あの子を食ったスライム野郎

 俺は夢から醒めた。



 今まで走っていたかのように俺の胸は激しく上下し、喉は夢と同じように乾ききっていた。


 顔が冷たく濡れてる。泣いていたのか…。


 頬に手を触れようとした時、自分の手が誰かに握られていることに気づいた。


 その手の主に目をやって、喜びが胸に広がりそうになる。


「リ…リマ…」


 いや、違う!!


「お前はっ…化け物!!」


 夢うつつで勘違いしそうになったが、こいつは俺を殺そうとしてた触手金髪化け物幼女!

 

 ベッドの端で固まる俺を、化け物幼女はしらーっとした顔で眺めてる。


「…え…あれ?」


 戦意が感じられない。


 とても表情豊かに侮蔑を表しているけど、殴りかかってくる様子はない。


 生きているリマナの姿をついさっきまで見ていたから、今目の前にいる幼女が、本当にそっくりなのに胸が痛む。


「見たか」


 呆然とする俺に、幼女が問いかけてくる。


「…何を?」


「この形の持ち主の記憶だ」


 見ていた夢の話か?


 じゃあ、あれは…実際にあったことなのか?


 あの悲しみと恐怖が蘇る。


 リマナとルク…あの後どうなったのかは、もう知っている。


 あの幼い兄妹は、絶望の底で死を迎えた。


 恐ろしく凄惨で悲劇的な最期を。


「なんでお前が…どうやって…」


「知らない。俺の意識の中で、お前が知りたい情報がそれだったんだろ」


 幼女の見た目でずいぶんな喋り方する奴だな。


「お前は…その…リマナの体を借りてるのか?」


「形を真似しただけだ。本来のあの人間の血肉はもう食った」




 自分でも怒りを自覚する前に殴りかかっていた。


 渾身の力を込めた俺の拳を幼女はわずかに首をひねるだけで交わし、髪がふわりと舞い上がっただけだった。


 俺はその勢いのまま、ベッドの下に無様に落ちた。


 傷が痛んで、そのままうずくまる。


「お前っ…なんで…!化け物…!」


「なんだよ。もう一度やるのか?お前もう死にかけじゃねーか」


「お前…お前…うああああああああ‼‼」


 腕にまだ残ってるリマナのぬくもり、俺を呼ぶ幼い声、繋いだ手の弱々しさ、全部生々しく思い出せる。


 俺の慟哭は、ルクの感情なのか俺自身の感情なのか分からないが、腹の底からこのリマナの姿を盗んだ化け物を憎んだ。



 ドアが開いてイヴが入ってきた。


「アベル」


 床に倒れている俺を支えて起き上がらせてくれた。


「イヴ、来ちゃだめだ。こいつ化け物だ」


 全身が死ぬほど痛んだが、イヴと化け物の間に立つ。


 イヴには指一本触れさせない。


「お話はしなかったのですか?」


「話すことなんてない!こいつはリマを…リマ…」


 化け物が手を伸ばしてきた。


「やめろ!触るな!」


 その手を弾く。


「触れないと、お前が何を考えているか分からない」


「何を言って…」


 痛みで膝をついてしまった。くそっ立ってる力すらないのに、またこの化け物とやりあっても勝機が見えない。


 脂汗がぼたりと床に落ちる。


 また支えられてかろうじて起き上がったが、その支えは化け物の腕だった。


 振り払う力もない俺は睨みつけるしか出来ない。


 いざとなればその喉笛に嚙みついて殺してやる。


「俺はリマナを殺していない。お前の怒りはまちがいだ」


 食ったって言っただろう!お前はリマを食ったんだ!


「命なき肉を食って何が悪い」


 俺の腕を掴んだまま、乱暴にベッドに放り投げる。腕は掴まれたままだ。


 もう声を出す力もない。


「お前は"俺たち"に食わせる為に埋めたんじゃないのか」


 何を言ってるんだこいつは。食わせる為に埋めた?俺はリマナが獣に食われない為に…。


「命なき肉は、命あるものの糧となるのは当たり前のことだ」


 肉って呼ぶな!リマだ!俺の…ルクの妹だ!


「名前なんて意味ない。俺らが食わなきゃリマナは土に還ることもない。それがよかったのか」


 何を言ってるんだ。お前は一体なんなんだよ!


「大地の生命の根幹の一部」


 そこで気づいた。俺は声を出していないのに、こいつと対話している。


「契約したからな。俺の意識とお前の意識は混ざり合ってる」


 なんだって?俺の頭は化け物と繋がってるってことか?


「俺が契約を途中で放棄したから、不完全なものだ。だから触ってないと意識での会話も出来ない」


 ふざけんな!今すぐ契約をなかったことにしろ!


「俺だってそうしたい。とんだ弱者に力を与えてしまった」


「だったら今すぐ契約解除しろ!…?声が…」


 声が出るようになったし、痛みも少し和らいでる気がする。


「その回復力も俺の力だ。大人しくしてろ」


「お前の力なんかっ…」


 腕を振り払ったら一気に力が抜けて、ベッドに突っ伏してしまった。


「アベル。まずは体力を回復してこの子と話してみてはどうですか?」


 イヴはこいつが何をしたか知らないんだ。


 こいつの非道な行い…あんな小さなリマを…食ったなんて…。


 悔しいがこいつから力を貰っていたのは事実らしい。腕を振り払ったあと急激に痛みがぶり返して視界がぼやけてきた。


 死ぬのかもしれない。包帯が巻かれた胸にぬるりとした感触がある。血がまた吹き出してるんだろう。


 でもリマを食ったやつに力を貰うくらいなら、このまま死んだ方がマシだ。


「その…姿…やめろ」


 俺は肩で息をしながらそれだけ絞り出した。


「……」


 俺を見おろしてた化け物は、静かに目を閉じた。



 だぷんっと重い音と共にその姿は、柔らかな粘土のように崩れ落ちた。


 一瞬視界から消えた"そいつ"は、床から盛り上がる水柱のように再び姿を現した。


 こいつの本体は水だったのか…。いや水じゃないな。


 表面が蠕動しているが、その波は大きく緩やかだ。水というより、もっと粘り気がある感じがする。


 その動きも相まって巨大な粘菌の塊のようだ。


 魔法のある、この世界風に言うならスライムか。


 透明なそいつ越しにイヴが見えた。相変わらず無表情だが、イヴがそこにいてくれるだけで、少し安堵する。


 スライム野郎から透明な触手が、俺の方に伸びてくる。


 避ける力も残ってないが、もしあったとしても俺は動かなかっただろう。


 こいつは俺の「リマの姿をやめろ」という言葉に従った。




 そのうえで、俺に何かをしたいなら──伝えたいなら、聞いてやる。




 透明な腕が触れた時、予想していたような冷たさはなかった。


 あの時握っていたリマの手と同じくらいの温かさだった。


 じわりとその熱が俺の体に広がり、痛みが引いていくのを感じる。


 ──そして……

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