キミヲオモフ

 近衛の入隊試験は、早期試験と後期試験の二回行われる。

 早期は、衛兵隊で一期・五年以上を勤めた者が主に受ける試験である。

 衛兵隊を一期以上勤め上げれば、騎士位試験の順位に関係なく受験ができる。


 そして、早期試験の方が難しいが階位が『近衛三位』からとなり、後期試験での合格者『近衛四位』よりも上になれるのである。

 早期試験は、その年の騎士位試験合格者の一位から三位までだけにも受験資格が与えられている。


 キリエムスは、ヒメリアが一位通過であったことを知っていたので『明日の試験』と言ったのを『近衛早期試験』と確信していた。

 そして、彼女であれば絶対にこの試験に合格するであろうとも。

 残念ながら五位通過であった自分には早期の受験資格はないし、従者家門とはいってもまだ家系魔法を獲得していないから配属される場所が同じということはないだろう。


 だが同じ近衛一年次であれば会う機会もあるし、王都中央区街の近い地区担当になることだってある。

(ヒメリアが、近衛試験を受けないって言っていたのは……『後期試験を受けない』って意味だったんだ!)

 そう思って、キリエムスは心が浮き立つのを押さえられなかった。


 本試験時に初めて見た彼女は、凛々しくて礼節の作法が完璧な人だと思った。

 魔力も多いのだろう、その魔法は想像以上に強力で惚れ惚れした。

 そして……とても優しい人だ。

 彼女の【回復魔法】を受けた時に、これほど心地良い【回復魔法】など生まれて初めてだと思った。


 好きにならない理由などなかった。


(ラーシュは同じ領地だから、絶対にヒメリアが衛兵になると思っているんだ。だからあいつは後期試験に受かったとしても、カタエレリエラ衛兵隊に合格したら近衛は辞退するに違いない)


 ラーシュが自分と同じようにヒメリアに惹かれていることは、解りやすいくらい解っていた。

 気付いていないのは、ヒメリア本人だけだろう。

(このこと、絶対にラーシュには話さないぞ)

 キリエムスは自分だけがヒメリアの本当の進路を知っている、とほくそ笑み、絶対に後期試験を突破してやると意気込んでいた。


 ***


 そのキリエムスの後ろ姿に、勝ち誇ったような視線を向ける者がいた。

 ラーシュである。

 カタエレリエラの衛兵隊試験に申込もうとこの建物に入った時に、偶然にヒメリアを見つけた。

 当然、カタエレリエラの衛兵隊の申込は終わっているはずだと思っていたが、彼女が出てきた廊下の先にあったのはセラフィラントの事務所。


 ラーシュは以前、ヒメリアがテターニヤと交わしていた会話を覚えていた。

『セラフィラントの衛兵隊は素敵です!』

 そう言った彼女の言葉と、マリティエラ様やあの自動販売機の店に対する彼女の態度を見ている。

(ヒメリアの行く先は、セラフィラントだ)


 カタエレリエラでラーシュは家族からも、周りの人間からも彼の緑の瞳を疎まれていた。

 故郷の町を出てサクセリエルで隠蔽の魔法を使って暮らしてみて、なんて馬鹿らしいことで差別されていたのだろうと悔しくて堪らなくなった。

 だから、見返してやりたくて騎士位試験を受けたのだ。

 自分を蔑んだ奴等より、絶対に上の階位を獲得してやる、と。


 だが、そこに既に銅証のくせに予備試験を受けに来ていたヒメリアを見つけた。

 悔しくてせめて彼女に実技では絶対に負けまいと、弓の試技を見ていた。

 射るのではなく、手と弓で的をたたき落とした時には変なことをする娘だと思ったが、その理由を聞いて愕然とした。


 自分は何と近視眼的だったのかと、技術を見せつけることばかりに気を取られて試験官の言葉の意味にすら気付けなかったことに敗北感が拭えなかった。

 しかも推薦を蹴って予備試験を突破していた彼女に、嫉妬が抑えられなかった。

 綴り帳の提出の時もそうだ。

 彼女は細やかで、多くのことに気づく人だった。


 嫌ってはいない。

 それでも、彼女を認めることが自分自身の否定に思えた。


 だが、あの日、西門の一階で彼女が緑の瞳の少女になんの嫌悪感も抱かず、笑顔で接していた姿を見て……絶対に勝てない、と思った。

 その後にキリエムスに言った言葉も、衝撃的だった。


 思い出して、ラーシュは唇を噛み締める。

 殺されかけたことがある、彼女がそう言った時に、彼女を殺そうとした奴に対して信じられないほどの怒りが沸くのが解った。


 その時やっと、自覚した。

 彼女が気になっている理由を。

 いつの間にか芽生えていた、ただの好意を越える感情。


 彼女にはいつも、嘘がない。

 食事をいっぱい食べて幸せそうに笑ったり、男達をガンガン追い越して凄い速度で走っていたり、お菓子の話になると目を輝かせて早口になったり……


(ヒメリアの側にいるのは、俺だ。絶対にあいつには譲らねぇ!)


 早期試験を受けたとしても、ヒメリアは『衛兵隊』に入りたいはずだ。

 きっと、近衛試験は肩慣らしか、時間があるから受けてみよう……くらいのはず。

 あの廊下から出て来たのであれば、受けるのは絶対にセラフィラント!


(カタエレリエラなんか、まったく未練はないし実家に戻る気もない。ヒメリアが受けるなら……と思っただけだからな)


 実際、迷っていた。

 あの不思議な店で迅雷の英傑に直接言葉をかけられたあの時から、セラフィラントに強く惹かれていた。

 だけど、彼女と離れたくはなかった。

 ヒメリアが行くところに行きたい。


 だが、ヒメリアがカタエレリエラに戻らないと確信できたのならば、迷うことなどない。

 近衛とセラフィラントの両方受ければ、絶対にヒメリアと同じ場所にいられる!


「……悪いな、キリエムス」


 そう呟いて、ラーシュはセラフィラント衛兵隊への受験申請をしたのである。


 ***


 テターニヤは故郷に向かう途中、ずっと考え込んでいた。

 従者家系として、ルシェルスの次官家門からの推薦をいただいた。

 だが、テターニヤの家門の家系魔法は男系だ。


 自分が騎士位を取ったとて家門を継ぐことはできないし、従者としての家格にも関係ない。

 実際に、父も兄達もテターニヤの騎士位試験にはあまり乗り気ではなかった。

 だが、だからこそ、騎士位を取って『独立』したかったのだ。


 王都で初めてヒメリアを見たのは、彼女が中庭で同じ領地の推薦者に難癖を付けられている時だった。

 ひとりは今にも掴みかからんばかりの勢いに見えて、目が離せなかった。


 だが、金赤の髪でやせっぽちの彼女は、自分より背が高くて力もありそうな女性に背筋を伸ばして毅然とした態度を崩さなかった。

 言葉を荒らげるでもなく、感情的に罵ることもない対応を見て、なんて格好いいのかしら、と、ときめいてしまった。


 同じ馬車でシュリィイーレに移動する時には、仲良くなりたくて機会を窺っていた。

(……でも、あの馬車の中での刺繍の時は……つらかったわ……)

 思い出すだけで吐き気が甦ってくるその思い出を、近付く故郷の景色に重ねる。


 ルシェルスは今、とても活気づいている。

 珈琲という新しい嗜好品が少しずつ人気になってきて、領主がその農園作りを推奨しているのだ。

 移民も多くルシェルスでの定住者も増え、衛兵隊も増員されるだろうから試験も通りやすいかもしれない。


 だが、推薦してくれた次官も領主も去年から施行された新皇国法で、一度従者家系全てを放逐している。

 そして新たに制定された基準に合う家門だけが、従者になれるのである。

 その新たな基準に、自分は必要ない。

 ならば、ルシェルスではなくリバレーラで衛兵試験を受けよう、とテターニヤは考えていた。


(ヒメリアさんは、カタエレリエラの試験は絶対に受けないわ。あの制服は好きになれないって言っていたもの)


 テターニヤはヒメリアが制服で受験する領地を選ぶだろう、と確信していた。

(一番お好きと言っていたシュリィイーレは、三カ所以上の領地での勤務経験がなければ受けられないわ……ならば、次に好きだと言っていたリバレーラにいらっしゃるはず!)


 もし、テターニヤがウァラクの新しい制服を一度でも見たことがあったのなら、絶対にヒメリアが一目惚れすることが解ったはずだ。

 だが……残念ながら、その機会に恵まれなかった。


 そしてテターニヤは実家に挨拶にだけ立ち寄り、即日、リバレーラへと旅立ったのである。

 その地であとから来るであろうヒメリアを迎える日を想像しながら、リバレーラ領主の町・カリュートを目指した。


 ***


 カタエレリエラ公ニレーリアは、なかなか戻らないヒメリアを想い溜息をつく。

 もうシュリィイーレから試験研修生達が戻って、十日以上経っている。

 戻ってきていて当然のはずなのに、と。


「……近衛の試験を受けようとしていらっしゃるのでは?」

 溜息混じりのオリガーナの言葉に、ニレーリアは更に不機嫌そうになる。

「あの子は、衛兵になりたいって言っていたのよ?」

「考えが変わったのかもしれませんわ。あの愚か者達のせいで」


 オリガーナが『あの』と言った者達は、既に誰ひとりこの館にはいない。

 ヒメリアを陥れようとしたメラニエーラは家門から放逐され、その家門は騎士位を取れる見込みのある跡継ぎを完全に失い全員の階位が『無位臣民』と確定した。


 現在は家系魔法を獲得している者すらなく、ただの管理者でしかない彼等にその家の財産を使う権利はない。

 今後どうするかは、自分たち次第……と、主家からは見放されている。


 ベルディアは今回も最下位で、二年連続であったことから失格扱い。

 来年の受験資格はない。

 その他のカタエレリエラからの推薦者は、全員下から数えた方が早い順位ばかり。


 オリガーナは本試験終了時にヒメリアが言いがかりを付けられて暴力行為に曝された時でさえ、推薦者達が庇おうともしなかったと書かれた審査官達の評価を読んだ時には怒りと恥ずかしさで目眩がした。

 当然、ニレーリアの怒りも頂点に達し、彼等の家門は今後主家に仕えることが許されなくなった。

 他領に行ったとて、主から切り捨てられた家系魔法を持たぬ者など何の価値もない。


 フェシリステは謹慎の後、出仕に及ばす……として職を解かれた。

 くだらない思い込みでヒメリアを侮辱していたロッテルリナもまた、自宅で謹慎している。

 ヒメリアが試験に合格していたことを知らされた時、ロッテルリナは最も頑なに嘘だと言って信じず、最後まで過ちを認めなかった。


 だが、領主宛に送られてきた推薦者全員の本試験成績と、審査官達の選評を見て……愕然としたのだ。

 推薦受験者達の、あまりに愚かな振る舞い。

 信じられないほど低い『得点』と言うには恥ずかしすぎる点数。

 予備試験を合格した三人だけが、筆記も実技もそして騎士としての振る舞いも完璧だった、と書かれていた。


 ロッテルリナは自らの愚かさに気付いたというより、愚か者と後ろ指さされることが怖ろしくて……自ら閉じこもった。

 ニレーリアの目から見ても、立ち直るまでには相当かかるだろう……と、諦められてしまった。


 予備試験を受けた三人の内ふたりはシュリィイーレでの最終試験も突破して、なんとかカタエレリエラからの合格者が全滅という事態だけは回避できた。

 それなのにその合格者達は、在籍地の衛兵試験に申請していないのだ。

 オリガーナにとっては途轍もない『恥』なのだが、ニレーリアにはそのことよりもヒメリアが戻ってこないということだけが問題だった。


「……戻ってきてくれなくちゃ、謝ることもできないではないの……」


 領主というものは、そう易々と領地からの移動はできない。

 中には……周りの迷惑も考えずに動き回る領主もいるが、ニレーリアにはそこまで軽率なことはできなかった。

 今、どこにいるかも解らないのでは、手紙を書くことすらできない。


「近衛の試験が終わるまで待ってみましょう、ニレーリア様」

「そうね。一度くらい、帰ってくるわよね?」


 少し悲しげに訊く主のその瞳からオリガーナは少しだけ視線を外し、そうだと……いいですね、とだけ答えた。


 *****


 王都にあるウァラクの代行役所は、数百年振りとなる王都からの衛兵隊入隊希望者に大喜びしていた。

 自領では数名ほどはいるものの、毎年、毎年、王都では新規どころか中途での希望者もいない。


 事務所に用意された部屋は狭くて、どこの領地の事務所にも適さないような小部屋だったがその程度で事足りるほどだったのも悔しい。

 しかも、この廊下の殆どはセラフィラントの事務所として使われている部屋ばかり。

 廊下の分岐に小さく書かれた『ウァラク事務所』の文字など、誰も気付くまい。


 しかし!


 今年はなんと新人騎士が!

 しかも歴史上最も困難であったであろうシュリィイーレでの最終試験を最上位で通過した彼女が、このウァラクを希望してくれたのだ!

 浮き足立つなという方が、無理な話である。


「でも、よかったのか? 明日……なんて言ってしまって」

「ずっと昔からの命令だったじゃないか! 『衛兵隊希望者が訪れたら必ず即日領主に報告し、翌日に査定を行うように』って」


 今まで、ウァラクはいつ魔獣が入り込んでもおかしくない状況であった。

 そのため、衛兵隊希望者には領主家門の指定した者が必ず報告があった翌日に、申請者を査定していたのだ。


 時間をかけて『最前線』である領主の町ラステーレに、希望者達を来させる方が危険であった。

 何よりそこに来るまでの道のりで……受験を見直されてしまっては……という、かなり消極的な理由も含まれていた。


 ウァラクの事務員達は教会の司祭に、領主への至急の報告があると頼み越領方陣門での連絡を司祭に依頼した。

 越領方陣門は各領地の領主邸に一番近い教会に設置されているが、教会司祭か金証の者でなければ使用できない。

 彼等は領主に数百年振りの吉報が伝わり、返事が来るのをそわそわと待っていた。


「希望者とは、まことかっ!」


 方陣門から飛び出して来たのが次官の嫡子、サラレア卿シュツルスであったことに事務官達は驚愕した。

 伝言か、査定方法の連絡があるだけだろうと思っていたのだ。


「希望者が今年の最高位合格者というのも、間違いないのだな?」

「「はいっ!」」


 なんと、領主の嫡子ハウルエクセム卿ラシードまでもがこの場に来るなど、想像の埒外であった。

 だが、それだけ特別のことなのだ。

 ウァラク再生のこの時に、他領出身の希望者が数百年振りに現れたということは。


「セラフィエムス卿の眼鏡に適った人物……か」

「ならば、魔法も武技も問題ないだろうし、知識はあって当然だろうな。それらの試験をすることも馬鹿らしい」

「うむ、左様であろう。必要なのは騎士としての心構えだ」

「あとは……我が領地に相応しい者かどうかの見極めか」


 事務官達は、彼等の独り言とも思えるような言葉を直立不動のまま聞いていた。

 迅雷の英傑が『合格』と認めた者である彼女に、確かに今更普通の試験は無意味であろう。

 誰もがセラフィエムス卿が誰より公平で、そして如何に厳しい裁定をするか知っている。


 彼がシュリィイーレ衛兵隊長官となってから、既に騎士位を獲得していた研修者達ですら『基準に達していない』と騎士位合格を取り消させることが何度もあった。

 そして、その全ての判断が間違っていたことなどなかった。


「明日、我々が直接会おう」

「そうだな。是非、話を聞いてみたい」


 事務官達は彼等に、自分達の敬愛する英傑・扶翼のふたりに直接会うことのできる彼女を羨ましいと思う反面、少し気の毒だ……とも思っていた。

 確かに彼等を敬愛してはいるが、まだ成人したばかりの女性が彼等の『圧』と『熱』に耐えられるだろうか。

 そして、今から応接室が押さえられるだろうか……と、面接場所の確保ができるだろうかと心配を募らせたのである。


「ウァラクの新しい時代に、相応しい人物であるといいのだがな。明日が楽しみだ」




 彼等はそれぞれの場所で、ヒメリアを待ち侘びていた。

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