二節 銀腕と銀脚と目覚め
気が付くと、草原の中に立っていた。
朗らかな光に包まれ、爽やかな風が髪を後ろに押し流す。
「こんにちは」
後ろから優しい声が聞こえる。
「貴方は…」
何故か振り向けずに聞くと、草原に、悪戯をしている様な笑い声が木霊する。
「私?私は…誰なんだろうね…」
黄昏る様に答える声に、ふわふわとした感覚で覆われ、次の質問を考える事が出来ない。
「ココハ…ドコ?」
勝手に口が動き、質問をする。
「此処はアステル平原、君が居たエルバン森林の周りにある草原、気持ち良いでしょ、今の季節はかなり過ごしやすいはずだよ」
雲が空から零れ落ち、草原の草が絵具の様にドロドロと溶けてしまう。
身体もだんだんと地面に沈んでいく。
「じゃあ、向こうで会おうね。」
抵抗する事も出来なくて、地面に頭が埋まりきった所で、開いていた目が開く。
瞼を開くと、木目が何重にも重ねられた天井が見える。
「………はぁ…夢…」
腕を動かし、額に当てると、硬く冷たい金属の様な感触が伝わる。
「え、ん?」
手を掲げて銀色の腕を眺める。開いたり、閉じたり、平を見たり、甲を見たり、意思に沿って動く手を見て、ゆっくりと理解し始める。
「私の…手…」
感覚が無いからか、自分の思い通りに動くのを見ている度に、先程の夢よりも夢な気がしてきた。
長かった髪は切られたのか、腰までの長さは無くなっている。
もしかしてと足を布団の中で挙げると、感覚は無いが、しっかりと持ち上がっているのが分かる。
布団の中を確認すると、胴体には包帯をグルグルと巻かれ、下半身には見覚えのないピンクのつるつるパンツ一枚という解放的な姿になっていた。
言うまでもなく足からは金属の反射が見え、自分の状態を想像する。
「嫌な夢…」
ベッドに寝たまま、そんな事を呟いていると、右の扉がガチャリと開き、たくさんの小さなリボンが付いた半袖のブラウスと、ブラウンのショートパンツを着た小さな少女が、つやつやで茶色の髪をまっすぐ後ろに流し、トレイを片手で持ち、楽し気に入って来る。
「よいしょ、よいしょ、体を拭きに来ましたよー。」
ベッド横のテーブルにトレイを置き、何かを準備していて、こちらに気付いていない様だった。
「あの…」
変に緊張しながら声をかけると、こちらを銀色の双眸で確認する。
少しの間、こちらを見て、目をぱちくりさせてていた。
「お…起きた?…びっくりしたよ、あそこから復活できるとは思わなかったし…」
大して驚いていなさそうに驚いたと言う少女を見ながらぼーっと考える。
いまいちこの夢の状況が掴めない、さっきの夢の方がよっぽど夢らしく、現実らしいと思っているのだから。
「この腕は…」
上体を起こして、銀色の腕を出す。
「ん?ティアムス様の作った腕、あぁそっか知らないのか、そりゃそうだ。」
なんだか分からないけれど、一人で納得してしまったらしい。
「君は、私達が暮らしてるこの樹の、普通の人間じゃ登り切れないこの樹の上にある、玄関の前に真っ黒焦げで倒れてたの。」
目を丸くして驚く、それは、少女の言葉にもだが、思い出したのだ、熱の世界を、何を求めて痛みに耐えて走ったのかを。
「お母…さんは…?」
少しの希望が涙を抑えている、寂しさが浮かび上がって、無意識な不安が銀色の腕を乗せていた布団を握らせる。
「…君のお母さん?私は知らないよ…でも、ここに何かが君を連れて来たのは間違いない…それが、どういう事かは分からない、おっきな鳥が持って来たのかもしれないし、君のお母さんがとっても強くて、此処まで連れて来たのかもしれない…」
私を慰める様に、少女は丁寧に答える。
それでも不安が収まらなくて、鼻がツンと息詰まり、目がひりひりと熱くなる。
「私…どうしたら…私には、行く場所も、行ける場所も無いのに…」
感覚の無い腕にぐっと力が入り、カチカチと音を鳴らす。
涙が布団に落ち、小さなドットを作り、落ちる頻度は時間と共に増え、視界また、当然の如く震え、涙で歪みを増していく。
突然の事だった、ベッドの上に上がって来る様な音が聞こえると、少女の体をより小さな体が包みこもうとする、ぎこちなく、冷たく柔らかい肌と、冷たい手の平が背中に伝わる。
「え…?」
「全部大丈夫、なんて事はないよ、嘘は吐けない、でもね…君が生きていける道は出来たんだよ…」
抱きしめられた事が少ない少女は、意味を一つしか知らないのだ、雨粒ほど多く読んだ事があっても、受けた事が少ない、読んだ事のある英雄達が抱きしめる相手は、愛の対象なのである。
「ここに居たって、私達マキスは拒まない、ティアムス様が君を助けると言ったから、だから、泣かなくても良いと思うんだ…」
泣くなと言われても、こんなにも優しくて冷たい、愛を肌で感じてしまったら、この涙を誰は止められるだろうか。
「私を…愛して…くれませんか…?」
夢の中とはいえ、自分は何て事を口走ってしまったのかと、後で顔を赤らめる事を知っていても、出そうな泣き声を抑えて、嬉しさが前に出てしまう。
肩の横でふっと息が吸い込まれ、少女の顔が少しだけこちらに向けられる。
「いいよ…君が望むなら…」
耳元で声が細々と囁かれる、その言葉がどれくらい大きく、強く響いたかなんて、言うまでもない。
心臓の鼓動が大きく、強く響く、それが聞こえたのかもしれない、少女は人差し指を胸の真ん中に押し当てられる。
「でも…さ、君が求める愛がどういうものなのかは、私には分からない、説明できない、君の言う愛はきっと、快楽じゃない、そう思ったけど、違う?」
快楽…私は、形を求めている、愛の形を、正直私も、私の形がどんな形かは知らないのだ。
「私も…分からない…今は愛されてるって形が欲しいの…」
私の体を抱きしめた少女は、市の小さな体からは想像できない様な力で私をベッドに強く押し倒す。
「……ッ!?」
何が起こるのかを想像したら、未知の海に突き落とされる様な気持ちになって、目を閉じてしまう。
「ほら…君は、こういう事が欲しいんじゃないんだよ…」
閉じた目を開けると、優しく笑い、私の肩を両腕で押さえ込んだまま、悪戯に笑う少女の顔があった。
「それとも、これは本当にして欲しくて、何でもして良いよってこと?」
少し冷静になってきたのか、瞬き程の時間を重ねる度に恥ずかしさが増し、顔を逸らしてしまう。
「フフッ、ごめんね、でも君、気を付けないと他のマキスに本当に『されちゃう』よ?」
まだ心臓が鼓動を強く鳴らし続けている、それが不思議な事に、幸せを感じている様な気がする。
ベッドから降りようとする少女の手を銀の腕がそっと掴む、いや、掴んでしまったと言うべきなのだろうか。
「それ以上はダメ…私のプログラムもこれ以上は耐えられない、私達は限りなく人間に近い、でも、人間以上に、壊れたら面倒臭くなっちゃうから…今日はこれで我慢して…」
掴んでしまった手をそっと離して、胸の前で両手を組み、すっと窓辺に目線を逃がす。
「ごめんなさい…でも、こういう特別な事に憧れてたから…」
無意識に掴んでしまう程、少女と一緒に居たいと思ってしまった事自体は恥じらう必要はないのだ、それが不純な理由でさえ無いのであれば。
ベッドの上に腰掛け、しばらく下りずにいる少女を意識してしまい、心臓の高鳴りが治まらない、しかし、それすらも楽しく思う私が居る。
「ごめんね…やっぱり行くよ、君の為に壊れられるなら、今ここで壊れても良いと思ったけど、ティアムス様のお世話もしなきゃいけないから…」
そう言ってベッドから降り、少し駆けて出て行く。
「不思議だけど、楽しい夢だったなぁ…」
布団を被り、涙を流して、無理に笑う、少しの声を零しながら。
「お母さん…私…これからがんばるから…いつか、抱きしめて…」
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