忘れたくない


「あれは空の万象です」


 イヴが落ち着いた声で教えてくれる。


 君の声がそんなに冷静じゃなかったら、俺はまた取り乱していたかもしれない。


「万象……」


 俺はそう小さく繰り返した。


 それは大きかった。地平線に重なるほど遠くにいるのに、はっきりとその形が確認できる。


 見ているものと脳の処理が嚙み合わなくて、混乱しているのが自分でも分かる。


 見ただけなら手の平サイズの蛇みたいな姿だ。地平線間際にあって手の平サイズ。


 間近で見たらどれだけの大きさなんだよ。


 ガルナとの比率を考えると、あいつ一匹で、文字通り地球を囲えるぞ。


 しかも全身が見えてるわけじゃない。


 雲の合間から、その体の一部がちらちらと見えてるだけだ。



 脳がバグる。



 宇宙の映像を見た時に、その計り知れない巨大さに畏怖することがある。


 それに似た感覚。


 でも、それ以上に恐ろしいと思ったのは、生命体のような形状を持っていることだ。


 地球は一つの生命体なんてよく言われるが、地球は動かないだろ?意思を感じさせないだろ?


 

 でもあれは間違いなく生きてる。その身をくねらせ雲海を泳いでる。



 息を飲んで見守る俺たちの視界から、そいつは消えた。


 星の裏側に回ったんだろう。


 この距離であの巨体が、こんな短時間で消えるって、どういうことだよ。

 

 確実に音速は遥かに超えてるスピードなはずだ。


「万象を見たのは初めてだ!」


 スーリの大声にびくっとする。


 想像を超えるものを見てしまって、呆けていたらしい。


「…あれが村を襲うのか?」


 声がかすれてしまった。つばを飲み込む。


「襲わない」


「だって村滅ぼしたって言ってただろ」


「万象が通ったら死ぬ。それだけだ」


「……」


 ──万象は何も考えない…。


 他の生命の存在なんて気にせずに、あんなのが徘徊してるってことか?


 そんなの回避しようがない……。


「万象って、いっぱいいるのか?」


「すごいのは三つだけだ」


「三つ?」


「存在と顕現と変化です。空の万象は変化です」


 イヴが説明してくれるけど、さっき聞いた時は教えてくれなかったじゃん!


 因みにその説明も全然分からないけど!


「そういうことが知りたいんだよ俺ー!」


「アベルの世界に、万象は無いのですか?」


 ああ、そうか。イヴは地球とガルナの違いが分かってないんだった。


 俺が知ってると思うことをわざわざ教えないよな。


 自分語りしまくった時に、お気に入りのスタバメニューの話なんかより、地球のことを話せば良かったよ。



「世界の全てを表して森羅万象っていうけど、あんな風に生き物っぽい姿で存在はしてなかったよ」


 万象と訳されたからには、似たようなニュアンスなんだろうが、地球とは違いすぎる。


「どんな姿だったんだ?」


 興奮冷めやらない声で、スーリが聞いてくる。でも説明しようがない。


「姿なんか持ってない」


「ずっと見えないのか!すごいな!」


 お前も新幹線を知ってるくせに、地球のこと全然理解してないよな。ほんと、どう俺の記憶読んだんだか。


「俺からすると、ガルナの万象の方がすごいよ……」


 それにしても話題に出した途端、出てくるなんて"噂をすれば影"を地でいかれたな。


「しょっちゅう出会う感じ?」


「空の万象は遮るものが無いので、よく現れます」


 スーリは土の中にいたから、見たことなかっただけか。


「あんなの出てくる度に、村が滅びるなら、たまったもんじゃないね」


「地上に近くなければ、通り過ぎるだけです」


 さっき見た高度なら、確かに地上に影響はなさそうだったが、何も考えてないなら、あいつの高度なんて予測出来ない。


 そのせいで文明が発展してない可能性は、やっぱりありそうだ。


 マジとんでもないわガルナ。


 上空の飛行機雲が途切れたことに気付いて、コクピットに戻る。


 小屋を目指して、コンパスを頼りに、方向を微調整する。


 もうすぐ陽が落ちそうだ。


 赤みを含む景色、この広大なガルナという世界に、改めて目を奪われる。

 


 音のない空の上。このリニアにはエンジン音もない。耳が痛くなるほどの静寂。



 出発時のテンションは失せ、不思議なほど頭の中まで静かだ。


 人間が矮小に思える存在に対する畏怖か、空の覇者的な高揚感が挫かれた失意か、分からない。


 この世界に対する未知の気持ちで胸がざわめく。



 自分の鼓動を感じる。巨大すぎる惑星も、光に届きそうなスピードも、地球一周出来ちゃうデカさの蛇も、琴線を震わせるには充分すぎる。



 来たくて来たわけじゃないのに、俺は、このガルナに魅せられつつある。


 この広大で不思議だらけの世界を、これから旅するんだ。



 ガルナに来て、先のことを考えてこんなに胸躍ることは初めてだ。


 きっとこれからも色んなことを見て、知るんだろう。







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 俺たちは日が落ちる直前くらいに小屋に帰りついた。


 思ったより時間が掛かってしまった。行きのスピードが、どれだけ早かったか改めて思い知る。


 夜の飛行は想定してなかったから、ライト取り付けることも考えるべきかもしれない。


 なんせ灯りが全くない一面の森だ。陽が暮れてたら小屋を見つけられなかったと思う。


 

 音もない静かな着陸だったのに、スーリが起きた。飛び出して地面を転がる。


 早速かよ。



 ほとんど一日掛かった旅から、無事俺たちを小屋まで運んでくれたリニアを確認する。


 氷はほぼ解け落ちてるが、触れると冷たい。


 ボディには傷一つ無く作りたてのような滑らかさだが、木の葉や結露による泥の筋があちこちに付いてる。


 あのフライトに耐える布ガラスってすごいな。柔らかいのに、一定以上の力は完全に耐える。


 強度テストして、鉄以上の硬度は確認出来たんだけど、器具もないしそれ以上は知りようがなかったんだ。


 今回の試運転で少なくとも、戦闘機に使われる超ジュラルミン以上の耐久度があることが分かったわけだ。



「せっかくだし、なんか名前つけたいなぁ。これに」


 イチから作った最高のリニアシャトルだ。


 愛着は既に湧いてる。


「ゴルゴ」


 スーリが泥だらけで地面に転がりながら提案してくる。


「お前ゴルゴ好きすぎ。イヴ、なんか良いアイディアない?」


「いいえ」


 イヴの発案ストックは、お婆さんの名前だけでネタ切れらしい。


「じゃあゴルディでいいか。ゴルゴっぽいだろ。なぁスーリ」


「うん」


 名づけには、あまり興味ないらしい。おざなりに返事してくる。


 ガルナにも響きが似てるし、ゴルディはいい名前だろ。



 このゴルディの動力源、俺の魔力を魔法に変換するリアクター代わりに組み込まれているのは、あの獣の牙だ。


 もともとランタンの蓄光システムを、魔力タンクとして流用しようとは思ってた。


 イヴにやり方を聞いて、そこらへんの石に魔力を込めてみたりしたんだけど、石だと容量が少ないし、パワーも足りなかったんだ。



 それで、あの獣の牙を試してみた。



 石と比べ物にならないくらい魔力を吸収して、放出する時には増幅する効果があることが分かった。


 イヴ先生の講義で聞いた"生体には魔力を留める力がある"っていうのと関係してるんだと思う。


 命がなくなっても、その仕組みは続くようだ。


 ファンタジー物語では、竜の目玉やらモンスターの牙やらが、よく魔法道具として使われてたが、ガルナではそれが"真実"なんだな。



 だから俺にとって、その牙が心臓部である、このリニアの名前は、あの獣の名前みたいなもんだ。


「これからよろしくな。ゴルディ」


「よろしくお願いします」


「よろしくだ!」


 二人が俺の真似してゴルディを撫でる。泥をなすりつけるなよ、スーリ……。




 最悪な出会い方したし、複雑な関係だけど、少なくとも俺はもう、お前に対する憎しみはないよ。ゴルディ。


 お前は思う所あると思うけどさ。俺はお前を忘れたくない。



 だから一緒にガルナを旅しようぜ。

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