第45話 水神マルス(3)
「私たちの方から説明しようか。
、彼はこの国の皇太子。本来なら公子と呼ばれる身分だけどね。ちょっとした事情から王子と呼ばれている。それは彼の誕生に私が関わっているから」
「あなたが? 意外ね。エルダ神族の長が関わっているとは思わなかったわ」
「もしかしてぼくだと思ってた?」
アストルが渋面で訊ねて、精霊は屈託なく微笑んだ。
「あなたの醜聞はレダさまもご存じよ?」
「有名にはなりたくないものだね。
これからは慎むよ」
これは亜掛にも誤解されかねないと気づいて。
「尤も直接、私の血を引いた子供だというわけでもない。ただもう子供を産めなくなった大守夫人の願いを聞き届けて、もう一度身籠もれるようにしただけ。それも必ず望み通りの世継ぎが産まれるように」
「でもね。そのためには普通に力を使っても無理なんだよ。リーンきみはずっと誤解してたけど、兄さんだって乗り気だったわけじゃない。叶えないと大守夫人は自殺しかねなかったから」
「?」
驚いた顔になるリーンにリオネスが苦い笑みを向けた。
「これはきみには言わないつもりだったけど、太守夫人はね、短剣を嘆に押しつけて兄さんと取引したんだよ」
「エルス。そんなこと一言も」
「言われてきみは喜ぶかい、リーン? ただでさえ純粋な人間として産まれるここのできなかったきみが」
指摘されてリーンは初めて彼の気遣いに気づいた。
だとしたら酷いのはリーンの方だということになる。
エルシアは仕方なく叶えただけ
なのに。
「与えたのは兄さんの血を一滴」
「馬鹿な真似をしたものね。人間が神族の血を受け入れたら寿命を縮めるだけだわ」
「それでも」
「それが大き夫人の命懸けの望みだった」
「三人とも」
リーンはなにを言えばいいのかわからなくて、視線を逸らし俯くしかなかった。
「それだけ大守を愛していたんだよ、夫人は。太守の子を身籠もれないことで、生命を捨てるほどにね」
「女性というのは怖いよね? 愛した人のために生命も捨てる。太守はすべて知っていけど、なにも言わなかったよ。無茶をした妻を青めもしなかった。これから産まれる世継ぎが、自分の血を引いていないことぐらい知っていたのにね」
きみはそれだけ愛されているんだよと、囁くリネオスの声がする。
初めて胸にしみ通る言葉だった。
「だから」
ゆっくのと紡がれる言葉。
初めて解かれる封印。
自分からすべてを受け入れて。
リーンはゆっくり顔を上げた。
「これがわたしの本当の姿」
金が銀へと変わっていく。青い瞳が髪と同じ色に変化していく。
それは粉れもなくエルダ神族の証。
不思議なほど拘りはない。
あれはを厭っていた姿なのに。
「翼はあるの?」
「お望みなら」
そう答えたリーンの背に純白の翼が広がる。
それは一瞬だったけれど。
「見事なものね、たった一滴の血でこれほどまで見事に神族の血を受け継ぐなんて初めてみたわ。こんな実例は」
感嘆の声で呟いてから、精雲は改めてエルシアを見た。
「あなたはこの事実を知っていで、なにも気づかなかったの?」
「どういう意味かな?」
「わからないの? あなた方はさっきリオネスさまが仰っていたけれど、純粋にエルダさまの子孫なのよ」
それぞれに重い沈黙が支配する。
その場で精霊の声だけが一言、一言はっきりと聞こえていた。
「エルダがさまが伴侶について打ち明けないのは、エルダ神疾に母なる神はいないから。エルダさまの力を受け継いだ純粋なる後継育だから。だから、他の神族は滅んでもエルダ神族は生き残った。これはわたしがアレスさまをお預かりするときに、レダさまから説明されたことよ。アレスさまの誕生を決定する会議で、エルダさまが初めて打ち明けたそうよ。地上に自らの後継者を置いた、と」
「それが」
「ボクら」
「たった一滴の神族の血であなたが変化したのもそのせいよ。エルダ神族がただの神族ではなかったから」
意外な告白だった。
それでは今まで拘っていたのはなんなのだ?
「そういう意味でエルダさまの後継者に当たる長の直系が、三人も産まれているのは幸運だったわ。今はすこしでも多くの力が、協力が必要だから」
「なんだかすべでが脚本どおりといった感じで、あまり嬉しくないね。そういうことを言われると」
エルシアにしては致しく否定的なことを言っていた。
「確かにエルダさまはいつか、ご自分の後継者の力が必要になると知っていて、地上に残したけれど、この事態をすべて計算できたわけではないわ。あなた方が生き残るための手段をただけなのよ。そう考えれば不思議はないでしょう。その証拠ににあなた方は自由に生きてきた。エルダさまから後継者だからと、枷を与えられたりしなかったはずよ」
「それは認めるけど」
結局始祖の力は偉大だったということだ。
それを越えた大賢者の力とは、どれほどのものだったのだろう?
そんなことを考えていたからだろうか。
精票の言葉に驚いたのは。
「あの蒼海石のピアスをした子供は、大賢者の血族ではないの?」
「え?」
「亜樹が?」
全員の視線が一樹へと向かう。何度目か知れない注視に、一樹は諦めの吐息をもらす。
「そうだよ。亜樹の母親はセレーネは、大賢者と呼ばれた人の娘」
「一樹」
「それって亜樹は大賢者の孫ってこと?」
「正確には転生」
唖然として固まる四人に一樹は投げやりな笑みを見せた。
「セレーネは確かに大賢者の娘だけど、正確には娘じゃない」
「どういう意味だい?」
「セレーネは大賢者を転生させるための器。そういう意味だよ。本来ならセレーネは大賢者が生きた証として、普通に生きて死ぬはずだった。この使命を果たすことなく。
それが大賢者自身の望みでもあったから。再び自分が産まれい出るときは、世界が減びに瀕しているとき。だから、そのときが訪れないことを望むと、大賢者はセレーネに言い残していた。
それに大賢者の転生を産み落としたとき、セレーネは間違いなく死ぬ。それがわかっていたから尚更時が訪れないことを願ったんだと思う。形だけの器でも娘として愛していたから」
まるで亜樹と杏樹のことのようだと、リーンたちは思っていた。
杏樹は亜樹の影。魂のない器。産まれる前の記憶を辿っているような亜樹の半生。
大賢者が背負っている宿命からは逃れられないのか?
「でも。それが事実なら、年代が合わないよ? 大賢者の娘ならセレーネという女性が生きていた時代は、もっと古いはずだよ。だって大賢者は創始の神々が姿を消した直後の人物なんだから」
そう。
リオネスが指摘するとおり、大賢者という人物は、かなり不思議な一面があった。
神々が消した後、人々が希望を失っているときに不意に現れ数々の部跡を起こし、そうして伝説となった人物。
年代はほぼ古代。
亜樹の母親が大賢者の娘だというなら、絶対に年代が合わない。
「セレーネは世界が危機を迎えたとき、大賢者を転生させるための器だぜ? なんの力も持っていないと思うのか? リオネス?」
「まさか。世界を越えるついでに時も越えた?」
それはかなり強大な神力が必要とされる術だった。
リオネスの指摘にさすがの精霊も驚いている。
まさか亜樹が大賢者の孫に当たる人物だとは、欠片ほども思っていなかったからだ。
エルシアたちのように直系子孫だろうと思っていた。
大賢者というのが、そこまで持出した能力を持っていたなんて意外だった。
時を越えるだけでも、かなりの神力が必要とされるのに、ついでに世界も越えたとなると、それはもう創始の神々さえ比較にならない力。
その基盤となった大賢者は、そしてその転生たるあの子は、一体どれほどの力を秘めているのだろう?
「これで謎は解けただろ? 亜樹の正体は大賢者の転生。世界を救うために生まれた救世主。そういうことだ」
「この世界を救うために転生した? 亜樹が? ちょっと待ってよ。だったらどうして一樹は、そこまで詳しく知ってるの? そういえば文献では、大賢者には常に付き従う聖獣がいたとある。まさか一樹は」
「おれか? お察しのとおり人間でもねえよ。亜樹が転生する場に聖獣は存在できなかった。だから、人として生まれただけの存在。
亜樹の封印が解けていけば、おれの封印も解けていく。そうすれば次第に力が増し、創始の神々とも互角の力が手に入る」
一樹の口調まで変わっている。
いつから彼はすべて思い出していたのだろう?
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