四節 道化の様に 前

 ぱっと目が覚め、すっかり暗くなった部屋のベッドから起き上ると、辺りにはむせ返る様な甘ったるい林檎の匂いが漂っていた。


 私の目覚めを待っていたかの様に、部屋の扉が強く叩かれ、体がびっくりしたという事を隠さずに反応する。


「夕食のお時間になりましたので、お迎えに参りました。」


 ドアの向こうから落ち着いた声の女性が語りかけたかと思うと、ドアが強く開かれる。


 ドアの向こうから光が押し寄せ、その光の中には背の高い女性の影があった。


「では行きましょうか…」


 光に目が慣れると、薄暗い顔に、鋭い目、きゅっと縛られた口、すっと高い鼻は、芸術品のように見えるのだった、ゆっくりと視線を下していくと、白いフリルの付いたブラウスに、短いタイトスカートという、顔の芸術性に反した、派手さをあまり感じない様な印象を受ける。


 寝起きのレニスはぼーっと女性を見つめ、状況をゆっくりと飲み込む。


「持ち上げる為に、布団を剥がします…ひゃっ!」


 私に掛かっていた布団を、勢い良く引きはがし、部屋の端に投げ捨てたかと思うと、ベッドの横で足を滑らせる。


 布団を引っぺがされただけでもびっくりしているのに、視界から消えた事が、寝起きのレニスを唖然とさせる。


「なんですか…これ、土林檎の皮?この匂い…確か今日は…O型ですか…後で…」


 ぶつぶつと何かを呟きながら、林檎の皮をぐっと握りしめ、部屋の隅に投げ捨てる。


 ペチンと皮が壁にぶつかる音で、意識を取り戻したレニスだったが、同時にこの女性が何かに怒っている事に気が付き、それが自分なのではないかと不安になる。


 しかし、ティアムスのいない所で、パニックになってはいけないと思い、胸の前に手を当て、静かに、かつゆっくりと息を吐き、自分の気持ちを落ち着かせようとする。


「だ、大丈夫です…か…?」


 女性に声を掛けると、思い出した様に目を一瞬見開いたかと思うと、部屋に入ってきたときの顔に戻り、立ち上がる。


「御見苦しい所をお見せいたしました、私の発言はお忘れになって頂けると、出来ないと言うのであれば、パーティーの前に少し気絶していただく事になります。」


 無表情のまま胸の前に手刀を構え、レニスに脅しをかける女性に対して、レニスは手刀を知らず、何かの敬礼かと思い、女性の真似をするのだった。


(綺麗な爪と瞳…エメラルドだっけ…あれに似てる。)


「貴女…馬鹿にしてます?」


「え…ごめんなさい!返さなければいけないものかと思いまして!」


「その顔から察するに嘘ではない様ですね、とにかく、誰かに言わないでくださいね?」


 私が「はい」と返事をしようとしたその時だった、女性は私の体をひょいと持ち上げ、俗に言われる『お姫様抱っこ』をしていた。


「腕は動かせるようですけど、足だと階段が辛いでしょう、上まで私が運びます。」


 安定はしていても、ふわふわとした感覚がかなり気持ち悪い。


「手を私の首に回して下さい、少しは安心出来るでしょう?」


 何も言っていなかったはずなのに、思っていた事に対して回答され、少し怖くなったのだが、何も言わず、女性の首に手を回す。


「そうそう、あんまり飛ばさないから安心してください。」


 私を抱えた状態で、速度なんて上げられるのかと半信半疑に思っていると、視界がくるりと回り、部屋を出る。


 部屋を出ると、長く続く廊下を、図書館にもあった光を作り出す機械が等間隔に天井から吊るされ、輝いていた。


「退屈そうですね、生憎私はO型の様にユーモアはありませんので、諦めて下さい…こんな時、姉さんなら、どうするんでしょう…」


 お姫様抱っこをされたのが初めてだったので、わくわくしていたのに、退屈そうに見えてしまったらしい。


「いえ、今の言葉も聞かなかった事にして下さい、では、行きます。」


「は、はいぃぃぃぃ!」


 また私の返答を遮って動き出した事は全く問題ではない、飛ばさないとは一体なんだったのか、顔に強風を受ける程の速度で廊下を走り、気付いた頃には、階段を駆け上がっていた。


(全く揺れないけど怖い!お姫様抱っこってこんなに安定したものじゃないでしょ!?)


 レニスが顔を引きつらせて、女性の肩にしがみつく。


「まだ速いですか?遅くしたつもりだったですが…」


 私の引きつり顔を見て、即座に判断した女性は速度を緩める。


「はぁー早すぎます…」


 思わずどう見ても年上の女性に文句を言ってしまう。


「なるほど、一つデータが増えました、他の場合だとどうなんですか?」


 流石に気を緩め過ぎたかと思っていたレニスは、怒っていないという事、意味の分からない質問が飛んできた事に、また、呆然とする。


「他の…場合…?」


 コトコトと足を鳴らし、階段を上りながら女性は当然という顔をして答える。


「ええ、人間の女の子を運んだ場合の完璧な対応のデータ、取って置かないと今後にこういうシュチュエーションに出会った時に失敗を重ねる事になりますから。」


 女性の回答を聞いても、理解できない、そんな自分はおかしいのだろうかと少し不安になる。


「良いですよ、理解できなくても、私達マキスというのは、こうやって成長します。ティアムス様に作られ、それぞれのマキスが、色々な国で働きました。」


 私が彼女を理解できないのは当然だと話を始める。


「そうやって学習を重ね、人間に近付き、娘達が壊れていくのを見て、あの御方は耐えられず、此処で私達と暮らす事を選び、直せるマキス達を、私以外を直した、馬鹿なエルフです、私達を作る頭はあったのに、愛を知らなかったんですから…」


「馬鹿なエルフ…ですか…」


 話を聞いて、レニスは察することになる。ティアムスがどんな思いでそのマキスという人達とここで暮す事にしたのかを、そしてこの言葉の裏にも思いを巡らせる。


 この人は、今も必死に誰かを思う気持ちを抑え、直されまいとしているのではないか?ティアムスの愛を知っていたからこそ、その愛を自覚して欲しいと思っているのではないか?


 いくら想像しても、正解は出てこないのだと、散々英雄たちが示してきたものであるとレニスは知っている。


 けれど、本と食事だけが楽しみだった私にとって、想像というモノは、いったん始まると意識して止めなければれば、止まらない、困るモノでもないのだが。


「着きました…」


 案の定というべきか、気付いた時には広く明るい部屋に着いていた。


 部屋には、何人が座るのかと驚く程に大きく、長いテーブルがあり、そのテーブルを白い布がシワ一つ無く覆っていた。


「はーい、入って下さーい、今回はレニスちゃんさんへのお詫びパーティーなので、悪ノリや、姉妹同士の過剰な絡みは止めて下さいねー。」


 後ろから明るく元気な声が響き、女性の二の腕から後ろを見る。


 あのO型と呼ばれていた少女よりも少し大きいくらいで、顔がそっくりな少女が後ろから多くの女性、少女を引きつれる様に入って来るのを確認した時、自分の姿を思い出す。


(あ…服…)


 女性の首から手を離し、胸の前で手をにぎにぎしながら静かに女性に声を掛ける。


「あ…あの…」


「なんでしょう?」


 何か問題でも?という顔をして、反応する女性に対して、こういう所を察してくれると助かるのだが、という気持ちが浮き上がってくる。


「ふ…服を…」


 気付いた時点でかなり恥ずかしいのだが、意識をすると、どんどん恥ずかしくなってくる。


 レニスは今まで図書館に閉じ込められていたが、そのせいというべきか、女性が誰かの前で裸に近い姿になる時は、どういう時かという事を、想像し、勘違いをしている、そして不幸というべきか、人並みの羞恥心は持っているのだ。


「なるほど、確かに、失念していました、近くの部屋に行きましょう、今この樹に居るマキスで、服を作れる者を同行させても?」


 部屋を見渡すと、この部屋に入り口は一つしかなく、今まさにその入り口から、多くの人が入って来ようとしているのに、どうするつもりなのだろうか。


 いや、そんな状況になる前に私が気付くべきだった、少なくともこの女性はこの状況で私を助けてくれるつもりなのだ、この人を信用するべきなのだろう。


「お願いします…!」


 きっと英雄に助けられた人達も、こんな気持ちだったのだろうと、初めて知り、共感する事になる。


「では、行きます。」 


「はい!」


 今度は私の反応を待って、動き出す。


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