世界で一番残酷な夢(9/終)
「ちょっとお話してもいいかな」
夕食を終えて、Qにあてがわれた部屋の扉を叩く音。Aだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
妃一行と別れた後、すぐに赤ずきんもどこかへと姿を消した。ロック曰く、噂によると彼は元よりそういう性分なのだという。
日が傾きかけていたこともあり、残った者達はアンの家へと向かった。ロックもナナのことが心配でアンの家まで付き添った。人数が突如増えたことにアンの両親は驚いていたが、そのまま皆は中へと通された。
すべてを話すことはしなかった。しかし、アンの両親にナナの家族に起きた悲劇を告げると、彼らはすぐにナナを家族に迎えると決めた。
ナナは今後、アンの家族と共にこの家に住まうことになっている。しばらくはあの家には戻りたくもないだろう。
それから数日が経った。
ロックはアンに気に入られて未だ家を出ることを許されず、現在はアンの部屋で人形遊びに付き合わされている。
ナナはまだ笑顔を見せることはほとんどないが、少なくともアンの家にいることで安心はしているようだった。
「で、話ってなんだ」
「うん。ちょっと相談というか、意見を聞きたくって」
部屋に入ると、Aはベッドの端に腰掛ける。まるで初めて会った日のように。
Qにはあの夜がもう遠い昔のようにも、つい一瞬前のようにも感じられた。不思議な感覚だった。
「何を聞きたいんだ」
「えっと、まずはこれからのこと。僕は元々旅をしていてね、そろそろここを離れようと思ってる。Qちゃんは?」
「そうだな、俺も旅に出るか。元の世界に戻る方法を探さなきゃならないし」
「てことはQちゃんは、やっぱり戻りたいんだね」
AはQの方を向き、しっかりとその姿を見据えて訊ねる。その顔は子供とは思えないほどにしっかりとしていた。
「そりゃあ、そうだ」
「だよね。だったら、話しておきたいことがある」
QはAの言葉に無言で頷く。
「あの日、Qちゃんが最後にお妃様に頼んでいたこと。あれって何か意味があって言ったの?」
「あぁ……あれか。いや、実のところはこれといって明確な目的があったわけじゃない。ただなんとなく、そうすべきだと思って」
QはAの質問に、歯切れが悪くも答える。あの時どうしてあんな依頼をしたのか。後悔はないが、自分でもよく分かっていなかった。
そんなQの態度に、Aは悪戯っぽく口の端を少し上げた。
「そっか。じゃあの提案は偶然というか、まぐれみたいなものだったんだ」
「まぐれ? 何が」
「ふふ。Qちゃんが信じてくれるかは分からないんだけど、ちょっとした仮説を思いついてさ」
Aは咳払いをする。
あの時妃にQが頼み事をした時、Aもなぜだかそうすべきだと感じていた。その理由を、そして思いついたことを、これまでずっと考察してきた。
自身で立てた仮説とはいえ、なかなかに根拠の乏しい理論であることは分かっている。ただしこの説を裏付ける材料は少ないとはいえ、否定する証拠もない。
けれど、Qなら笑わずに聞いてくれるような気がした。
「僕ね、元の世界に帰れるかもしれない方法を思いついたんだ」
さて、どう話したものか。
驚きを隠せないQに向けて、Aは浮かんだ仮説を頭の中で組み立てる。
「あれから数日経って、ナナの家族の事件が周りに知られ始めているのは、Qちゃんも知ってるよね?」
「ああ。新聞で見た」
「その新聞の内容、詳しく覚えてる?」
「……正確に違わずは難しい。要約でいいなら、獣が襲ったんじゃないかと書いてあったと思う」
思い出しつつQは答える。穏やかな田舎において、今回の件はここ数日の新聞の一面を占めていた。
「狼の仕業じゃないか、って意見も載ってたよな」
「うん。断定はされてなかったと思うけどね。元々この辺りは狼が多いらしいし」
今思えば、赤ずきんがこの地に赴いたのは本来この土地付近に出没する狼の討伐の為だ。もしかしたら、白雪姫が元いた群れやその血族が住んでいるのかもしれない。
経緯を知らぬ新聞では野生の狼の群れが一家を襲ったのではないか、と書かれていた。
残った娘、つまりナナは消息不明とされている。これはナナの様子を見て、アンの両親がまだ名乗り出るべきではないと考えたからだ。やはり例のごとく世間から少女を隠すことに罪悪感はあるようだが、記者達の尋問からナナを守ることを選んだのである。
目撃者も生存者も不明で、そこから捜査はたいして進んでいないようだ。
「それがどうかしたのか」
「その中にちょっとでも書かれてた? 僕ですら思いつく『狼と七匹の仔やぎ』についての引用がさ」
Qは記憶をたどり考えこんだ。どの記事もシンプルに、事実についてとその事件の犯人への推論くらいしか記載がなかった。
「引用はなかったはずだ。」
「だよね。僕は意識して読んでいたけど、言及はまったくなかった。これって変だと思わない? 『狼と七匹の仔やぎ』はかなり有名なお話だと思うし、状況はぴったりなのに。それに『白雪姫』に関してもみんな同じように反応がなかった」
Qは頷く。
それだけではない。『赤毛のアン』や『ウィリアム・テル』についても同様だった。
「誰もこの状況でおとぎ話について触れやしない。だから僕は思ったんだ。ここには『七匹の仔やぎ』も『白雪姫』も存在しないんじゃないか、って」
Aの発言に対し、Qも心当たりがあった。そうであればあの反応の鈍さも頷ける。
「それで僕は気になって、アンの両親に聞いてみたんだ。ここではどんなおとぎ話が有名なんですか、ってさ」
すると二人は顔を見合わせてこう言ったという。
——『おとぎばなし』とは何でしょう?
「驚いたよ。急いで書斎に行って改めて確認をしたら、彼らの本棚にあるものは基本的にすべて、ベースとなるのがノンフィクション。
ここにはおとぎ話に代表されるような創作物の類が、そもそも、一切ないんだよ」
「そんな……」
馬鹿な、と言おうとしてQは思い返した。何度か書斎に出入りしたが、確かにこれまでの生活で目にしたことがない。
「もちろん本当にすべてが文字通り事実のみ記された記録そのもの、というわけじゃないけどね」
Aが確認した中にはもちろん突拍子のない、架空だと思われる内容もあった。
しかしそれも特定の人物や事件について語られるうちに誇張や誤解が生じ、そこから結末や展開が捏造された、というものばかりだった。
「それで僕は思った。今回の事件はおとぎ話をなぞったものじゃなくて、むしろその逆で。つまりはあの事件を元にして創作されたのが、僕らの世界で語られる『白雪姫』あるいは『狼と七匹の仔やぎ』っておとぎ話なんじゃないか、と思ってる」
思った以上に真面目に話を聞いてくれるQに、Aは照れながらもまとめる。
「えっと、つまりね。有名なおとぎ話は僕ら同様にここへ辿り着いた誰かが元の世界に戻った後に書かれたもの、あるいはその話を聞いた誰かが記したものじゃないか、っていうのが僕の仮説なんだけど……どうかな?」
Qの様子を伺うようにちらちらと表情を見ると、長い前髪の奥で瞳が細められたような気がした。
「確かにな。その可能性は否定できないというか、むしろ納得するくらいだ」
「ほんとに?」
「ああ。子供の頃から気になってたんだが……ドラゴンとか竜ってやつ、あれはなんで西洋にも東洋にも、形は微妙に違えど似たような伝説があるのか疑問に思ってたんだ。
もしさっきAが言ったとおりなら、同じ生物を見た過去の誰かが、それぞれの地元でその見聞を広めた結果なのかもしれない」
「わ、言われてみれば。僕は思いつかなかったよ」
Aは知らないだろうが、Qは他にも思い出す話が幾つかあった。
例えば日本昔話の定番の一つである『浦島太郎』。不思議な世界に迷い込んだ男が家に帰ってきたら時間が進んでいた、という話だが、細部こそ違えどアメリカの『リップ・バン・ウィンクル』という小説や中国の『爛柯』という伝承などにも似たような描写がある。
また童話の中でもトップクラスの知名度を誇る『シンデレラ』によく似た話がアラビアの『千夜一夜物語』に収録されてもいる。
これらの元となった出来事が同一ならば、世界各地に似たような伝承があるのも頷けるだろう。
中には作者がはっきりしているものもあるが、これらはもしかしたらQやAとは違ってもっと無意識に、どこか例えば夢の中などにおいて作者の意識がここに繋がった結果生み出された物語なのかもしれない。
まさに夢か冗談のような説だが、違うとも言い切れないのも事実だ。
Qは改めてAに聞いた。
「それで、もしそうだったとして。それがどう俺達が元の世界に帰る方法に繋がると思ったんだ?」
「もし僕の説が正しければさ、おとぎ話には多くの異世界への鍵、言い換えれば元の世界に戻れるかもしれないヒントが描かれていると思うんだ」
一生懸命に考えたのだろう。Aは指を折りながらQに示す。
「例えば竜宮城へ連れて行ってくれる亀、ネバーランドに導く少年、不思議の国へ誘う兎……僕らもそれを見つければ、帰ることが出来るんじゃないかな」
Qはそのアイデアに素直に感心した。面白いことを考えるものだ。子供の発想は侮れない。
しかしこれまで自信満々だったAだが、ここにきてAは肩を落とした。
「ただちょっと、心配もあるんだよね……」
「それはどんな」
「うん。一番気になるのは、帰った時にそこが僕の知る場所知る時代であるかどうか、ってこと。『浦島太郎』みたいに何百年も経っていたらどうしよう」
Aがこの仮説を思いついてすぐにQに言わなかったのは、その点が問題だったからだ。何か解決案を考えたものの思い浮かばず、結局直接それも含めて相談すると決めた。
するとQはAが拍子抜けするほどにあっさりと言った。
「なるほどな。もし帰ることができさえすれば、その後はそんなに心配ないと俺は思う。保証はないし、例外はあるだろうが」
「えっどうして!」
何と説明したものか、とQは頭を捻りつつAの驚きに満ちた顔を見た。
「例えば『白雪姫』はグリム童話集に収録されている。知ってるか?」
「それくらいは聞いたことあるよ」
「グリム兄弟は俺達よりずっと昔の時代の人間だろ」
「そうだね」
「ということは、だ。もしこの間の事件が白雪姫の原型だと言うなら、彼らにその話を伝えた人間は、少なくとも今かこの先ここで事件を知り、それを俺達の世界における過去の時代で伝えているってことになるわけだ」
「あっ、そうか」
そこまで聞いて、Aははっとした。
「つまりこの世界の時間の流れは、僕らの世界のそれとは違うんだね。だからその人が元いた時代に関わらず、この世界のどこかの時と場所にとばされる……ってことなのかな」
Qは満足気に微笑み、それを見てAも笑顔を浮かべた。
「……で、そうだとどうなるの?」
「もし俺が元の世界に戻ったときに時代が違っていたら、どうすると思う? きっと俺はここの話をする前に、元いた時代の話をすると思う。異世界の事件よりは信じてもらいやすいだろうし、その方が話としては人々の興味を引きそうだ。
そういった時間旅行者の記録もないわけじゃないが、正確性の高い事例はあまりない。だからもしAの説が事実なら、ほとんどの人間は元いた時代と場所に、いつもの日常に戻っているんじゃないか」
Qはそう説明したが、Aの不安は完全には消えないようだった。
「でも不安は残るよ。僕らは明らかにここの人々と時間や身体の感覚が違っているもの」
それは事実だ。Aに言われずともQにもその自覚はある。例えば夜はほぼ寝ていないのに全く眠くならない。またいくら歩いても疲れず、食欲なども異常である。
ただ、Qはやはり妙な確信を持ってAの説を支持していた。
「それじゃ、さっきの説でここ、つまり異世界へとやって来たかもしれない人物を思い浮かべて、タイトルを挙げてくれ」
「うーん『不思議の国のアリス』でしょ? 『オズの魔法使い』に『ピーターパン』とか」
「いい例だ。なら思い出して欲しい。『アリス』や『ドロシー』は、いつ戻って来た? 彼女らが異世界で過ごした時間と、現実の時間はリンクしているか?」
「して……いないと思う」
「だよな。異世界旅行ととれる描写のある童話の多くは、元の世界に帰った後は何事もなかったかのように日常に戻っている。つまりここで何年過ごそうが、最終的には向こうから失踪した直後の時間軸に戻ることが出来る。まあ、戻れればだが」
「そうだよね。『浦島太郎』みたいなお話もあるけど、何事も例外はあるって言うし」
瞳を輝かせるAに、Qは『浦島太郎』と同様にずれた時間に取り残された話が各地にあることを告げるか悩んだが、言わないでおいた。せっかくやる気を出しているところに水を差し、また暗い顔をさせるのは忍びなかった。
「どうなるかは分からないが、その時はその時だ。試してみてから考えよう。そもそも、帰れるかどうかの時点で夢物語みたいなもんだ。その後の心配は帰ってからすればいい」
「簡単に言うね。まあでも、Qちゃんが一緒なら悪くはないかな。少なくともこれからの目的みたいなものはできるしさ」
Aは元気を取り戻し、拳を高く上げる。気合いを入れているようだ。その仕草にQは苦笑をしつつも倣った。
「それじゃ鍵ってやつを探すか。それとあとは、噂話を作るのも必要だな。おまえの言うとおり、俺はまぐれで大仕事をしていたってわけだ」
Qの話に、Aは首を傾げる。
「噂話って?」
「俺達が物語の鍵を探すには、当たり前だがその元になる話や伝説を知ってなきゃならない。知らないものは探せないからな。
そのためには、これからここに来て帰る過去の奴らに、その原型の噂話を聞かせておかないといけない、ってことだ。それも一つや二つじゃなく、グリム兄弟やアンデルセンが童話集を出すほどたくさんのネタを用意しなきゃならない」
Aはふむ、とじっと考え込む。
「じゃあ要は、僕らが元いた世界に戻るには、まずは色々なおとぎ話を世に広めなくちゃならない——ってこと?」
「早い話がそうだ。厳密には童話として未完成なものでいい。物語……いや、噂話を仕立て上げるくらいで充分だろう」
「僕にそんなことができるかな」
「なに、一人では無理でも二人でやれば案外なんとかなるだろうさ……たぶんな」
Qがそう言うと、何の根拠もなくともAはなぜだか上手くいくような気がしてきた。
「そういえばさ、Qちゃんはどうしてそんなに童話や伝承に詳しいの?」
「ん?」
「僕だって『白雪姫』は知ってるけど、『赤毛のアン』の脇役まではさすがにすぐに出てこないよ」
聞こうとは前々から思っていたが、改めて気になりAは訊ねた。偏見は良くないが、童話に詳しい成人男性は世の中に少ないように思う。
やや照れくさいのか、Qは頬を掻きながら言った。
「ま、そりゃそう思うか。もう十年以上も前の話だからあれだが、俺は大学で文学部ってとこにいてな。そこでの専攻が児童文学や民間伝承、つまりおとぎ話研究だったんだよ」
「え、そうなの?」
「まあな」
「……出来すぎてない?」
「俺もそう思ってたとこだ」
芸は身を助けるとはよく言うが、今はまさにその状況。現役だった学生時代からはだいぶ経つが、記憶がどこまで通用するだろうか。
「そういうわけだから、何か見つけたら聞いてくれ。一般の奴らよりはそこそこ詳しいはずだから」
「頼りになるよ、ありがとう。何か気になることがあったらすぐに電話する。他の街へ移動するときには事前にどこに向かうのか教えてね。あっ、電話は役所から掛けられると思うから定期的に連絡を取ろうよ」
「……ちょっと待て」
「なに?」
「何で別行動する前提なんだ?」
そう問うとAはきょとんとした顔を向けた。当然でしょう、とその目が告げる。
「その方が効率が良いと思うんだけど」
「そりゃまあそうだが、おまえ子供じゃないか。一人旅なんて大丈夫なのか?」
「何言ってるのさ。ここでは僕の方が旅人歴の長い先輩だよ。むしろQちゃんこそ独りだと不安かな」
「そんなわけないだろ」
思わず声を荒げると、Aはふふっ、と笑ってひらりとベッドから降りた。
「それじゃ、また。おやすみなさい」
◎
それから数日後、暖かい日を選んで二人は旅に出ることを決めた。
アンは嫌だと駄々をこね、最終的には泣き疲れてソファで眠り始めた。そっとAが毛布を掛ける。
どうやら思った以上に客人達は彼女に気に入られていたのだろう。ひと月に満たない時間を過ごしただけでも、幼い少女にとっては大切な友達だったのだ。
けれど名残惜しいが仕方ない。二人はそれぞれの持ち物の中からアクセサリーをプレゼントとして枕元に置き、そっと仮宿を出た。
初日には無限に続くように思われた森も、道さえ分かっていればこんなものか。あっけないくらいにそう感じ、Qはなんだか不思議な気分だった。
アンの父親に連れられて森を抜けた先の街で、二人は人々から話を聞いた。変わったことはないか、目立つ人物を知らないか。情報を頭に、それぞれの目的地へと足を進める。
夜明けまではまだ間がある。街の住人のほとんどは眠りについているような時間だが、二人には関係がなかった。
Qはカボチャ色のバイクに乗る義足の女に会いに。Aはマッチを売り歩く行商人を探して。
「じゃ、またね」
「ああ」
互いに手を振り、鞄一つを共にしてそれぞれの道を歩き始める。
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