世界で一番残酷な夢(4)

 何もできないまま、Qは白い後ろ姿が小さくなって消えるのを眺めていた。


「何だったんだ、今の子は……」


 森で少女らしき姿を見た、と思った次の瞬間には彼女に逃げられてしまった。声すらかけていないのに。そう思うと少し悲しい。

 アンほど警戒心がないのも心配だが、それはそれでここまであからさまに距離を取らなくてもいいだろう。


 深く考えればもっと悲しくなりそうだ。

 Qは気持ちを切り替え、赤いリボンを追うことにした。


 改めて昼間に見ると、森はそれなりに手入れをされているのが分かる。大部分は自然のままのようだが、木を切り倒していたり、草を刈っていたりする痕跡があった。人が通れるようにする為だろう。

 アンの両親の話では他にも何軒かの家があるらしいので、おそらく住人達がそれぞれ自宅周辺を整備しているのだと思われる。


 道と呼べるものを歩いてしばらく、Qの瞳に鮮やかな赤が飛び込んだ。

 初めはリボンかと思ったがすぐに違うと分かる。風になびくこともなく、それは静かに枝にぶら下がっている。


「林檎か」


 野生のものにしては程よい高さに実が並んでいることから、この辺りの住人の誰かが世話をしているのかもしれない。

 これで生計を立てているようには見えないほどに小規模な果樹園だが、そろそろ収穫の時期なのだろう。艶めいた色が美しい。


 無意識に、思わず手を伸ばしかけ。

 ——その刹那、何が空を切ってQの頭上すれすれを掠めていった。


「な……っ!?」


 深々と林檎に刺さるのは一本の矢だった。


 振り返り、飛んで来た方向を確認すると小柄な少年と目が合う。

 十代半ばくらいだろうか。森の樹々に同化する、迷彩色の外套に身を包んでいる。その顔色は、遠目にも分かるほどに真っ青だった。


「わ……えっ! ちょ、あんた大丈夫っすか!?」


 少年はボウガンらしきものを手にしている。どうやら状況的に、先程Qの頭を射抜きかけたのは彼のようだ。

 枯れ枝を踏み折って駆ける音が、静かな森に響き渡る。


「す、すいませ……っ! あのっ、俺、人がいるなんて、思わなくって! ちょっと弓の練習を、大仕事の狩りで、だからっ」


 慌てふためく少年の様子に、むしろQは平常心を失わずにいられた。


「おい、ちょっと落ち着け。な? 矢は俺には当たってない。怪我はないから、ほら。何も問題ないって」

「へ……? あ、あぁ……よ、良かったぁ」


 安堵から少年は地面にへたり込む。目の端に浮かぶ涙。取り返しのつかないことをしてしまった、と尋常でなく焦ったに違いない。


 一方、彼が落ち着くのとは対照的に、Qは自分が死にかけたという事実をじわじわと実感し始めた。こういった恐怖は案外遅れてやってくるものなのかもしれない。


「あの、え、ほんとに大丈夫すか、旦那?」

「……ああ。平気だ」


 ここで取り乱せば、目の前の少年はまた大騒ぎするに決まっている。

 努めて、優雅に。冷静に。これはもはや大人のプライドを賭けた戦いだ。


「全然、まったく。気にしなくていい」


 作り笑いであろうとも。

 それでも笑みを見せたQに、少年も笑顔で返した。


「ううっ、なんて心の広いお人なんだ! 俺、旦那に一生ついていきます……っ!」

「いや……その、そういうのはいいから。お互い名前すら知らないのに、それはないだろう。何だよ旦那って……」

「あっあっ、そ、そっすね! すいませんっ! 馴れ馴れしっすよね! あ、兄貴って呼んだ方がいっすか?」

「……旦那でいいよ」


 旦那、という呼び方もなかなかどうかと思うが、初対面の相手に兄貴扱いされるのはもっとどうかと思う。


「それにしてもいったい何でこんなところで弓の練習を? 狩りとか言っていたが、野生の熊でも出るのか」

「出るのは狼っすよ、狼。ご存知ない?」

「知らないな。実は昨日この辺りに来たばかりで」

 口にしてから思い出した。そういえば、今朝の新聞で獣の話題を目にしたかもしれない。


「狼がいるのか、この森は」

「らしいっすよ。俺、こう見えて狩人でして、今はさるお方の依頼で家出人の捜索を請け負ってるんです。で、これはもしかしたら狼と戦うことになるんじゃあないの、と」


 すっ、と手を伸ばし、少年は頭上に輝く林檎をもぎ取る。

「それで、こう……いい感じの的があったので、つい」

「練習熱心なのは良いことなのかもしれないが、次からはもっときちんと周りを確認しろよ」

「はい、ほんとすいません……」

 少年は再びしょぼくれた様子で肩を落とした。深く反省しているようだ。悪気がないのならそっとしてやろう、とQが思った時、少年は小さな声で呟いた。


「俺、絶対にテル先生みたくはできねえや……」


 何気ない一言。その中で、Qは彼の口にした名前に興味を持たずにはいられなかった。


「テル先生って、あの『ウィリアム・テル』のことか?」


 林檎と弓。

 息子の頭に載せられた林檎を射抜いたという弓の名手の伝承は、たとえ彼の名を知らずとも世界的に有名である。

 林檎を手に弓を携えた少年を前にして、Qがそれを連想するのも無理はない。まして本人がその名を口にすればなおさらだ。


 しかし不思議なことに、その言葉を呟いた当の少年の方がQよりもはるかに驚いていた。


「え、えっ! 旦那、テル先生をご存知なんですか!」

「そりゃまあ、有名だし。そんなに驚くことか?」

「もちろんっすよ! やっぱりテル先生は実在するんだ! 誰に聞いてもって言うからてっきり俺、嘘っぱちの出まかせなのかもしれない、と」


 誰に聞いても知らない。


 果たしてそんなわけがあるだろうか。もちろん知らない人間もいるだろう。実在するかどうかについても分からない。

 しかし彼の偉業を鑑みるに、誰も知らないほどに知名度が低いことはありえないのではなかろうか。


 いや。はおそらく異世界なのではないか、とAは言っていた。

 それが正しければ『ウィリアム・テル』が無名どころか、その伝説そのものが存在しなくても不思議ではない。


 しかしそれならば——なぜ、この少年は『ウィリアム・テル』を知っているのか?


「その話、もっと詳しく聞いてもいいか」

 好奇心が強く掻き立てられている。はっきりとそれを自覚した上で、Qは少年に問うた。


「あの、何を話したら? テル先生のことを有名って言うからには、俺より旦那の方が詳しいんじゃ……」

「かもしれない。テルの伝承についての有名な部分は知ってる。知りたいのはその内容じゃない。それをどこで知りえたのか、という点についてなんだ」


 ——楽しい。

 まるで暗闇の中に小さな炎を灯してゆくように、懐かしさを帯びた記憶が少しずつQの頭の中に蘇って形を成す。

 最近ではめっきり触れる機会が減ってしまっているが、これは自分の領域だ。そう心が主張している。


「誰から聞いたか、ってことすかね。俺はガキの頃に旅人さんからテル先生の話を聞いて、それから憧れてるんすけど」

「旅人?」

「そっす。ちょうど今旦那が着てる感じの服で、手に大きな銀色の鍵みたいな物を持ってて。なんか遠くから来た旅人だとかなんとか……とにかく変わった人でしたよ」

「——銀の鍵を持つ旅人か」


 少年は頷き、目を閉じると眉間に皺を寄せて唸る。当時を思い出そうとしているのだろう。

「名前は……すいません、覚えてないっす。ともかくその人からテル先生の活躍を聞いて、俺感動して。家族とか友達とか、色々その話をしたんですけど、でも誰も知らなくて。それで、俺は悪い奴に騙されたんだと思ったんすよ……でもやっぱり、憧れは消えなくて」


 嘘かもしれない。騙されているのかもしれない。でも、疑えども感情は止められなかった。


「魔法使いの手助けもなく勇気と覚悟だけで行動できるなんて、なんかかっけぇなって。嘘じゃないなら、堂々と憧れだって言えるよ。教えてくれてありがとう、旦那!」

 少年は自分の中で気持ちの整理がついたようで、独りで勝手に話をまとめている。


 待ってくれ、まだこっちは聞きたいことがある。なんなら今の発言で気になることが増えた。


 Qは気分を切り替えさっそく歩き出そうとしている少年を慌てて引き止めた。

「待ってくれ! もうちょっとだけ聞いてもいいか」

「え? はい」

「まず俺はこの辺の文化には詳しくない。だから、失礼なことを聞いたらたいへん申し訳ないんだが、どうしても気になることがあるんだ」

「何です? 俺はこの短い間に旦那というお人をすごくすごーく信頼しているので、だいたい何でも受け入れますよ」

「それなら助かるよ」


 少年の語った葛藤。何のことはないように思えたが、彼は本気で思い悩んでいるようだった。

 それがQには理解できなかった。


「さっきの話、もし『テル先生』が嘘だったら。それはその旅人が悪意を持って騙そうとした、と考えるのか?」


 嘘の中には悪いものがある。しかし同時に、悪意のない嘘も存在する。

 サンタクロースは確かに子供を騙す為のほら話かもしれないが、それを悪だとみなす人間はほとんどいないだろう。

 その旅人が語った『ウィリアム・テル』にしても、悪い嘘というより幼い子供を楽しませる創作話だと考えてはいけないのだろうか。それを楽しむのは、愚か者の証なのだろうか。


 分かりやすいように言葉を選んで訊ねてみても、少年は不可解だと言わんばかりの顔をする。

 どうやらでは原則として、嘘をつくことは罪であり嘘つきは悪い人間である、と人々は考えるらしい。


「なるほど、覚えておく。あともう一ついいか」

「どうぞどうぞ」


 あまりの恥ずかしさに顔を赤らめながらも、一応聞いてみる。

「魔法使い……って、いるのか?」


 魔法使いの手助け、と少年ははっきり口にした。比喩だろうとは思うが、念のため。


 ——何言ってるんすか、旦那。そんなのいるわけないっすよ。


 そんな感じに返してくるに違いない、とQは考えていたが少年は真顔で告げる。


「俺は見たことないですが、そりゃあいるでしょうよ。冗談で言ってるんです?」


「……そう、そうか。うん。冗談、だ」

「なぁんだ、いきなり真剣な顔で言うからびっくりしたじゃないっすか。あははは、旦那って冗談言うの下手くそっすね!」

 少年は笑っている。Qはなんと続けるべきが分からず、曖昧な笑顔でそれに応えた。


 『魔法使い』。

 それがどういう存在なのかは不透明だが、今それについて尋ねるのはやめておこう。この世界ではだいぶ世間知らずに映るようだ。大人のプライド的に耐えられない。

 後でAに詳しく聞こう。


「旦那、他に聞きたいことは?」

「あとは……ああ、そうだ。すっかり聞き忘れてた。初めに聞くべきことなのに」

「何を?」

「名前だよ、名前。そういえば自己紹介がまだだよな。俺はQ……って呼んでもいいが、好きにしてくれ」


 ここまで話してきたのにすっかり忘れていた。どうやら少年も指摘されて気が付いたらしい。


「あーッ! そうだそうだ、いやぁ失礼な真似を! くそっ、まずは挨拶からって親父にも散々言われてんのに! こんなんじゃ、名前を継がせないって怒鳴られちまう!」


 外套を払い、同色の帽子を深く被り直す。弓持つ片腕は背に回し、もう片方の握る林檎はポケットへ。空いた手を胸に当てると、少年は深くこうべを垂れる。


「改めまして。俺のことはロックと呼んでください。どうぞよろしく!」


   ◎


 それから、森の中を二人並んで歩いた。


 ロック少年は仕事で人を探していると言ったが、特に具体的な目的地があるわけではないようだった。

 そこでQが知り合いを追いかけていることを知り、とりあえず同行を申し出たのだ。


 歩きながらも、先程の魔法使いの存在についてが気になる。他にも色々と気になりすぎてもういっそどうにでもなれ。

 とにかくすぐにでもAと会いたい。


 けれどもまずは落ち着こう、とQはロックに尋ねてみる。

「なあ、ところでどんな奴を探してるんだ?」

「なんと! 手伝ってくれるんすか、さっすが旦那!」

「いや、そうじゃない。聞いてみただけだ」

「なんだぁ〜、残念。ま、いいっすけどね。そもそも一般人を危険に巻き込むわけにいかないんで。お嬢さんのことは自分で探しますよ」

 がっかりする素振りを見せたロックだったが、それはそれとして彼にもプロとしての意識はあるらしい。


 しかしこうなるとかえってどこの誰を探しているのか知りたくなるのが人の性というやつだ。


 考えを巡らす。さて、ここまでに得た情報を繋ぎ合わせてみよう。

「お嬢さん、と言うからには女性なんだろうな」

 彼の年齢から考えて対象の女性はきっとかなり若いのだろう。幼い、といってもいい年頃かもしれない。

「それから狼。これは重要なキーワードだ」


 少女。狼。森。

 ここから導かれるのは——。


「そのお嬢さんってやつは、を被っていたりしないか?」


「いや、しないっすね」

 即答だった。


「ま、そうか。『ウィリアム・テル』を先生と呼ぶ奴なら『赤ずきん』を探しててもおかしくないとは思ったが」

「いやいやいや、そりゃないっすよ。そんなわけないでしょ普通」


 冗談が過ぎた。さすがにそれはそうか。

 

 そう考えたところでふと思った。

 『赤ずきん』、と言ってみたときのロックの反応は『赤ずきん』を知らないというよりも、知っている上で否定しているように聞こえる。


「なあ……『赤ずきん』の話は知ってるんだよな?」

「もちろんすけど。あの、旦那? でもどうしてここで赤ずきんさんが出てくるんすか。そりゃ狼の目撃情報があるんで、近くですれ違ったりとかしてるかもってとこではありますが。その、俺の探してるお嬢さんの話してましたよね?」

「だから、さっきのは冗談だよ。誰も本気で『赤ずきん』を探してるとは思わないって……」


「そっすよね。をお嬢さんって呼ぶのはちょっと無理めですもんね」


「……おい待て」

 今、って言ったが。まさか男なのか。


 いや、それ以前にそもそも——『赤ずきん』が実在している、というのだろうか?


「あれ、知らなかったんです? 結構有名な狩人ですけど。あ、でもご出身遠いんでしたっけ。あの人腕利きなのに狼しか相手にしないから、狼の少ない地域だとご存知なくても仕方ないかぁ」


 適当に口にした『赤ずきん』。

 それに対してのロックの言及は、Qの知る常識とは違う。ただ別物ではあるが要素は共通しており、またその名が知られていないわけではない。


 どういうことだ?


「うーん……何なんだ」

 はいったいどのような世界なのだろうか。単に異世界、というだけではないような気がする。しかしその違和感のようなものを言葉にするのが難しい。

 あぁ、この地に残る文献を調べ上げたい。誰かと意見交換して考えをまとめたい。

 やはりAと会わなくては。


「えっ!」

 その時、ロックが突然声を上げた。

 視線の先には、一人の少女と二人の男。


 少女は白銀の髪と透き通るように白い肌を持ち、その身にやはり白く柔らかそうな衣を纏っている。年齢はロックとあまり変わらないくらいか、やや年下のようだ。

 傍に控える男達は双子だろうか。揃いの黒の礼服に、立ち振る舞いまで瓜二つ。外見において違っているのは、うち片方だけが眼鏡を掛けていることくらいだ。


 ロックは三人の姿を前に歩みを止め、緊張した面持ちでぎこちなく笑みを浮かべた。

「どうしたんだ、ロック。知り合いか?」

「あ、はい。まあ。ええと……」


「ちょっと、おまえ。そこでいったい何をしているの」

 小さくも鋭く、熱のない声色で少女はロックに問う。長いまつ毛に飾られた瞳も、まるで氷のように冷ややかだ。


「おまえに訊いているのよ、猟師。よもや、わたくしの命令を忘れて遊んでいた、とでも言う気かしら」

「そんな、滅相もない! 俺は森に迷い込んだお嬢様を、誠心誠意探していたとこなんです!」

「そう、なら早くなさい。待ちくたびれて、わざわざこんなところまでわたくしが直々に来てやっているのよ」

「す、すいません! すいません!」


 年齢と見合わず傲慢なもの言いをする少女に、ロックはひたすらに頭を下げた。やり取りから、この少女がおそらく彼の雇い主なのだろう。

 それにしても——。


「さっきの子に似ているな」

 ぽつり、とQは呟いた。


 ロックと出会う直前、Qを見てすぐに駆け出していった少女。今しがたロックが平伏している相手と、服装は違えど雰囲気がよく似ている。


 何気ない感想だったが、それを聞いたロックは顔を勢いよく上げた。目を見開き、呆気に取られたような顔をしている。

「え……?」

「は?」

「旦那……それ、何で今になって言うんですか……」

「まさか」


 あの時の子が、探しているお嬢さんなのか。


「そこのおまえ、白雪を見たのね。いつ、どこで。話しなさい」


 予想は正しかったようだ。先程までロックに詰め寄っていた少女はQの目を見据えて訊いた。その眼差しは、今にも全てを凍てつかせそうな気迫に満ちている。


「お妃様、そのように睨みつけて言うことをきかせようとするものではありません。民が怯えています」

 Qを威圧せんとするその態度を見兼ねたのか、男の片割れ、眼鏡を掛けた方が少女を嗜めた。

 お妃様、と呼ばれた少女はその諫言に対し、さらに表情を険しくする。


「睨んでなどいないわ、ディム。わたくしはそこの男に訊ねているだけよ」

「その訊ね方が問題なのです。粗暴な王に従う民の心にあるのは敬愛ではなく、ただの恐怖です。分かりませんか、あなた様には」

「そんなもの、どうでもいいわ」


 眼鏡の男と妃が言い争うのを横目に見ながら、もう片方の男は笑みをたたえてQに深々と一礼した。

「申し訳ございません。我らのお妃様は積極的かつ聡明でいらっしゃるがゆえ、どうしても結論を急いでしまうのでございます」

「はぁ。ええと、あんた達は?」

「ああ、申し遅れました! 私のことはポリッシュ、あちらにおります相方はディムとお呼びくださいませ。二人で一組、麗しきお妃様にお仕えするしがない執事でございます」


 再度敬礼するポリッシュに合わせ、ディムも妃からQへと視線を移してそれに倣った。

 妃は相変わらず不満を隠さず、腕を組んで苛々と周りをねめつける。


「……それで、どこで見たの。私のを」

 ディムに諫められたのを受け、先程よりはやや抑えて妃は問う。その妃の言葉に、Qは違和感を覚えた。

「娘……? 失礼だが、お子さんがいる年齢には見えないんだが」


 妃との呼び名にそぐわず、彼女はロックと変わらぬ十代半ばか、それ以下の年齢に見える。仮に幼い顔立ちであったとしても、Qが見かけた少女の母親とは思えない。


 機嫌を損なうか、と思いつつ確認してみたが、当の妃はおそらく聞かれ慣れているのだろう。軽く手を振ると、その合図にポリッシュが威勢よく答えた。

「はい、ご命令のままに! お妃様に代わり、僭越ながら私がご説明させていただきます」


 仰々しくも腕を大きく広げ、主人の方へその手を向ける。

「こちらにおわすお方はこの森を境にした隣国を治める女王、白雪妃しらゆきひめ様でございます。本来であればこちらの国の皆々様方にご挨拶をなさるべきでしょうが、今回ばかりはお忍びですのでどうか他言なさらぬよう」

 今度は手を口元に寄せ、ご丁寧にも指を一本唇に添えて微笑む。


 その芝居がかった仕草以上に、Qには引っかかる言葉があった。

「しらゆきひめ……」

「ええ、左様でございます。『ひめ』は『妃』と記します。皆に慕われるお妃様ですからね」


 ポリッシュ曰く。

 『妃』の呼び名は国を伴侶とし民を子として愛する、という慣習に基づく通例だそうで、彼女の夫にあたる人間は実質いないそうだ。


「次期王位継承者たるお嬢様とは義理の親子関係にあたります故に、年齢が近しくとも全く不自然ではございません。よろしいですね?」

「ああ……分かった」

 口ではそう答えたが、もはやそんなことは気にならない。それよりも気になるのはその名前だった。


「その、家出したお嬢さんの名前は?」

「白雪姫様、でございますよ。寛大で心優しきお妃様は城の前で倒れていらした幼子を養女とし、なんと自身と同じ御名をお与えになったのです」

「……白雪姫か」


 城を出て森にまで迷い込んだ白雪姫。それを追う継母である妃。

 あまりにも状況が整いすぎている。まるで物語の中の展開そのものじゃあないか。


 しかしそうであれば——彼女が義娘を追う目的は、一つしかない。


 まさかとは思いつつも、出会って間もない少女とその連れを信頼していいものか分からない。

 Qは思い出す振りをしながら、逡巡の末に結論を出した。

「見かけた場所は……」


 けれどもその先を告げる前に、Qはその口を閉じる。視界の端の藪が揺れたかと思うと、見知った顔が覗いたからだ。


「おや、Qちゃん! 僕とアンを追いかけて来たのかな? ところで……ええと、どちら様?」

 藪を掻き分け纏わりついた木の葉を払うと、集う人々の顔を見回してAは朗らかに尋ねた。

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