七節 調整

「良いか?開けるぞ?」


「ふん、ふっ!」


 布を噛んで腕が開く痛みに耐える。


 またあの部屋で目覚めてから、昨日の事を思い返したり、いつの間にかあのワンピースではない服に着替えさせられていた事に気付いたりしていた。


 暇を持て余していた私は、こっそり探検してみようと部屋を出た所で、ばったりとティアムスに出会い、昨日の一件で、もしかしたら義手に不具合があったかもしれないとの事で、工房という所に来ている。


「よし、感覚機は切った、もう布を噛むのを止めても良いぞ。」


 正直に言うと、唾液でぐしょぐしょになったこの布を吐き出すのも嫌なのだが、入れたままであるのも嫌なので、仕方なく吐き出して、用意されたボウルに入れる。


「その…どうですか?」


 カチャカチャと工具を鳴らしながら作業しているティアムスに不安を覚えつつ聞く。


「あぁ…ちょっと中毒症状が出ていたようだな…」


 チラリともこちらを見ずに作業を続けている。


「そうですか…」


 来た時から妙な匂いが辺りに漂っている。これは何の匂いだろうかと、少しだけ頭を巡らせる。


「これ、ブルーレイニーの匂いですか?」


 ある大きさの雨粒の中にだけ咲く青い花、私の誕生日が近づくと、花弁が雨粒を持ち上げて、ゆっくりと降って来る不思議な花。


「いや、これはツタミジロの内液の匂いが混ざっていった匂いだ。」


 どうやら私の知らない植物の匂いだったらしい。


「そうなんですね…」


 なんだかんだと話す話題を振っても続けられない。もっと何か…


「あっ」


 ティアムスが私の声に驚いて、工具を床に落とす。


「うわっ…驚かすな、どうしたんだ?」


 作業に集中していたのに、邪魔をしてしまっただろうか。


「夢…」


「夢?夢がどうしたんだ?」


 工具を拾い直そうとする手が、私の言葉で止まる。


「私の中に居る人が、言ってたんです。夢なので、意味はよく分からないんですけど、眠っているって、あと、器があればいつでも渡せるって、貴女に伝えて欲しいと。」


 自分でも何を言っているのかよく分かっていないが、彼女には違って聞こえた様だ。


「そうか…」


 止まった手を動かし、工具を拾う。


 ティアムスの手でカチャリと鳴る工具が震えて見えた。


「なぁ、レニス…」


 義手を弄りながら暗い目をして、私の名を言う。


「はい…」


 真剣なティアムスの顔に、気圧されながらも気をしっかり持って答える。


「少し、我慢してもらいたい。」


 ティアムスはそう言うと同時に、流れる様な手つきで、どこからともなく注射器を取り出す。


「え?」


 レニスが驚いたのは、ティアムスの行動とは別の物だった。


(私は、何故、見た事も聞いたことも無いこの器具を知っているの?)


 気付けば、腕も足も動かない、ゆっくりと迫る針の先が首に立つ寸前、私の体は宙を舞う。


 誰かに引っ張られた訳でもなく、言うまでも無いがティアムスに突き飛ばされた訳でもない。


 理解できないが、せざるをえない、私を後ろに飛ばしたのは、動く気配の無かった足。


「チッ」


 舌打ちをしたのも、私の口。そのまま入口の前でしなやかに着地を決める。


「出て来たな?寄生虫。」


 鋭く、私ではない私を見つめる『金色の虹彩』。


「ええ、いつお気付きに?」


(私は何を言っているの?)


 ティアムスは悠然と答える。


「初めから…レニスの体が玄関に届けられた瞬間からだ、八割が十割に変わったのは、O型が独断で仕込んだワインをレニスが飲んだ時。」


 私はただ驚いて、何が何だかというまま困惑しているだけなのに、奥底から煮えたぎる様な憎悪が沸き上がってくる。


「なのに何故、最初から対策を講じ無かったのです?こんなにも完璧に治療するとは思いませんでしたよ、乗り移った後、魔術で手足を吹き飛ばした意味が無くなってしまったではないですか。」


(え?)


 ティアムスは嘲笑を浮べながらその虹彩は光を強めていく。


「何故…だと?私の娘が大切に、人間の親として育てた娘だぞ、そんな簡単な願いの結晶一つ守れないで、親が務まるとでも思っているのか?」


 怒り、爆発してしまいそうな程の気迫。


(私の娘?でも、でも…)


「へぇー?親、ねぇ…ところで、私の親は一体どこへ行ってしまったんでしょう?」


 内側で膨れ上がる憎悪に、恐怖を超えて吐き気すら感じる。


「復讐か、真実を伝えてやるより、無様なりと罵ってやった方が、お前は嬉しいのだろうな。」


 肩をすくめ、挑発を口にする。


 私の『中』に向けて放たれた、言の葉だからこそ分かる。


 『こちら』の怒りを誘うように振舞っている。


 その挑発に乗ると言わんばかりに黒い意識が沸き上がってきた。


「無様…?面白くない冗談です。復讐に燃える私は美しいでしょう?あの御方から授かった力もそれを表していますし…さて、無駄話もこれくらいにして、死んでもらいましょうか。」


 感覚を保持したまま、胸の前で勝手に手刀を作る私の手。


(待って…)


 行動に呼応して、義手の腕が鋭くなっていく事に気付ける程、レニスは落ち着いていた。。


(待って…待って…私の…)


「さて、優しい私はお前に一つ、教えておこう、魔法、魔術や呪術、紋術は少し違うが、線で繋がっているから、それらは遠くに居ても使えるんだ。」


ティアムスの体に向けて体が飛ぶ。


「おっと。」


 バックステップ一つで嘲る様にその手刀を避けるティアムス。


「それで、だ。」


 なんの事は無いと言うかの様に話を続けるティアムス。


 それでも斬りつけようとする私の『中』。


「お前の線を計測してみた。何度か妨害魔術を組んでいたみたいだが、っと、フロムバッソ、223番地、そこだろう?」


 手刀は確かにティアムスの首元を切り裂けていて良い所を振っている。


 だが分かる。切れない理由が、私には、これは『狙いすぎ』だ。首に固執するあまり、それを悟った相手には当たらない。


 何故私が分かるのか、間違いなく私が読んだ英雄譚に刻まれていた事だからだ。


「さっさと!ここで!死ね!」


 何度か図書館の窓から見たことがある。一心不乱に獣が狩りをする様子、私の体は正しくその動きに似ていた。


 鋭利になった手刀が黒く染まっていく。


「此処までみたいだな。Mg、Al型、頼んだ。」


「はーい」「おっけー」


 壁の方から二人の声。


 しかし、それに構わずひたすらに手刀を振るう私の体。


「なめるなよ?その腕が『憎しみで染まらなければ』、お前の精神体が滅びるまで避け続けてやるさ。」


 ティアムスが若干の焦りを見せながら言う、事実なのだろうが…こんな状況で、私が言うのもなんだが、凄く…恰好悪い。


 私の腕が左右から掴まれる。


「はなせ!………………」


 しばらく黙ってから揺れ出す肩。


 胸のあたりがじんわりと温かくなる。


「何がおかしい?」


「此処で、自爆、します。」


 自慢気にそんな事を言う私の口。


「なんだってー!」


 わざとらしく驚いている様に見えるティァムス。


「なんてな、Mg型。」


「はーい、キャンセルさせてもらいまーす。」


 胸の暖かさが消える。


 やっぱり、と当たった事を少し喜ぶ。


 レニスはまるで人ごとの様に、小説を読むように少し落ち着いていた。


「な、なんで!」


 腕を掴まれながらもティアムスに食って掛かる。


「何を言ってる、此処までがテンプレだろうに、で、あるんだろ?次、まぁ、呪染だろうが、至近魔法だろうが、私のマキスには効果が薄いだろうがな、なにし…」


 ティアムスの説明を遮って私の口が何かを吐こうとする。


「ぷッ!」


 黒い唾がティアムスに向けて放たれる。。


「デリート」


 空気が紫色の光に包まれ、まるでそこに何も無かったかの様に唾が空間ごと、くり抜かれる。


 拳一つ程の空間に空気が流れ込む。


「ディスチャージ!」


 一瞬の内に手足の義手に青い光と、ピリピリとした痛みが纏わりつく。


「あー勿体無い。Li型、聞こえたら、来い、チャージのチャンスだ。」


 大声を出すわけでもなく、ここに居ないマキスを呼ぶ。


 すると、どこかから、何か布の様な物が擦れる様な音が聞こえてくる。


 遠ざかったり、近づいたり。


 そうしているうちに、輝きは増していき、放つピリピリも量を増やす。


 壁に掛かった時計が勢いよく部屋の反対側の壁に『蹴飛ばされる』。


 その時計の後に開いた穴から、颯爽と銀髪の女性が飛び出してくる。


 辺りを一瞬見回して、私の方向で目を止めて、心なしか目を輝かせる。


「はぁッ!」


 獲物に狙いをつけた獣と同じ雰囲気を感じる、と思った矢先、瞬き一つの内に私の腕を掴む。


「はぁぁあ!久しぶりですね。」


 どうやら私の『中』も戸惑いを見せているらしく、今まで沸いていた黒がグラデーションを見せながら嵩を減らす。


「なんですか貴女!」


 顔が、腕や手足を気にする。


 私も気が付いなかったが、義手に宿ったピリピリが青い光とともに消えていた。


「少しだけ満たされました。」


 先程の法悦からは想像もできない真顔。


 そして、ティアムスはこの隙を見逃さなかった。


 彼女の後から私の首元に伸びた手、首へと刺さった針、注がれる液体。


「じゃあな、お休み。」


 水色に濁った思いがまたドス黒く濁りながら消えていく。


「これで終わりだなんて…思わないで下さいね…」


 この言葉を最後に、私の体が戻って来る。


 安心しても良いハズなのに、自信だけが抜け落ちてしまった様に不安が沸き上がって来る。


「えっ、えっと、も、戻りました…ね…。」


 私の腕を掴んでいた三人が、しなやかに離れ、ティアムスも、「そうみたいだな。」と一言の後、首元から針を抜く。

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