豊かな食生活に欠かせないもの

 結局しばらく考え込んでも、翻訳魔法に関して進展はなかった。


 まぁいい、慣れてる。何かにつまずいて仕事が停滞したりすることはよくあった。


 何でもかんでも、ぽんぽん解決して先へ進めるとは限らない。


 そんな時は、しばらく置いといて別のことをするに限る。


 そのうち解決のきっかけと出会ったりするもんだ。





 俺が起きた時、珍しくスーリがベッドにいなかった。


 やっと潜り込むのをやめたのか。


「スーリは?」


 小屋の中にいないようだったから、イヴに聞いてみた。


「わかりません」


 折角褒めてやろうと思ったのに、いないのかよ。


 ペットの躾で大事なのは、悪いことしたら叱る、悪いことやめたら褒める、だ。


「どこ行ったんだろ」


「心配ですか?」


「えっ、そうじゃないけど」


 あいつは確かに可愛いリマと同じ姿だが、中身は全然違う。


 幼女姿のモンスターだ。俺が心配する義理なんかない。


「……あーでも、ほら。森には獣いたりするし……」


 小屋にいないなら森に行ったとしか思えない。


「スーリは獣を捕食する側だと思います」


「……」


 やっぱ化け物かよ。


 そもそもあいつは森から来たんだ。言うなれば、実家に帰ってるようなもんだろう。


 心配なんかしてないけど、気にして損した。



 イヴは窓際の椅子に腰かけて外を眺めてる。


 やることが多くないこの小屋で、彼女がよくそうしてるのを何度も見た。


 スーリが来てから、良くも悪くも賑やかだったけど、イヴと二人の時は、こうやって沈黙の中で二人過ごすことも、よくある。


 イヴは口数が多くはない。


 俺は逆に、よく喋るタイプだ。


 知らない相手と話すのも、飲み会で騒ぐのも好きだった。


 でも今、この静かな時間に心地よさを感じてる。



 まぁどうせスーリが戻ったら、またやかましくなるんだろうけどな。


 折角イヴと二人なんだし、邪魔されることなく、魔法の講義を受けられるかもしれない。


 ずっとごたごたしてて、後回しになってたことも多いし、井戸もまだ直せてない。


「あ、そういえばさ」


 俺の言葉にイヴが振り向く。


「果物の収穫、行きそびれちゃってたね」


「はい」


 毎日出される果物は新鮮だから、イヴ一人で何度か行ってたんだろう。


 俺も一緒に行くつもりが、ずっと機会を逃してたことを思い出した。


「今からでも行ける?」


「はい」







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 森の地面の起伏が激しいせいで、小屋からは見えなかったが、川は割と近かった。


 桑の実、枇杷、林檎、オレンジ、プラム、ブルーベリーのような果樹が、等間隔で川沿いに生えてる。


 かなり立派に育ってて数十年は経ってると思う。


 明らかに人為的に植林した感じだ。イヴのお婆さんが植えたのかな。


 その果実は、よく見るとやっぱり地球のものとは違っていて、とても精巧に作られた食品サンプルみたいに思えた。


 手に取ると感じる重みと柔らかさに、現実のものだと納得する。


 このガルナに季節があるのか知らないが、秋なんだろうか。どの果樹もたわわに実ってる。


 とても二人で食べきれる量じゃない。


 何より驚いたことに、イヴはこの果実たちの名前を知らなかった。


 "果物"と全部ひっくるめて総称してたんだ。


 食べないからって無関心過ぎませんかね。


 しょうがないから、俺が地球の似た果物に合わせて、それぞれ名付けた。



 お婆さんは、食べもしないのに植えてたのかな?


 まぁ食べる以外にも用途がないわけじゃない。植物ってのは色んな意味で万能だ。


 でも果物の名前くらいはちゃんと教えてあげるべきだったと思うよ。




 イヴがいくつかの熟しきった実をもぐと、川に投げ入れた。


「何してるの?」


「新たな地へ旅立たせています」


「果物を?」


「種子をです」


「木に果物貰う代わりに、繁殖手伝ってるってこと?」


「それが約束です」


「お婆さんとの?」


「いいえ。彼らとのです」


 イヴが果樹を示す。


 よく分からんが、土着信仰の一種だろうか。まさかこれも魔法の一種?


 随分沢山の実を川に投げ入れたけど、その姿には魔法的要素は一切なく、二人して水切りして遊んでるようにしか見えなかった。


 川幅は広くて、思いっきり投げても対岸に届かない。


 遠くへ投げようと本気で投げると、イヴは更に遠くへ投げるし。


 自然と競い合う形になって、結局俺は負けた。


 くそう五歳児ボディめ。




 でも、ぶっちゃけ楽しかった。多分イヴも楽しんだと思う。




 有り余る果実を、二人でどれだけ運べるか不安だったが、ここでも再びあの魔法紐が大活躍した。


 紐だからね。どんな形にもなれるわけで、籠状に渦を巻かせて、その中に沢山果物を入れた。


 中身を反発して内に留める力と同じように、外部にもその力を作用させる為に少し魔力を多めに通すと、山盛りの果物を乗せた紐籠は、地面からほんの少し浮く。


 あとは紐の端っこを持って引っ張るだけで、重さもないし段差もスルスルと運べる。


 魔法世界で、反重力成せり。


 器どころか、運搬の概念すら覆してるな。


 日本に帰れるのなら、この紐だけでも持って帰りたい。でも魔力自体が存在しない地球じゃ、ただの紐か……。



 因みにこの紐の名前をイヴに聞いたら「魔力を通した紐です」と、身も蓋もない答えを貰った。


 まんまやんけ!


 まぁ確かに、用途が広すぎて、逆に名付けづらいと言えば名付けづらい。







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 小屋に戻ってから、もぎたての果物を食べてたんだけど。


 食べてたんだけど。




 し…塩味が恋しい……。


 いや果物はめっちゃ美味いよ。みずみずしいし甘いし。


 でも基本的に飯じゃないよね。


 体が求めてる。塩を。しょっぱさを。


 もう辛抱ならん。こうなれば仕方がない……。




 ドラえm……じゃなくて、イヴ~~~!





 俺の要望を、イヴは真剣(と思いたいがいつも通りの無表情)に聞いてくれた。


 ただ"しょっぱい"を説明するのに苦労した。塩って言っても伝わらないし。


 食事しない人間に、味覚を説明するのは非常に難しい。


「ガルナに海ってある?海水の味だよ。海水を煮詰めて水分飛ばした感じの」


 厳密には海水煮詰めても、不純物多すぎて純粋な塩にはならないが、まぁ味覚を伝えるのは充分だろう。


 その予想通り、イヴは分かってくれたようだ。


 どこからか小さな壺を持ってきた。中には粒の荒い白い粉が入ってる。


「これ塩?」


「死の岩を砕いたものです」


「死ィ!?」


「海が陸になり、時を経て岩になったものが死の岩です。この粉末を撒いた大地には命は芽吹きません」


「理屈的には岩塩っぽいけど…死ってこわい」


 でもまぁ、中東にある有名な塩湖は、死海と呼ばれてたはずだ。


 死の岩って呼び方も、あながち間違ってないのかもしれない。


「多量に摂取しなければ、毒ではありません」


 イヴがちょっとだけ指につけて舐めてみせてくれた。


 それに倣って俺もちょっと舐めてみる。


「塩だー!」


 感動してもうちょっと舐めてしまった。染み渡る……。


 たかが塩、されど塩。


 イヴはというと、ほんのちょっぴり舐めただけなのに、お茶をごくごく飲んでた。


 薄味の食生活してると味覚が鋭敏になるらしいが、イヴの場合は食事すらしてなかったんだから、その過敏さは比じゃないだろう。


 お茶飲みながら、ちょっと舌出してる姿を申し訳ないけど可愛いと思ってしまった。



 それにしても良かった。ナトリウムは必要な栄養素だ。


 ありとあらゆるものに含まれてるから、そうそう不足はしないだろうが、ここ最近の運動量を考えると、塩はあったほうがいい。


 これで魚でもあれば、タンパク質も摂取出来る。川が近いし釣りでも行きたいな。


「この塩もらってもいい?」


「はい」


「これどこで手に入れたの?」


「お婆さんのものです」


 随分年代物なんだな。塩は腐るもんじゃないから問題ないけども。


 入手方法がはっきりしないうちは、大事に使おう。

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