるとか?」

 心の中で却下する、それでは学園側に作戦がもろバレだ。マスターキーとやらの信用性も無い。借りられる保証もない。バレッタはあくまで温和な口調で。

「これってちょっとした秘密の抜け穴なのよ、ね、新聞部のあなたなら分かるでしょ?」

「……なるほど、じゃあ、そこの電子ロックをハッキングするしかないですね」

 そこの、と言われ、ソーディが指さす先をバレッタは見やる。そこには確かに人間サイズの電子パネルがあった。まさかそれさえもナパーム弾の炎をしのいだとは驚きだったが。

「ハッカーのつては?」

「私、こう見えてもその筋でアポロン学園の推薦貰ったんです。電子戦要員として」

 渡りに船とはこの事だろうか、これで準備は整った。

「一度、帰ろうか」

 これ以上、此処にいると不審に思われる。バレッタはそう判断して急いで東の海を後にした。扉の位置だけマッピングして。

「放課後、東の海で集合ね」

「わ、わかりました!」

 その日の校内新聞の記事は『間一髪! 噂の転入生バレッタ=リィンカーネーション、後輩をナパーム弾の火から救い出す!!』だった。

 呆れたような、一周回って関心したような面持ちになって、バレッタはその新聞を見た。どこまでも自分の存在が派手になっていく。しかし、明日には任務も終わる。あの扉の向こうにある機密兵器さえ奪取すれば全て終わりだ。自室に戻ると暗号通信を発する。

「こちらB-1、目標を発見、回収班の準備を要請します。はい、はい。了解しました」

 つつがなく準備は終わった。

「三日もかからなかったな……ふわぁ~あ……明日で、終わり……」

 眠くなった瞼をこすり、コーヒーを淹れて、すすりながら、部活動が終わる時間を待つ、今日の分の新聞はもう出来ていたのだから、明日の朝刊の準備で終わりだろう。そう長く待つ事もない、先に東の海に向かう事にしたのだった。

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