三節 王樹の技師

「お…おい…きろ…おい…」


 いつの間にか、また、眠ってしまったらしく、誰かが私の体を揺さぶる。


 夢から覚めたのか、まだ、夢の中に居るのか、手の甲で瞼を擦る。


 擦った所に金属の硬く無機質な冷たさが伝わり、手には柔らかい皮膚の温かみを感じている。夢だと思った。さっきの様な不思議な夢だと。


「おはよう…」


 低くて高い、女性の声だった、掠れてぼやけた視界に黄色の髪が見える。


「ん…おはよう…ございます…?」


 視界がまとまり、やっとその顔を捉える事が出来る。


 ベッドの横に椅子を置いて座っている女性は、髪の間からとがった耳がぴょこんと突き出し、エメラルド色の目をした、美しい人、エルフだった。


「えるふ…」


「あぁ…そうだが…それが?」


「い…いえ、エルフを見たのが初めてだったので…」


 写本に書かれた姿の何倍も美しく、その姿に驚いて、全身の毛がぞわぞわと逆立つ様な感覚が走る。


 しかし、灰色に模様なのか汚れなのか、たくさんの不規則な染みが付いた作業着のせいか、持っていたイメージとは全く違うものだった。


「なる程?私はティアムスだ、君は?」


「私は…レニスです…」


「レニス…なる程な…まぁいいか、義手に感覚を付けてみた、動かしてみろ。」


 銀色の腕を動かす。夢ではなかったのだと分かり、色々と複雑な後悔が渦巻き始めているが、それはそれとして、腕に感覚が戻っている。


「あり…ます…」


 自分の腕ではないから、戻っているというのは間違いかもしれないが、銀色になる前と遜色が無いと言っても過言では無かった。


「どうした?何か問題でもあったか?」


「え…?」


「いや…君が大丈夫だと言うなら良いんだがな、あまりに悲し気な顔をするものだから調整が上手くいっていないのかと…」


「い、いえ!そんな事は…」


 私の言葉を聞いてティアムスの顔が少し明るくなる。


「そうか…なら良かった…実験はせい…」


 突然黙り込み、何か気まずそうに、目線を泳がせるティアムスを見て、レニスは気になってしまい、もやもやする。


「何か変な事をしてしまいましたか…?」


「ん?そんな事はないぞ!?悪かったな…」


 ティアムスの後ろでドアが、ゆっくりと開き始める。


「実はな…お前を…その…実験台に…」


「ティアムス様―?」


 扉が開き切り、先程の少女が暗い笑顔で佇む姿が見え、その少女がティアムスに声を掛けると、元々白いティアムスの顔が更に白くなっていくのが分かる。


「お、おう、O型かぁー、なんだ?身に危険が及ぶ事はしてないぞぉ?だからさ、その果物ナイフはちゃんともう片方の手に持った土林檎に使ってくれよ?」


 声を震わせながら少女に言うと、少女は悪意しか感じない様な笑顔をティアムスの肩口から見せて言う。


「も・ち・ろ・ん」


 悪意しかない笑顔のせいで、一瞬何かの嫌味かとも思ったが、どうやら違うらしく、脱力してしまう、ティアムスも私と同じ様で、緊張から解かれたからなのか、椅子から溶ける様に転げ落ちる。


「フフッ、ティアムス様―、私達はティアムス様が何をしても、殺したくても、殺せませんよ、お父さんですから。」


 少女は、ティアムスの座っていた椅子に座り、曲芸かと思う程の速度で茶色の林檎を剥き始める。


「おい…よくそこまで、お母さんに言えたものだな、まぁお母さんでもないけどな。」


 ティアムスがベッド下からベッドに手を伸ばし、這い上がりながら訂正をする。


「ごめんね、えーと…」


「レニスだ、その子の名前は。」


 先程の夢が現実であったと思い出し、急に気まずくなる。夢だと思っていた時は面白いなんて思っていたが、現実だと思うと、途端に恥ずかしくなってくる。


「レニスちゃん…で良いかな?」


「ぅ…うん…」


 私が目を逸らしながら答えると、私の目線の先に顔を見せ、更に逸らしても、悉く視界に入ってくる。


「おい、O型…やめてやれ。」


「もう…入ってこないでよ、私、レニスちゃんと幸せになるから。」


「え…」


 突拍子もない発言に加えて、夢の中ではできないと言っていたという前提がレニスを呆然とさせる。


「は…はい?」


 ティアムスもレニスと同じく、上手く状況を飲みこめないでいて、表情が風で飛んで行ってしまったかの様な顔を一分程続ける。


「レニス…お前…はぁぁぁああ」


 私の名前を呼んだかと思うと、突然顔を両手で押さえて発狂し始める。


「3人目が…一番まともだったO型だと…」


 ティアムスの狂気に中てられて、ただでさえ状況をうまく把握できていないレニスは完全に固まってしまう。


「うるさいですよティアムス様、レニスちゃんが怖がってます。」


 いつの間にか切り終わった林檎を、横のテーブルのトレイに置き、元々置いてあった布で手を拭くと、何故か私の横に添い寝し始める。


「ねっ、あの人追い払ってさ…始めよ…」


 わざと私の耳に吹きかける様なしゃべり方をする。


 レニスが赤面で枕を燃やしてしまいそうな程赤く染まり、過呼吸で息苦しそうになっているのを見たティアムスは、添い寝していたO型を全力で引き剥がし、ドアの外に投げ飛ばす。


「本当にすまなかった、レニス…一端落ち着け、深呼吸だ、ゆっくり息を吐くんだ。」


 身体がピリピリと痺れ、胸にも激痛が走って、レニスを更にパニックにさせる。


 ティアムスは私の体を起こし、背中をゆっくりとさすってくれる。


 すぐにとはいかなかったが、ゆっくりと呼吸のペースを取り戻し、どっと疲れが押し寄せてくる。


「本当に…すまなかったな、H、C、今度はO、私が、彼女達に書いたプログラムが完璧ではなかったんだ、また書き直さなきゃいけないかもな…そのせいであいつらだけじゃなく、レニス、お前にも迷惑をかけてしまった…このバグは、私には書き直せないんだろうな…」


 私の様子が落ち着いたのを見て、ティアムスは椅子にどっかりと座り、眉の端を落し、口をきゅっと縛って小さく笑う。


 レニスにはティアムスの言っている事が殆ど分からない、けれども、死んでしまうのではないかという恐怖から解き放たれた事は実感している。


「ありがとう…ございました…」


 眠ってしまいそうになるのを我慢して、ティアムスに感謝を言うと、ティアムスは申し訳なさそうに、はははと笑う。


 扉の間から放りだされた少女が申し訳なさそうにこちらを覗いている事に気付く。


 ティアムスも、私の目線から気付いたようで、ドアの方を見ずに言う。


「O型…レニスにちゃんと謝れ、私も一緒に謝らなくてはいけない、お前が壊れてしまったのは仕方ないが…」


 ティアムスの話の途中で気まずそうに入って来る。


「あの、その…さ、バグの話なんだけどさ…演技…だったんだよね…ティアムス様が実験どうこうって言ってるのがドアの向こうから聞こえて…でも…やっぱりごめんなさい。」


 私の為に、一芝居打ったのだという事はなんとなく分かったのだが、元はと言えば、ティアムスのせいなのではと思い、ティアムスを見つめると、本人も気付いたらしい。


「私もごめんなさい…夢だと思ってあんなこと言わなければ…」


 自分が言った事が恥ずかしくなって、言っている途中で布団をかぶる。


「あはは…ティアムス様ぁ?何にも無かったから…こっち睨むのをやめて…」


「O型…食事を作れ、めいっぱい豪華なやつだ、今日の晩御飯は家に居るマキス達皆でパーっとやろう、レニス、お詫びだ、来てくれるか?」


 布団の中から、少しだけ頭を出すと、部屋が少し暗くなっている事に気が付く。


「行っても…いぃ…で…す……」


 眠気に耐えられず瞼がぐっと重くなる。


「あぁ…良いとも…今はゆっくり休んでくれ…」

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