第46話 水神マルス(4)
「いつ思い出したんだい、一樹? 自分の正体とか、自分の使命とか」
エルシアの気遣う問いかけに、一樹は皮肉な笑みを浮かべる。
「まさか世界を越える能力を取り戻したとき?」
「察しがいいよなあ、リオネスは。その通りだよ。世界を越える力を取り戻したとき、自然と思い出せた。だから、エルスたちに挨拶もせずに世界を越えたんだ。早く逢いたかったら。護らないといけなかったから」
理屈じゃない。
それは自分の魂に刻まれた信念。共に存在しなければ生きている価値がない。ただそれだけのことだった。
「じゃあ翔はなに?」
「カケルって?」
「一樹の双子の兄だよ。彼も杏樹と同じ存在?」
説明によれば亜樹の力の封印と解放を司ってるってことだったが。
「なんでそんなに頭の回転が速いんだよ、リオネスは?」
隠したくても隠せないと嘆かれて、リオネスは自分が指摘したことが当たっていたことを知った。
「大賢者の文献を調べて、リオネスはなにを思った?」
「なにをって。そうだね。ちょっと変わった人っていうか。いつも聖獣といて、あまり人と関わらなかったところとか。絶対に人を手に掛けなかったところとか。当時の資料を当たると不自然な点が多かったね。あの当時だと人を殺さないっていうのは、かなり難しいことだったと思うんだけど」
「そりゃあおれがいたからさ」
「あ。じゃあ大賢者を狙った刺客が、いつのまにか殺されていたっていう伝説は」
「そう。犯人はおれ。あいつを守っていた聖獣さ。ただあの頃はそれでよかった。聖獣として存在していても、不思議に思われなかったし、自分を満たしてくれるあいつの力の波動もあった。その暖かさでなんでもできた。でも」
「転生したときは離れ離れだった?」
確認に一樹は小さく頷いた。
生まれ落ちたときの記憶がよみがえる。
望んでも得られないぬくもりを、暖かさを探して泣いていた自分。
その傍らの相棒はなにも考えずなにも知らず、幸せに生きていた。
「しかもまずいことに聖獣が転生するには、向こう側の人間の器っていうのは脆すぎた」
「まさか翔も杏樹と同じ?」
交わされる会話の意味が掴めない精霊が、エルシアに訊ね亜樹と杏樹の関係を知り、純粋に驚愕していた。
彼がそこまで普通ではなかったとは。
「おれと亜樹は同じ罪を犯してる。
その元を正すと世界を移動したセレーネに辿り着くんだけどさ。でも、セレーネもきっと亜樹を護りたかったんだと思う。自分の子であるのと同時に自分の親でもある最愛の亜樹を」
「そう。やっぱり大賢者と人々の祈りが生み出す救世主は繋がっていたのね」
不意の精霊の声にすべての視線が集まった。
「レダさまが仰っていたのよ。人々の祈りは神々の力の源。それほどの願いが、なにも生み出さないわけがない。必ず自分たちの希望を、救いを具現化させると。それが大賢者と繋がっているかどうか調べるように、わたしは言いつかっていたの」
「そっか」
「聖獣のことまでは知らなかったけれど。あなたも大変ね」
ガーターという言葉で誤魔化したのも、それが自分の名前だったから。
亜樹が、かつて大賢者がそう呼んでいたから。
今は一樹だ。
大賢者の名前が変わったように、自分もまた変わった。
だから。
「これで次はきみの番だね?」
促すエルシアの声に精霊はかぶりを振った。
「まだなにか? ここらはすべての手の内を明かしたよ」
「いいえ。まだ肝心なことを打ち明けていないわ。大賢者の出生。大賢者は何者? どうしてそんなに特別なの? 守護聖獸が付き従っていたり、世界を救うために転生したり不自然な点が多すぎるわ」
また視線が集まって一樹はやりきれない吐息をもらした。
「これは言いたくなかったんだけどな。おれは守護聖獣は元を正すと水神マルス」
「まさかそんな」
絶句する精霊に一樹が笑う。皮肉な笑みで。
「一度、世界が滅びかけたことがある。これは誰も気づかない間に処理された。マルスの力で」
「まさかマルスさまは」
「そう。そのときに息絶えた。すべての力を使い果たして。マルスが死ぬその直前に現れたのが後の大賢者。あいつが誰なのか、おれだってマルスだって知らない。でも、その力でマルスは消滅から免れた。もう神として存在することはできなかったけど、生き残ることができた。
でも、弟妹神たちの元へは戻れなかった。元の姿さえ失い、獸と化した自分を憐れむのがわかっていたし、そんな目には遭いたくなかった。そうしてどこにも行く宛のなかったおれをあいつが拾ってくれたんだ」
「一樹」
「世界が滅び掛けた原因を作ったのが、マルスの弟妹神たち」
「どういう意味なのですか?」
無意識に精霊の口調が変わっている。
一樹が最高神マルスの生まれ変わりだと知って。
一樹はそのことに気付いていたが、この場では指摘しなかった。
マルスだと知られれば、こうなるのはわかっていたので。
それでも正体を打ち明けたのにも意味がある。
一樹は転生して尚、自分が確かに水神マルスであることを自覚していた。
そのため亜樹から引き離されないために、マルスとして動く必要があったのだ。
どのみち弟妹神たちの力では、マルスたる一樹には勝てないのだし。
震える精霊にかつての最高神マルスが笑う。
そこにいるのは間違いなく最強と謳われた水神マルスだった。
「まだ姿を消すには早かったんだ。世界はまだ安定していない。だけどみんなはもういいだろうと判断して姿を消した。結果として世界を支える力が不安定になり、崩壊の危機を迎えたんだ。そのことに気付いたのは、たまたま地上に出ていたおれだけだった。協力を求めている余裕はなかった。成功しても自分が助からないことはわかっていたけどやるしかなかったんだ。世界を守りたいなら」
「まさかマルスさまが亡くなっていたなんて」
「後悔はしてない」
一樹ははっきりとそう言い切った。
神としての力も地位も、すべて失っても惜しくない者を手に入れたから。
「おれは最強の力と最高神という地位を失う代わりにあいつを得たんだ。だから、後悔はしてない」
「マルスさま」
「それにおれはあいつの影響で、力の大半は取り戻していたし」
「じゃあ伝説の守護聖獣の力の強さの源は」
「本当によく調べてるな、リオンは。そうだよ。水神マルスの力だよ。おれは取り戻した力をあいつのためだけに使ってた。だから、気付かれなかったんだろ。それに元々水が関わるような力の使い方はしていなかったし」
一樹の告白はそのほとんどが衝撃的すぎて、すぐには受け入れられなかった。
まさか彼が最高神水神マルスの転生者だったなんて。
「じゃあ、さっきの弱気な発言、あれ、嘘だったんだ?」
急にリオネスに睨まれて、一樹はあらぬ方を向いた。
「最強の力を保持する水神が、あの程度の炎を消せないわけがない。
ううん。それどころか、ボクらが頑張らなくても、一樹ひとりの力でアレスの力と対抗できたんじゃないの? 力を加減して使って、しかもそれを気づかせず、弱気な発言をする演技までしてっ! こっちをみたら! 怒ってるんだよ、ボクはっ!」
「珍しい」
「リオンが本気で怒ってるよ」
ふたりの兄たちが唖然としている。
「ほんとにおまえはエルダによく似てるよ。あいつもよくおれには突っかかってきてたから」
こめかみなど掻いた発言に、リオネスは一樹の背中を思い切り殴りつけた。
「イテッ。なにするんだよー」
「このくらい我慢したら?」
最高神を全然恐れていないリオネスに、さすがに精霊は絶句した。
ここまでやるとは思わなかったので。
「全くもう」
口ではぶっぷつ文句を言いながらも、一樹は嬉しそうだった。
その原因はリーンにはよくわかる。
正体がばれても態度が変わらなかったからだ。
常に同じ危慣を抱いていて、人と接するときに構えていたリーンになら、わかる。
「ではあなたにも。マルスさまにも大賢者の正体はわからないと?」
「マルスじゃない。一樹だ」
鋭く訂正されて精霊は息を噛んだ。
彼が否定しようとそこにいるのは水神マルスだった。
何故なら力を失っていない。彼は記憶も力も持っている。
それでも神として生きず、大賢者の傍で生きようとしている。
「あなたを必要としている者が大勢いると、何故わからないのですか? エルダさまたちだって、ずっと待たれているのに」
「何故? それこそ愚問だろ? おれは一度死んだんだ。マルスはもういない」
「それは詭弁だわっ。あなたの保持している力。それが証ではないですか! 神力だって失っていないのに!」
「忘れてないか、FARAH?」
最高神として真名を呼ばれ、ファラが硬直した。
この場にいる者はみなエルダの血を引いていたので、なにが起きたのかわかる。
わかるから絶句して一樹を見た。
たった一言で精霊を呪縛した一樹を。
「おれが今ここにいるのは奇跡でもなんでもない。あいつがおれを助けたからだ。みんなが待ってることは知ってるよ。だから、正直にマルスは死んだと伝えてくれればいい。過去に戻りたいなんておれは思っていないんだよ。大体できない」
「何故?」
「エルダたちの元に戻ったら、あいつがいないからだよ」
「マルスさま」
「だから、違うって言ってるだろ? おれは、今のおれは一樹だ。あいつがいないと力を意味もない。それに」
「それに?」
告白を促すエルシアの声に、一樹は思い切って告げた。
「今のおれの力の源は、人間たちの信仰じゃなく、亜樹個人なんだよ」
「それって過去に大賢者に救われたことが原因?」
「そういうことに、なるかな?
確かにおれは助けられた後、かつての力を次々と取り戻していった。でも、あいつがいないとできないんだ。原因があいつにあることはすぐにわかった。あいつの笑顔があれば、おれはなんでもできる。神として避けていたことさえ」
「あ。そうか。守護聖獣が水神マルスの変化した姿だとしたら、さっきの告白の意味が変わってくる。
大賢者を襲う刺客を殺したって言ってた。でも、それは水神マルスにはできないことだよ」
自然界を司る創始の神々は、自らが生み出した人間を守護するべく定められた。
水神マルスはその長子。太祖とも言うべきマルスたち、創始の神々は人を殺せない。
はじめからその力を持っていないのだ。
エルシアたちがそれをできるのは、永い時の流れの中でエルダ神族が持つ力の意味が変化していったからだ。
純粋な始祖、いいや、太祖ともいうべき神々の要、水神マルスには絶対にできない真似なのである。
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