第43話 水神マルス(1)
第十章 水神マルス
「エルス。どういうつもりで彼を連れてきたんだ?」
宮殿に帰るなりエルシアたちはアレスの素性を打ち明けて、彼をエルダ山に連れていくことを意思表示した。
その後でアレスは物珍しそうに宮殿を見ていたが、亜樹や杏樹に誘われて無邪気について行った。
残されためはエルダ神族の三兄弟と、一樹とリーンだけだった。
事情を聞いていなかったリーンが、険しい表情でエルシアに詰め寄っている。
彼にしてみれば明日、彼らが帰るときに亜樹も同行するのだ。
そこにまったく異常の新しい神族など連れて行ったら危険なだけだ。
ましてやさっきの説明によれば、自己制御もできなければ、暴走させた自覚もないときている。
これだけ厄介な相手を亜樹に近づけてくれたことで、リーンはかなり怒っていた。
「どういうつもりって、まさに乗り掛かった服というやつだね。あれを見てしまうと見過ごしにできなかったというか」
「リーンは見ていないから自覚できないだろうけどね。彼の力は実際、かなり強いよ? 制御できなければ危険だよ。さっきだって一樹がいなかったら、君の領土は大変なことになっただろうね」
アストルの言葉にリーンが一樹を見た。
言葉の賞味を問うように。
「正直なところ、あの炎を消せるとはおれも思わなかったな。炎が意思を持って燃え広がってるんだから。それを自分たちに向かわないようにして、更に消してしまう。言葉で言えば簡単だけど、実際のところはかなり難しかった。ひとつ条件が違ったりもしくは力を発動させるタイミングを間違えたりしたら、たぶんおれの手には負えなかったと思う」
「きみがそこまで言うなんて」
一樹は自信満々なタイプではないが、よほどの事態でもないと弱音も吐かない。
エルシアたちに鍛えられて来たのだから当然だ。
その一樹が弱気な発言をしたことでリーンはかなり驚いた。
それはそのまま攻撃したアレスの力が、防ぎようがないほど強かったことを意味するから。
それを無意識に攻撃した?
とんでもない話である。
神々の落とし胤かなんだか知らないが、そう簡単に気まぐれで領土を燃やされては適わない。
「しかもね。彼の恐ろしいところはそこだけじゃない。水にとっての相反する存在。炎。炎にとっての大敵である水。その両方を従えていることにある」
「あ」
「ピアスも見せてもらったけど、ボクらの常識から見れば完全な異端児だよ。。なにしろ右耳は真紅、左耳は薄紺なんだから。これがなにを意味するか、リーンにならわかるでしょ?」
「つまり彼は水も炎も完璧にそして同時に操れる、と?」
リーンの博然とした問いかけに、
って答えた。
「今の時的ではあくまでも仮定だけれどね。今の彼では力の持ち腐れ。せっかくのカも十分に発揮できないだろうから」
「生まれて一年なんだって。直接、女や海神を両親に持つとすごく成長が異端なんだね。驚いたよ、ボクも」
逆にリオネスたちの場合だと成長はすごくゆったりしている。長寿なのはそのせいだ。
成長が非常にゆっくりしているのだ。
だから、いつまでも苦々しい姿を保っていられる。
でも、それはせめでリオネスくらいにまで成長すると、有り難みを感じるようになるが、小さい頃は鬱陶しいだけだったりする。
いつまでもハイハイをしているような状態が続くと、ストレスを溜めるなと言われても無理だ。
アレスと違って自我だけは、時の流れに従って成長するので。
ただし一定の年齢に達した後は自我も成長を止めてしまう。
そんな常識の中で生きてきた後の神族であるエルシアたちにとって、アレスという存在はまさに異端で非常識極まりなかった。
なにからなにまで自分たちとは正反対なのだから。
急激に成長しながらも心は生まれたままの赤ん坊。
一種の恐怖さえ感じてしまう。
一樹の常識で言えば、まさに子供によけいな知恵を与えた状態だった。
子供によけいな知恵を与えると、危険なことしかしない。
それは危険なことだと体験して覚えていくからだ。
だから、過剰な知識は与えず体験し成長させていく。
日本では常識的な考えだが、こちらではそういう意識が薄かった。
今、エルシアたちはその恐ろしさを嫌というほど噛みしめているだろう。
恐怖を知らない子供に凶器を与えたらどうなるか。
その現実を。
誰もがアレスという存在の危険性に気づき、黙り込んでしまったときに快活な女性の声が割り込んできた。
「お話し中よろしいかしら?」
「これは炎の精霊殿。若君のお守りはよろしいのかな?」
振り向いて嫌味で答えたのはエルシアである。
どうやら根に持っているらしい。
嫌味なことに丁寧な口調まで真似ている。
これでも精霊として神々の血を引く、それも最高神エルダの末裔だからと気を遣っているのに。
さすがに風の申し子。
アレスに負けず劣らず気まぐれで自尊心も高く扱いにくい。
レダもよく言ってくれたものだ。
彼らに協力させるなどと。
「あなた方も相当偏屈ね。これでも精霊として最高神エルダの末商であるあなた方に敬意を表しているのに」
「風神エルダが最高神?」
意外そうなエルシアの声に精霊は勝ったと思った。
彼らは自分たちの血統の素晴らしさを理解していない。
してやったりといった気分だった。
「実際のところは謎なのよ。でも、神々を力の強さで並べていくと風神エルダ。海神レオニス。大地の女神シャナ。炎の安神レダ。そして湖の神ラフィン」
「ちょっと待って。水神マルスが抜けてるよ?」
些細な力を持った神々まで入れればキリがないから、そういう意味で切り捨てられたならわかる。
だが、水神マルスは水に関するすべてを統べるいわゆる太祖だ。省いていい存在じゃない。
リオネスの尤もな指摘にファラは肩を嫌めた。
「水神マルスは言ってみれば例外」
「例外」
「なにしろマルスさまのご弟妹であるレダさまたちですら、その性別さえご存じないの」
「冗談」
「じゃないわ」
強張った顔で言いかけたアストルの言葉を遮って、ファラは大きなため息をつく。
「風神エルダと水神マルス。このふたりが事実上、最強の力を秘めた最高神なのよ。それに水と風は密接な繋がりがある。そのことは風の申し子であるあなた方ならわかるでしょう?」
「まあ、ね。私たちにとっても他人事ではないという程度の理解ではあるけれどね」
「ご調通を。アレスの力を防いでみせた方々の意見とは思えないね」
「それは怒っているのかな?」
小首を傾げるリオネスに精霊はかぷりを振ってみせた。
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