八節 小雨

 八節 小雨


 止むことが無いこの雨も、たまに弱まる事がある。


「おかあさん、おそといきたい。」


 私の小さな手が、母さんの袖を引く。


「んー?」


 私の目線に合わせて、かがんでくれる。


「お外、怖いのいっぱいいるよ?」


 覚えている。この景色を。


「いきたい。」


 顎に手を当てて考えているが、困った様な顔はしていなかった。


「よーし、分かった。行こうか、お外。」


 立ち上がって腰に両手を当てるお母さん。


「でも、お母さんの手、離しちゃ駄目だからね?」


 小さな視線が少し下を向いて頷く。


「うん。」


 お母さんは明るく微笑み、私の小さな手を引く。


 柔らかくて、あったかい手、冷たいこの場所で、私を温めてくれる、優しい手。


 緩く頭を締め付ける記憶。


 視界に黒い靄が映る。


「ふぅん、羨ましい限りで。」


 声は夢の中で、口調は現実で聞き覚えがあった。


「どうせなんにも知らないんでしょ?」


 苛つきを隠す事も無い強気な声色。


「なんにも教えてやらないけど、せいぜい良い子ぶってればいいわ。」


 私はそれを黙って聞いていた。


「何?心の中まで良い子ぶるの?あんた、そんなんだと、いつか潰れるわよ。」


 何故、私が黙っているのか、『顔を逸らしている』のか、気付かないらしい。


「あの、服を…」


 姿を持った黒い靄、白髪の少女を指さして言う。


 彼女はしばらく何も言わなかった。


 その間の沈黙。


「で?精神体なんだから…ってなんであんた鎧着てんの。」


 白い布と、金属で繕われた、見覚えの無い軽装、一種の神聖さを醸し出しているその鎧は妙に慣れた着心地で、指摘されるまでこれを不自然に思えなかった。


「あんた、ホントに恵まれてんのね。」


 白髪の少女は音が聞こえる程、拳を固めていた。


「あんたに…」


 小さな声で何かを言いかけて唇を噛む。


「待ってなさい、必ず、返してやるから。」


 覚悟を言葉にして少女は消えていく。


(なんだったの…)


 私は、疑問に思った、彼女が放った最後の言葉に、何故か悪意じみたものを感じなかったのだ。


 一度止まった記憶が、再び流れ始める。


 水色の合羽を着て、図書館の長椅子で、黄色の小さな長靴を履く。


 ステンドグラスをあしらったドアの前で、お母さんの支度を待つ。


「すんすん」


 ドアの隙間から入って来る冷たい風と土の匂い。


「レニス、手」


 母さんに言われて、右手を出す。


「じゃ、いこっか。」


 これは夢、私はそれをよく分かっている。


 あまり夢は覚えていない方だったけど、面白い夢は良く覚えていたし、見ている間は楽しかった。


 けれど、ただの思い出が、こんなにも美しかったなんて、知らなかった。


 頭に響く一滴で、目が覚める。


「良かった、薬は上手く効いたようだ。」


「では、私達はこれで。」


 三つの足音が遠退いていく。


 よく分からないが、私の体が乗っ取られた後、呪術にありがち?な残留物を取り除く為の薬を打ち込まれていた事を思い出す。


「あぁ、ご苦労だった。」


 仰向けに寝た私の顔を、ティアムスが覗き込む。


「え、えっと…」


「なに、そう不安がる必要は当分ないさ、お前の『中に居る』そうだからな、脅しの材料に過ぎないかもし

れないが。」


「は、はぁ…」


 レニスは少し困惑、ティアムスは素知らぬ顔で覗き込むのを止める。


「儀式的痕跡は…だがなぁ、漂流率の…」


 小難しいことをぼそぼそとつぶやきながら万年筆を使って、紙に何かを書いているティアムスの背中を見ていた。


 女性らしく柔らかな肩、少しだけ盛り上がった肩甲骨、魅力的な金色の髪。


「ん~、オド核と疑似核で…あ、ちょっと待っててくれ、苦痛なく回収してやりたいからな。」


「はい…」


 静かに起き上がったつもりだったが、気を散らしてしまったのかもしれない。


 辺りを見回すと、先程の部屋だったはずなのに、この寝台が低いせいだろうか、全く別の部屋に思える。


 天井からぶら下がった金属の腕や足が所せましとあるのは変わらない、それを下から見たからだろうか、雲が薄くなって、部屋が明るくなったからだろうか、奇妙にも美を思わせる。


 台から義足を降ろした時、一つの疑問を持つ。


 (これ、なんなんだろ。)


「あの、ティアムスさん…」


「ん?」


 作業中に悪い気はしたのだが、案外明かるげに反応する。


「この…手と足って、何でできてるんでしょうか?」


「それ、分かりやすくか?」


 あからさまに面倒臭そうな表情を見せる。


「え、えっと、出来れば…」


「分かった。」


 ティアムスは万年筆を置き、ポケットから別のペンを取り出す。


「それは?」


 まぁ見ていろと言うように、ペンを持った手をゆっくりと左右に振る。


「わぁ…」


 ペンの先から紫色の光が溢れ、ペン先の軌道に取り残される。


「単純な作りだが、三万年にこれを作った奴はそこそこ優秀だったと言えよう。」


 私がペンの特性を理解したと踏んだのだろう、ペンに付けられた小さなボタンを押す。


「こうやって書いたものを消す事も出来る。」


 そう言ってまた、別の物を描き出す。


「これは…」


 直線的な線がいくつも書かれた腕の絵。


「これが今、レニス、お前が着けている義手の外観だ、比べてみると良い。」


 そう言われて、義手を見ると、とても細かいが絵の通りの線が見える。


「ふふっ、今まで見えて無かっただろ?」


 得意げに言い、また別の絵を描き始める。


 今度は円の中心から弧に向けて引かれた謎の絵だった。


「これは?」


「円グラフ。」


「えんぐらふ?」


 聞いたことの無い言葉。


「んー、これは…外に行きたい、今後ここから出る気があるなら、明日から勉強を始めた方が良いかもしれないな。」


 外と言うのは、森の外という事だろう。


「えっと、ここにも図書館が?」


「ああ。」


 短く返事をするティアムス。


 なんだか、気を使わせてしまっているような、変な感じがする。


「これは割合なんだ、その義手のな、銀を主成分として、チタン、アルミ、ニッケル、タングステン、金、その他はごく少量の魔石等があるんだが…まぁそうだな、魔石関連の事はO型に任せるとしよう。」


 魔法を使う英雄は皆、銀を杖や武器に使っていた事を思いだし、そのことかもしれないと想像する。


「中はまぁ、見せた方が早いだろう、書くのが面倒だからな。」


 ティアムスは天井から垂れた腕を、一本引き抜く。


「ん~これは~?あ、初期のやつか。」


 独り言を言って銀の腕を投げ捨てる。


「こっちは…」


 ぶつぶつと何かを言いながら、部屋の奥にぶら下がった腕を漁っていた。


「F型―、最新の腕どこにしまったー」


 先程時計の後に開いた穴から飛び出して来た女性を呼び出した時の様にまた別の方を呼び出していた。


 先程よりかは少し遅くなって、部屋の扉がゆっくりと開く。


「失礼いたします。F型、ただいまここに。」


 丁寧な言葉遣いで入ってきた女性はそう言ったまま目を閉じて、扉の前から動こうとしない。


「この間私が作ってた腕のスペアどこにしまったんだ?」


 ティアムスの問いに、言葉ではなく、指を指す事で答えるF型さん。


「え…あ、ホントだ、助かった。」


 私は彼女が指さした所を見て、ティアムスが礼を言い出した所で、チラリと彼女の方に向き直す。


 居ない。


「え?」


「どうした?」


 気付いていないのだろうかと、混乱しながらも説明を試みようとする私を見て、それを納得したのだろう。


「大丈夫だ、音もなく居なくなる事なんて日常茶飯事だから、そういう風に作った訳じゃないがな。」


 もう一度ドアの方を見て、その日常に耐えうるか不安になる。


 後ろでは、カチャカチャと金属の腕を構っている音が聞こえる。


「よし、異常は無いな、レニス、見てみろ。」


 ティアムスの持っていた腕を改めて見てみると、手首に当たる部分から中の様子を見る事が出来る様になっていた。


「分かるか?」


 彼女らしくない…というのは正しいかどうかは分からないが、心配そうに見せてくれるのだ。


 中では爪の先よりも小さな歯車達が、音もなく回っていた。


「こんな事が…」


 私が住んでいた図書館にも、歯車を使った仕掛けがあったが、こんなにも小さくは無かったし、音もなく回す技術は私の想像力ではどうにもならない。


「良かった、驚いてくれて…三百年前、ここに来る前は誰に見せても、誰も驚いてくれなくなっていたからな。」


 こんな物が世界には溢れてしまっているのだろうか。


「どうやって…これを…?」


「手組み。」


 得意げな即答。


 冷静に考えればそれしかないのだが、それにしても私は黙らずにはいられなかった。


「大方の事は分かって貰えたか?」


 首をコクリを縦に振って伝える。


「そうだ、暇だろう?」


 ティアムスは思い出した様にそう言って、私の右手首を掴む。


 手の平が見える様に裏返したかと思うと、呆気に取られている私に質問を投げかける。


「利き手は右で合ってるか?」


「はい。」


 答えると同時に、掴まれた手首が何度か握られる。


 腕の中で何かが蠢いているかの様な感覚が伝わって来る。


「何を?」


「ん?あぁ、指先。」


 ティアムスに言われて指先を見てみると、右手の指先に小さな穴が開いていた。


「これは…また…」


「最新式の新機能だ、その穴は魔術の行使に使う為のモノなんだが、手首を二回握れば魔術、三回握れば…」


 丁度その時だった、指先を下に向けた途端に、キラキラと光を反射するものが見える。


「感覚機とは切り離された別の魔糸を出す事が出来る。繋がってるのも出せるには出せるがオススメはしない、ちなみにそれを出すなら糸をだしてから手首を一回転させると…ああ!馬鹿!試そうとするな!」


 話を聞きながら手首に手を掛けた瞬間、慌てた様子で手首を回せない様に握られる。


「ひっ…すみません…」


「危ない所だった、私が危険性を伝える前に方法を教えたのもまずかったがな。」


 ティアムスは私の手首を放し、落ち着かせるように一息を入れる。


「いいか?その機能は感覚機を鈍く調整した後で使わないと糸に伝わる刺激が強すぎて、レニス、お前自身がとんでもない思いをする事になるんだからな?よーく頭に刻んでおけよ?」


 真剣なティアムスの表情に、自ずと引き締められながら、コクリと頷く。


「さて、その糸がどれほど便利な物か知ってもらうのはO型に任せるとして、私から贈るのはこれだ。」


 そう言ってティアムスが取り出したのは、金属で作られた少女の人形だった。


「これは…?」


 もしやこの糸で操れとでも言うつもりなのだろうかと一瞬考える。


「小型で自律機能の無いマキスだ。」


 まさかと笑ってしまいたくなる。


 この手の平程の人形に、さっき見せられた歯車の機構が内蔵されているとでも言うつもりなのだろうか。


 まぁ…彼女なら出来てしまいそうだが。


「見えるか?この背中の五つの穴、ここに糸を入れる様にイメージするんだ。」


 五つの穴、確かに見える、ただし、光の反射や陰影でなんとなく見える程の穴だが。


「出来るさ、無理だと思うな、その糸はお前の意思に沿うはずだ。」


 五本の糸をそれぞれの穴に…。


 想像しろと言われると、案外難しい、どの程度のスピードで穴に入れれば良いのか分からないがとりあえず、素早く入る糸をイメージすると、糸の先がそれぞれの穴へと飛んでいく。


「お、最初から目を開けたままイメージできるのか、じゃあ次は、動く人形をイメージするんだ。」


 言われるがままに、手を振る姿を想像すると、先程と同じく、想像に従って、人形はその通りに手を振る。


「よし、使い方は大体分かったな?外す時は付けた時の逆だ、色々試してみると良い、お前の腕や足と同じ機能を持ってるからな。」


 説明を終える頃には、机で作業を再開していた。


 この人形を渡されて、驚いているかと聞かれると、少し答えづらいという所だ。


 勿論、こういった技術に学の無い私でも、これは凄い事なのだ、という事は理解しているつもりだ。


 けれど、驚きにはストックと言うモノがあると思う、例えるなら、一度それが美味しいと分かったなら、二度目の美味しいは再確認であって驚きで無くなる様に、ティアムスに対する驚きが無くなってしまったのだ。


 そんな事を考えていると、ふと見た手先に気付くモノがあった、私は念じてこの人形を動かしているのだと思っていたが、それは違った。きちんと人形を動かす為に指先を動かしていた。


 無意識下と簡単に形容するのがおこがましい程の技術、言うまでもないが、私は操り人形に触った事も無い身だ、だからだろう、この腕は自分の物ではないという意識が私の奥深くに焼き付いた気がした。

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