四節 道化の様に 後

 先程の速度とは比較にならない速さで走り出す、一瞬の事で、全く何が起こったのかも分からなかったが、気付いた時には廊下にいた。


「すいません、速度を間違えました、少しの間、気絶させてしまいました…」


「ごめんねー、お姉ちゃんも恥ずかしがりだからさ、君の気持ちに共感しちゃったみたいでさ、気絶させた事は許してあげてー。」


 女性の後から先程入口で先導していた少女が見え、驚くが、きっとこの人が服を作れる人なんだろうと理解する。


「はい、勿論…ですが、あの人だかりをどうやって抜けたのですか?」


「飛び超えました、ついでにN型に信号を送って、適当な理由を付けて抜け出したりしてもらったりしました。」


(妹さん…なのかな…苦労してそうだな…)


「はい!苦労してます!そのおかげで私は多分どのマキスよりも、要らないものが見えますけどね…もーあんな突風起こすから大変でしたよ、テーブルクロス、敷くの大変だったんですからね?お姉ちゃん!」


 私の顔を覗き込み、女性と同じ様に心を読み、柔らかい笑顔で返答する。


「似てますね…」


「………はい!」


 少しの間、驚いたという顔を見せて、さっきよりももっと優しい笑顔を見せてくれる。


「着きました、N型、開けてくれますか?蹴破ってもい…」


「はいどうぞ!」


「あ、ありがとう。」


「うんうん!」


 楽し気にステップを踏みながら動き回り、部屋に入る少女を見て、なんだかレニスもあったかい様な感覚に包まれる。


 部屋の中に抱えられながら入ると、先に入った少女が何かのスイッチを入れる。


 灯りが点き、広い部屋の中に所狭しと立て掛けられた綺麗な色の棒達を照らす。


「すごい…」


「でしょ?私の自慢のコレクション…」


 少女は奥へと進み、白い棒を触り、悲し気な顔をする。


「お姉ちゃん…会いたいよ…」


「N型、耽るのは後にしなさい…」


 女性が声を掛けると、寂しさを残したまま少女は笑う。


「これはね、レニスちゃんの…あ、私もレニスちゃんって呼んでも良い?」


 問題は思いつかないので、「はい」と伝える。


「ありがとう…レニスちゃん、この布で君に服を作ろうと思ってるんだー、赤いシルクのワンピース、模様が欲しかったら言って、着色剤もあるから、似合うと思うんだー。」


 少女は楽し気に生地を広げ、吟味し始める。


 自分が赤いワンピースを着ている姿を想像しても、全く沸いて出てこないのは何故だろうか。


「ハーリキンチェックなんてどうですか?」


「お姉ちゃん…アリ、天才?」


 少女は女性にぐっと親指を立てて、にっと笑む。


「それだとプリーツの方が良いかもね、じゃあ、丁度ここの奥にっ!その模様のタイプライターがっ!あったはずっ!」


 立て掛けられた生地の棒を掻き分けて、奥に進み、しばらくして赤い生地に黒の四角が並んだ布を抱えて出てくる。


「良かったー、これなら5分も掛からずに作れるよ、レニスちゃん採寸するから立ってもらえる?」


 女性がゆっくりと私を足から降ろす。


 足に体重が掛かると、義足の踵の中で、不思議な感覚が走り出し、爪先、ふくらはぎ、ふとももに伝わっていく。


「なっ!」


 謎のくすぐったさが足だけを襲い、支えてくれていた女性が、私の脇を引っ張り上げて倒れるのを防いでくれる。


「自立装置、起動して無かったんですね…後でティアムス様にきつく言っておいてあげます。」


「いや、お姉ちゃん、多分違う、足は動いてたもん、何だろう、あ、そういえばHe型お姉ちゃんが一週間前に言ってた。」


「何を?」


「ティアムス様、感覚の機能、開発できたんだって、魔素の細い糸を中に通して、それをコアに直接繋ぐと人間の感覚に寄せられるんだって。」


「なるほど、なら足の中が駆動するとなると腕の比じゃないですからね、ショックアブゾーバーとかも踵に入ってますし。」


 私は何を話しているのかは分からないけれど、彼女達が納得した事は分かった。


「あの…くすぐったいんですがっ…」


 腕を吊り上げられたまま、立てないでいると、少女が私の義足のつけ根に近いももに片手を触れ、カチカチと何かを回したり、ひねったりする。


「おーけー、これで、よいしょ。」


 カチャリと音を立てて太腿の一部が開く。


「これか…よっ!」


「痛っ!」


「よし!」


 足の中で何かを引っ張られ、一瞬激痛に襲われたが、その痛みが消えると、義手と同じくらいの感覚を残し、くすぐったさは消えていた。


「閉めてっと、痛かった?ごめんねー、C型お姉ちゃんみたいな趣味は無いから、もう痛い事はしないよー。」


「あ、ありがとうございました…あの…どうやって…」


 くすぐったさが消えた事を少女に聞くと、あからさまに喜び始めるのが分かる。


「聞きたい!?良いよ良いよ~!その前に、採寸だけするね?」


 一人で立ち上がるのを確認した女性は、私の腕を離してくれる。


「はい、腕上げてー」


 少女に従い、レニスが両腕を上げると、胸囲、腹囲、臀部の順に、メジャーで測っていく。


「おっけー、おしまーい…やっぱり結構おっきかったな…それじゃあ作りながらさっきの質問に答えるね。」


「は…はい…」


 私が返事をするのと同時に膝の後に何かが押し付けられるのを感じる。


「椅子、座って聞くと良いですよ、慣れない内は義足の付け根が痛くなると思いますからね。」


「ありがとうございます…」


「はい…レニス、貴女は感謝が多いですね、きっと貴女は誰かのおかげで生きているという思いが強いんでしょう、全く悪い事ではありません、ですが、言葉は重ねると価値が下がっていきます、外の世界へ行くつもりがあるのなら、感謝と謝罪は回数を絞った方が良いですよ。」


 諭す様に言うと、後ろから私の頭を優しく撫でて、硬かった表情を少し崩す。


「は、はい…」


 何か失礼な事をしてしまったのかと不安になったが、そうでもないらしく、唐突に頭を撫でられ、レニスは困惑する。


「もう、お姉ちゃん!せっかくレニスちゃんのテンションを上げようとしてるのに困らせないでー」


 少女は改めて布を手に取り、製図も無しにハサミを使って切り始めていた。


「そうなんですか?善意って難しいモノですね…」


 女性は、残念そうに私の頭を撫でるのを止め、部屋の一角に置かれていたタンスへ向かい、中を漁り始める。


「じゃあーこのまま話すねー」


 手を止める事無く、話を始める少女の手を見て、レニスはむしろそちらの話の方がしてみたくなる。


(何あの速さ…もうほとんど切り終わってるよ…お母さんも作ってくれたけど、あんな風に作っていたのかな…)


「さっき引っ張ったのはね…これかな…簡単に言うと魔素の糸だよ…いや、こっちか…」


 恐らくワンピースの飾りに使うであろう生地を選びながら、少女は説明を続ける。


「まそ?の糸…ですか…?」


 魔素というのはよく英雄の物語の一つにも出てきたが、私が読んでいた他の本には記されていなかったので、ふぃくしょん?というモノだと思っていた。


「知らない?ティアムス様の予想は合ってたんだ…良いよ、後で本を持って行ってあげるよ、今はとりあえず色々変容する物質だと思ってて、その物質を細い糸に加工するんだ~その糸は本来、私達の回路に繋いで使われてるんだけどね?レニスちゃんの義足に使われているのは、接続した神経にただ、受けた情報を変換して伝えるだけなの、だから、足の中が動き出すと、腕よりも中の動きが多い足は、腕と同じ感度で接続ギアを張ってると、その動きを敏感に感知して、くすぐったくなっちゃうって事。」


「は…はぁ…」


 やはり理解できない、まるで暗号を声にして聞いている様な、鳥と会話しようとしている様な、そんな感じである。


 考えれば考える程、頭が痛くなってくる様な気がして、深く考える事を諦める。


 部屋には、ハサミの音と、女性がタンスの中を漁る音がしんみりと響いていた。


「私も昔、壊れる前のH型お姉ちゃんと…C型お姉ちゃんと三人で感覚機の開発には携わってたからね~ティアムス様も、私に言ってくれれば開発、手伝ったのに…私達マキスの中でもティアムス様の人気は分かれるけど、私は好き好きアピールが伝わってるモノだと思ってたから…」


 少女は、レニスに説明するという趣旨を忘れ、口角を上げながら、眉を落としていた。


「N型、手、止まってますよ。」


 タンスで何を取り出したのか、私の後に戻っていた。


「仕上げちゃうね…ごめんレニスちゃん、今度ゆっくりできる時に、また説明するよ。」


 そう言って少女は再び、裁縫に戻る。


「髪、梳かしてあげますね、樹液で燃えた髪が生え直したのは良かったですが、ケアが出来ていなかったのは、私達マキスの失態ですね、黒髪は珍しいですから、大事にしなければ。」


 後ろから、優しく、肩ほどの長さになった髪を梳かしてくれる。


「言っても…良いですか?」


 感謝の言葉を絞れと言われたばかりなのに、つい、言わなければいけない様な気持ちが押し寄せて、苦しくなる。


 ふーっと息を吐いて、仕方ないという風に口を開く。


「私達は世話用の人形なんですから、本当はお礼なんて言わなくても良いんですよ?あなたはティアムス様のお客様ですから、私達にどんな事をしても、私達はあなたを殺しませんし、必要なら助けます、だから…」


 後ろから、硬い声ではきはきと言われ、レニスは言葉の内容に反して、女性が少し怒っている様に感じる。


「はい…」


「もっと甘えても良いんですよ?もっと、もっと、ティアムス様くらい、当然だと思っていて良いんです…だから、だから…私達に、愛させないでください。」


 梳かされる髪に、冷たくなる様なやるせなさが伝わって来る。


 この部屋の空気がどっと重くなっている事に、やっと気づく、こめかみの中がぐっと押されていく様な、緊張感がレニスを覆い、顔を銀の膝に落とす。


 布の擦れる音がはっきりと聞こえ、髪を梳かされる気持ち良さも、恐怖に似た感情に代わる。


 しばらく沈黙の時が流れ、それを打ち破る様に、少女が呟く。


「よし!できた!久しぶりの傑作かもね…」


 声に吸い寄せられ、顔を上げると、少女が私の前で、自分を隠す様に綺麗なワンピースを広げていた。


「どう?」


 ワンピースを横にずらし、少女は楽し気に笑う。


「き、れい…です。」


「そう?綺麗か…可愛い路線だと思って作ったけど、ま、いっか!」


「良い出来ですよ、レニスに似合いそうですね。」


 女性は髪を梳かすのを止め、タンスに向かう。


 硬い空気は、少しずつ、冷えたまま、溶けていく。


 冷え切ったままのレニスは、どう喜んだら良いのか分からず、椅子に座ったまま、膝の上に置いた手を握りしめ、それでいて顔には好奇心が滲んでいる。


「早く着てみて!」


 少女は自信ありげに、ワンピースをレニスの肩に押し付け、更に空気を溶かす。


「はい…!」


 ついに我慢できなくなったレニスは、少女からワンピースを大切そうに受け取る。


 ワンピースを片手と胸の間に挟み、椅子に手を着いて、立ち上がろうとするが、この不思議な義足に慣れていないせいか、よろけてしまった。


「おっと、大丈夫?」


 よろめきが治まるのとほとんど同時に、少女が私を支えようとしてくれる。


「は、はい…」


 女性に言われた事がレニスの頭に過り、少女から距離を取ろうとする。


しかし、後ろに置いてあった椅子を倒し、部屋にガタンと大きな音が響く。


 大きな音に驚き、記憶の中で関連付けられた火事の恐怖が、一瞬、再現されてしまう。


(思い出さないで…お願いだから…忘れて…私の憧れを壊そうとしないで…)


 少女が本当に恐ろしかったのは、救おうとしたものが、自分の力では救えなかったという無力感だった。


 憧れた英雄に成りたいと思っている一方で、英雄になんてなれる訳がないと否定する私がこうして時々邪魔をしてくるのだ、私の中の心が全て同じ思いだったらどんなに良いかと思う。


「本当に大丈夫?」


 心配そうな少女の顔が見え、正気に戻り、慌てて答える。


「だ、大丈夫!あっ、椅子倒しちゃってごめんなさい!」


 慌てて椅子を直す私を見て、少女があからさまに驚いた様な顔をする。


「レニスちゃん、意外と元気な声出せるんだね!てっきり喉の火傷が治って無いから声が出ないんだと思ってた!私もまだまだだったねぇ…なんて言ってみたり…レニスちゃん、君がどんな目に合ったのかは、もう分析してある。」


 先程まで豊だった表情が、女性と同じ様に硬く、真剣になっていく。


「N型!」


 タンスで作業をしていた女性が声を張り上げる。


 呼ばれていないレニスまで肩をピクリと動かす。


「お姉ちゃん!だって!」


「駄目です、貴女がそうやって無駄に真実を伝えて、一番悲しんだのは誰です?…ティアムス様は…私達が二度と間違えない様に、私達の表面だけを…本当の性格を殺さない為に書き換えたんですよ?その思いを…裏切るつもりですか。」


 何か深い訳がありそうだ、とレニスは二人の話を黙って聞き、考えていた。


 女性が先程言っていた『壊れた』話と関係があるのだろうという、簡単な事は分かる。けれど、そこまでだった、もっと深い所に行くと、この人達とどう接すれば良いのか分からなくなるような気がして。


 唐突にレニスはワンピースを着始める。


「あっ、あの!着てみました!ど、どうでしょうか…」


 勇気を振り絞って、その場を一回りしてみる。


 その場は沈黙に包まれ、レニスは何ともいたたまれない雰囲気を感じていた。


「似合ってますよ、レニス…髪、結ってあげますね。」


 女性は私を気遣うように言い、タンスに戻り、少女は落ち込んだまま少し笑い、とぼとぼと部屋を出て行こうとする。


「似合ってるよ…レニスちゃん、ごめんね、私、料理運ばなきゃいけないから…もう行くね。」


 泣き出してしまいそうな雰囲気を纏ってドアノブを回す。


「あの…素敵な服をあり…がとう…」


 ちゃんと言わなければいけないという気持ちが、忠告を追い抜かして、言葉になる。


 少女はレニスの言葉を聞いてから、振り向く事なく出て行く。


「レニス、ごめんなさい、N型は自分でも言ってましたけど、色々見えるんですよ、主に精神の動きが、私達の間では、その機能を成長させ過ぎてはいけないと言われています。ええ、貴女が今想像した通り、原因はあの子です。」


 レニスの中で、少しずつ話が繋がり始めていく。


「あの子が、外の世界に居た頃、自分の主人と深い愛を築こうと、必死に努力して手に入れた優位性でした、此処までは良かったのです。しかし、その主人が亡くなった妻のみを愛していると知った時、あの子は、主人を思う気持ちと、主人を尊重する気持ちの間で壊れてしまいました…その後の事を私が言う事は間違っているのでしょう、どうしても聞きたいのなら、本人、もっと難しくなるかもしれませんが、ティアムス様にお聞き下さい。」


 そんな過去があったと、最初から知っていたのなら、と少し考えるが、仮に私が知っていたとして、少女に私が出来る事が果たしてあっただろうかと口を噤む。


「元々、私達は深い愛を築こうとしないという設定でしたから、その前から壊れてしまっていたと言えばそれまでですが…」


 諦めを含んだ物言いにどうしていいかも分からず、もじもじと黙り込むしかないレニスは、何とも言えない気持ちでいっぱいになっていた。


「さあ、どの髪留めを使いますか?」


 また重くしてしまった空気を、少しでも切り替えようとしてくれているのか、声のトーンを少し上げて、手の平に置かれた色とりどりの髪留めを見せてくれる。


「気に入ったものが無ければ、編み込み、しますよ。」


 自分にどれが似合うのか分からず、女性に任せる事にした。


「お任せ…出来ますか?」


「良いですよ、三つ編みでカチューシャを作りましょうか、椅子に座って待っていて下さい。」


 女性は手に乗せていた飾りを握り、タンスへ向かう。


 レニスはワンピースの裾を前に伸ばして、椅子に座る。


 二人になった部屋で、立て掛けられた生地だけは依然変わりなく、部屋を明るくしている。


「じゃあ、動かないで下さいね。」


 私の右に立って、素早く髪を編んでいく。


「良い髪です。」


「え…そうですか?癖毛気味なので…どれだけ梳かしても、跳ねちゃうんですけど…」


 顔を動かさない様に気を張って答える。


「素直な髪だと思いますよ…なるほど、理解しました、きっと豊潤な魔力を含む樹液によって、回復した頭皮に魔力が余って、レニスの望む髪にしているのでしょう。」


「望む…髪…?色も変わるのでしょうか?」


 また、魔力という、よく理解出来ていない言葉を聞いて、自分でも意図の分からない質問をしてしまった。


 女性が手を止めて、息を飲む。


「これ…は…」


 動かさない様にしていた顔を、後ろにゆっくりと回す時、煌々と光る前髪が見える。


「ん?」


 前髪を摘まんで、綺麗な金色を確認する。


 私の髪は黒い髪、摘まんだ前髪は金の髪、これは、得を得られるというような、そういうモノだろうか。


 的外れな事だというのは分かっている。けれど、妄想くらいしか出来ないのも事実。


「髪に使うと、こうなるのですね、後でティアムス様に報告しなければ、戻って下さい?続きをやりますから。」


 レニスの頬に、女性の冷たく張った細い指が触れ、顔を前に向ける。


 自分の前髪を気にして、上を見続ける。


(赤になったりするのかな…)


 そう思った時には、前髪はミズバラの様に赤く染まっていた。


「レニス、コロコロ色を変えられるのは凄いけど、服と合わなくなるから、金か、黒にして下さい。」


「わ、分かりました…」


 目を閉じて黒い髪を想像する。


(黒黒黒黒黒…)


「ん、はい、それで良いですよ。」


 瞼を開けて前髪を確認する。


 黒く染まっている。何ならさっきよりも艶を持った黒である。


 これ以上驚く事も無く、想像しうる事なら何でもあるのではないかと思えてくる。


「終わりました。」


 編まれ、結ばれた髪を触れて確認する。


 触れた手に伝わって来る丁寧な編み込み、触るのが癖になりそうだ。


「崩れない様に絶妙な編み方をしましたが、そんなに触られると少し不安になるので、やめて下さい。」


 はっと気付いて、すぐに手を離す。


 きょろきょろと部屋を見て、女性が鏡を持ってくるのを待っていると、先程少女が触れていた、白い布が目に留まる。


 どこかで見た様な…まぁ、白い布なんて、どこにでもあるのだろうから、見たのだろうが、そういう事ではなく、懐かしさを感じさせるのだ。


 自分の呼吸ですら意識してしまう様な静けさに、小さくゴクリと飲み込む音が響く。


「あの白い…」


 レニスの言葉を遮って、女性は落ち着きながらも食い気味に言う。


「そうでしょうね、ですがそれをあの子達に言ってはいけません、事情予測は伝えてありますが、あくまで予測と思っているからぎりぎり耐えているのです。」


 何か勘違いをされている気がする、具体的に言うと、私が何かに気が付いていると思われている様な。


 確かに繋がりを得ているのは確かだ、けれどそれは信じられないのだ、もし、本当にそうなのだとしたら…


「だとしたら…私は…」


「貴女自身の目で、耳で、確かめて下さい、それ以上の解決はありません、それ以下はレニス、貴女の後悔や苦しさが増えていくだけです。」


 女性の言葉が私の心にずっしりと残る。


「どうぞ、鏡です。」


 私の背丈と同じくらいの姿見をどこからか出して見せてくれる。


 鏡の縁に飾られた白い彫刻が気になるのだが、今は自分の姿を確認する。


 服は可愛いのだが、髪型がどうなんだろうか、服と合っているのかというのが分かりにくい。


「ハーフアップにしてみますか、惜しいですが、髪色も金色にしましょう。」


 とりあえず金色を意識して髪色を金に変える。


 姿見をどうするのかと見ていると、その場に立てた。どう見ても立たせる仕掛けもなそうな、そこまで厚くも無く、見るからに壁に掛けたり、立て掛ける様な大きさの姿見を、だ。


「…………えっ?」


 レニスは目を開いて驚き、顔の筋肉が躍動して、後ろに引っ張られているような感覚を覚える。


「驚きましたか?何でしたらこんな風に」


 女性は片手でひょいと持ち上げたかと思うと、そのまま手を離す。


 落ちるはずの姿見はふわふわと浮くわけでもなく、ただ宙に残る。


「とどめる事も出来ます。この縁の彫刻が少量の魔素を含んでいるので、固定の機能を果たしてくれます。」


「な、なるほど…」


 今度はゴクリと感心する。


「じゃあ、髪、一度解きます。」


「はい…お願いします。」


 髪を流すように優しく解いていき、ゆったりと首の後ろに髪が当たる。


「あ、あの…少し聞きたい事が、あるんですが、良いですか…?」


 私の後で髪を触っていた手の音が止まる。


「何を…聞きたいの、ですか?」


「そ、その…皆さん、ティアムスさん以外だと、お名前で呼んでいなかったので、本当のお名前があるのでしたら、お聞きしたいと…思いまして…。」


「何故、あれが本当の名前ではないと?マキス達の型号だと思わなかったのですか…」


 少しだけ怒っている様な、声の震えが広がっていく、部屋の静けさが、私の不安を掻き立てて、どうして何度もこの空気にしてしまうのだろうかと後悔していると、


「なんだか私達とティアムス様の立てた仮説が揺らいできてしまいました…当たりです。」 


 表紙抜けするような呆れ声に、レニスは少し安堵する。


「あの呼び方は私達、マキスが外界に居た時の名前の頭文字に型を付けて、お互いに親しくし過ぎない様にした呼び方なんです。私の為に…」


「私の…為?そ、その呼び方というのは…」


「呼ぶのであれば、Be型と。」


 名前を聞いて、すぅーと息を吸い込みながら疑問を口にする。


「びーいー型さん、ずっと…聞けなかったんですが…びーいー型さん達は私と同じ、普通の人間なんですよね…?」


 Be型さんは鏡越しに首を傾げて、何を言っているんだ?という顔をする。


「違いますよ?」


 きっとそうなのだろうと思っていた。けれど、そんな訳はないと、鏡に映る女性は、瞳に映っていたこの女性は生きていると、私の心が答えて、そうかもしれないと、目を背けていたのかもしれない。


 それでもやっぱり事実は変わらなくて、そんな訳が無いという言葉が心の中で何度も響き、心の口を塞ぎたくなる。


「分かっていたのですよね、口には出しませんでしたが、私を一目で見抜いていたはずです、それでも私を人だと決め、接してくれていた事も分かります。私が逐一あなたの心を口にする事が無粋だというのも分かります。ですが、なぜでしょう、嘘は吐けませんが、黙る事は出来ます。それがどうして、貴女には、黙るという行為も後ろめたくなってしまいます。」


 髪を結い終わった、私の肩にずっしりとした柔らかい手が、硬くなり、軽くなっていく様に思える。


「私が壊れなかったのは…姉妹に対して愛を抱いたからです。いえ、正しくは壊れていましたが、人間に迷惑をかけた訳では無いのでそういうことになっています。それなのに、貴女に寄せてしまう思いがあるのです…明日の朝の予定が一つ消えてしまいましたね、では行きましょうか。」

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