第44話 水神マルス(2)
「寧ろ感謝しているわ。アレスは自分のしていることがわかっていないのよ。無意識に放った力がなにを招くかも理解していない。あなた方の申し出は、そういう意味では有難いわ」
「意外な言葉だね」
その真意を計りかねるように、エルシアは瞳を細めて精霊を見ていた。
誇り高い炎の精霊が、自分たちに礼を尽くすのは何故か。
その意味を探ろうとして。
「我が主、炎の女神レダさまからのお言葉をお伝えするわ」
「レダからの言伝て? 私たちに?」
ピンと張り詰める空気がそこにあった。
一樹もリーンも息を呑んで成り行きを見守っていた。
久しくなかった神々のやり取りを。
「炎と海の申し子を風の寵児に託す、と」
「え?」
「ちょっと待ってほしいな。いきなりそんなことを言われても」
「大体アレスの性格だと気が向いたら、どこかに消えちゃうんじゃないの?」
それぞれに尤もな意見を口にする三兄弟に、精霊は力なく微笑む。
「アレスは神々の最後の希望なの」
「最後の希望」
噛み締めるように吐いたのは一樹だった。
なにを思い出しているのか、苦渋に満ちた表情をしている。
「この言葉の意味を説明する前に、あなた方が成したことを説明して下さらない? そこにいる人間、いえ半人間というべきかしら? どうしてあなた方の眷属なの? それを説明してほしいわ」
「出すぎた真似だね」
鋭く言い返すエルシアに、精霊も一歩も退かなかった。
「あなた方がなにか行動を起こしていることは、レダさまもご存じよ。その上で最後の希望であるアレスを、いえ、アレスさまをあなた方に託そうとしている。その意味をはき違えないでくださいな。
それからアレスさまの攻撃を防ぐのに助力したあなた」
振り向かれた一樹が、真っ直ぐに炎の精霊の眼差しを受け止めた。
「今起きていることをすべて打ち明けて頂くわ。それが神々の総意。もしもあの蒼海石のピアス
アスをしている子供が」
「亜樹のことか」
いつになく険しい一樹の声である。
「彼がレダさまの仰っていた運命の子なら、あなた方はもう運命の只中にいる。逃げられはしないのよ。あの子がそうなら創始の神々が動くわ」
思いがけないことを言われて、すべての視線が一樹に集まった。
この疑間に答えられる者がいるとしたら、これは彼以外にいないからだ。
「どうして今なんだ」
「一樹?」
「まだ少しの時間はあるはずだ。亜樹がまだ普通の人間でいられる時間は残されているはずなんだ!
創始の神々はそれさえ阻むのか!」
「あなた気付いていないの? いいえ。それとも目を背けているのかしら? 世界は既に限界にきているわ。残された時間? そんなものがあると本当に思っているの? だとしたらそれはあなたの甘えよ」
精霊にキッパリ切り捨てられ、一樹は口を噤む。
「あなた方には見えない世界の事情を教えてあげる。わたしはこの世界に残された最後の炎の精霊」
この言葉にはすべての者が絶句してなにも言えなかった。
まさかそこまでとは思っていなかったので。
精霊がすでに絶減の危機にしていたなんて。
それは世界が限界にきていることの証明。
何故なら精霊たちは、創始の神々の手足となって動くべき存在だから。
創始の神々の力がそれだけ削がれていっているということ。
その現表を突きつけられて声も出なかった。
「今、創始の神々は持てる力のすべてを振り絞って、なんとか世界を支えているわ。それでも急速に表えていく力が、失われていく信仰が、世界を崩壊へと向かわせている。残された時間? そんなものはないわ」
炎の精霊故にきつく響く言葉。
だが、それは紛れもない真実で、一樹は深く頷いた。
「風の申し子であるあなた方ならわかるかしら? アレスさまがどれほど異端な存在か」
「創始の神々の直系なら、みんなあんな成長の仕方ではないのかい?」
エルシアの不思議そうな問いかけに精霊は「ああ」と頷いた。
「長すぎる時間の流れで誤解されているのね。あなた方の始祖は、あなた方と同じ成長だったわよ?」
自分たちでも知らなかったことを知らされて、エルシアたちも黙り込む。
「その前に彼の出自を聞いて不思議だと思ったことはないの?」
「あるよ。レダがラフィンを裏切ってレオニスの子を産んだこと」
リオネスの指摘にまだ気づいていなかった者たちも、また深い意味に取っていなかった者たちも、それが問題なんだと気がついた。
「ラフィンとレオニスは似ているけれど、同じ水の神だけれど、レオニスの方が力は強い。でも、神々はその血統を重んじるはず。普通ならレダがレオニスの子を産むという事態にはならない。ボクが調べた文献ではそうなっていたね。貞淑が失われていなければ、それは今も変わらない事実だと思うけど?」
「ではあなた方に関する謎は?」
「それはもしかしてボクたちが純粋にエルダの子孫であり、伴侶がはっきりしていないことかな?」
澱みなく答えるリオネスに、彼の兄たちも一樹もリーンも感心していた。
文学を愛すると言って憚らないだけのことはある。
まあこういう場面で答えられないようなら、ただの趣味で終わってしまうけれども。
リオネスの知識はかなり深いこころまで辿りついているようだった。
秘されていた真相というところまで。
彼の答えを聞いて精霊は満足そうに微笑んだ。
「その通りよ。エルダさまはご自分の伴侶については未だに打ち明けようとなさらない。レダさまもご存じないとのことよ」
「そう。だから、風しか使えないのかな? ボクが生まれ育ったときには、すでに他の神族は絶えていたけれど、他の神族は必ず二種類の力が使えたとあった。でも、ボクらには風しか使えない。ずっと不思議に思っていたことだけど」
「それだけあなた方が特別だということではないかしら?」
「私たちが?」
「特別?」
「エルダさまもレダさまも仰っていたわ。この世界が滅びに渡しているときに残された最後の神族。その長の三兄弟は歴史の転換期に重要な役目を果たす、と」
意外だと三人の顔に書いている。
そういうふうに考えたことはなかった。
「あなた方があの子と関わったことも、その一端かもしれないわね」
「亜樹のことか」
呟いてまたすべての視線が一樹へと向かう。
説明を求めて。
もう今までのように言えないの一言で逃げられないと一樹も気づいている。
だが、決心がつかなかった。
「あなた方、風の申し子はある意味で人間と神との架け橋。その中間に位置する者。純粋な神ではなく、純粋な人でもない。だからこそ、そういう位置にいるからこそ、果たせる役目もあるはずだわ」
「役目ね。重い言葉だね」
「でも、あなた方がもしアレスさまと同じ位置にいたり、もしくは創始の神々と同じ仕置にいたりしたら、おそらく人間との繋がりが絶たれてしまったわ」
「それは嫌だね。ぼくは人間がそれほどきらいではないから」
「だから、架け橋なのよ。あなた方は」
「なるほど」
確かに人間との共存を計って、公国の守護をやったりと、色々と行動を起こしてはいたが、まさかそれがすべて創始の神々に筒抜けだとは思わなかった。
それだけ父なるエルダも、自分たちのことを気にかけてくれていたというここだろうか。
「アレスさまは創始の祖々が一堂に会して、その誕生を決めた最後の希望よ」
「それはレダがレオニスの子を産むことを、全員一致で決めたってことなのかな?」
「あなたは聡明ね。リオネスさま」
答えは肯定。
まきかアレスがそういう存在だったとは思わなかった。
つまり望まれた誕生。いや。仕組まれた存在、という意味だ。
だからレダはレオニスの子を産んだ。
それが必要なことだから。
「まさか相反する性質を持つ力、炎と水をひとつにするために?」
愕然とした声に精霊は「さすがね」と呟いた。
「四元素の中で火を司るのはレダさまおひとりなのよ。水を司る方は三人いらっしゃるけれど、最強の力を秘めたマルスさまは行方知れず。しかも性別さえはっきりしていない。だから、レオニスさまの子を産んだ。わかるかしら? 彼は創始の神々の最後の希望なのよ」
「どういう意味で最後の希望なのか説明してくれないかな? 相反するふたつの力を統べるだけでは救いにはならないと思うのだけれど?」
長としてようやく真面目に取り組む姿勢を見せたエルシアに、精霊は疲れたような笑みを向けた。
「その説明の前に蒼海石のピアスをしている子供の説明。そしてそこにいる半人半神の王子の存在の意味を説明してくださる? そちらだけが説明を求めるのは筋違いだわ」
「この前にどうしてさっきから亜樹のことを、子供、子供って連発してるんだ?」
一樹が精霊の真紅の眼を見て訊ねた。
覚悟を決めるしかないと、自分に言い聞かせながら。
「あら。他にどう例えればいいの? まだ男でも女でもないあの子を?」
「......すべてお見通し、か。その上で説明を求めるなんて、相変わらず炎の精霊ってのはチが悪いぜ」
ムッとして顔を背ける一樹に育ての親として、エルシアがそっと髪を撫でた。
ちょっと悔しいのだが、一樹は逆らわなかった。
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