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 衛兵隊長官が、次期セラフィラント公が『お兄様』ということは、マリティエラ様は傍流ではなくて『貴系正統』……直系の姫君ということですよね?

 わたくし達全員の血が、さーーーっと引いていくのが判りました。


「……と、止めてくださって、ありがとう……ヒメリアさん」

 そう小声で呟くテターニヤさんも、何度も瞬きをするばかりでまったく動けずにいるラーシュも緊張でガチゴチです。


「ひとりじゃないわよ。この子達も一緒」

 そう仰有って微笑むマリティエラ様の、なんとお美しいこと……!

 ちょっとだけ気持ちが解れます。

 はっ!

 いけませんっ、ニヤついてしまいそうですっ!


「お兄様こそ、おひとりでお買い物ですの?」

「ああ、詰め所の共用棚の菓子がなくなったんでな。この間、俺が結構食べたから買い足しておかんと……」


 衛兵隊詰め所のお菓子を補充するのですか?

 長官自らが買い物に出て?

 シュリィイーレ隊って、そんなとんでもないことがまかり通るのですね?

 ……もしかして、他にも金証の方とか直系の方とかいらっしゃるのですか……?


「お兄様、乾酪のお菓子もいいけれど、こちらの榛果はしばみかのショコラはとても美味しいわ」

「リンティオの榛果は質がいいな。来年も入れさせよう」

「それなら、カルラスの勾漆まがうるしも増やして! ライリクスがわたくしの分まで食べちゃうのよ!」


 えーと、このご兄妹は、わたくし達をすっかり無視していらっしゃいますよね?

 帰ってもいいのではないでしょうか?

 でも、動けませんーーっ!


「ラーシュ」

 突然、長官がラーシュさんに向き直り、お声がけなさいました。

「はいっ!」

「その瞳を隠さずにいられるのは、多分、この町だからだ。戻ればおそらく、まだ偏見を持つ者達は多くいる。どうするつもりだ?」

「……それでも、自分を偽るのは止めたいと、思っています」

「そうか」


 吃驚、致しました。

 セラフィエムス家門は、賢神一位です。

 緑の瞳に対して憎悪をお持ちでもおかしくないのに、とても……とても優しく微笑まれたのです。

 ラーシュは、感激しているようでした。

 いまにも、泣き出しそうです。


「おいっ、ビィクティアム!」

 えええええーーーーっ!

 呼び捨てーーっ?


 奥からひょっこりと顔を出した方は、この店の方でしょうか?

 どう見ても猟師か、鍛冶師みたいですけれど。

 ま、まさか、この方がこの奇蹟のように美味しいお菓子をお作りになっていらっしゃるのでしょうかっ?

 ……そうでした、人を見かけで判断するのはよくないことですよね。


「良い酒が手に入った。今晩、来い」

 更に呼び出し!

 あり得ませんっ!

 十八家門の、貴族の嫡子を呼び捨てにして、自宅に呼び出すとかっ!


「いいですね。必ず参ります」

 長官は信じられないほどの……まさに『破顔』というような笑顔です。

 しかも、敬語です……!


「お兄様、いくら酔わないと仰有っても、ちゃんとお食事をなさってから飲んでくださいね? 栄養が偏ると、魔力回復が遅れますわ」

「大丈夫だよ、ちゃんと一日に必要な品目というのは食べている」

「お兄様の場合、他の方々より『緑系』が足りないのです!」

「……冬場は仕方ないだろうが」

「試験研修生に教えている立場なのですから、衛兵隊がきちんとしていなくてどうなさるの!」


『食品栄養学』です!

 あれって……医師の方々が推奨なさるものなのですね?

 そういえば、アンシェイラ教官の講義でも、回復と体力向上に重点が置かれておりますわ。


「大丈夫だよ、マリティエラ。儂がちゃんと食わせるからよ」

「お願いいたします。お兄様はすぐに仕事優先で、食事を疎かにしがちですから」

「……試験研修生の前でそういうことを言うな」

「普段の行動が大切なのですよ、お兄様」


 こここここ、ここの店、セラフィエムス家門の直系と同等のご家門ということなのですね?

 怖い……怖すぎますっ!

 こんなに美味しいお菓子を扱っていらっしゃるのも、道理ですねっ!


「マリティエラ、送っていく。おまえ達も気をつけて戻れよ」

「「「はいっ!」」」


 表の扉からお出になる時に、長官がマリティエラ様の髪飾りから先ほどくっついていた物をお取りになっていました。


「あら……さっき、ライリクスが髪飾りに引っかけてしまったのかしら?」

「糸くずか。ほつれているかもしれんな」

「そういえば、袖留めの釦が外れそうだったのよね……きっとそれだわ」


 そんな会話をなさりながら、おふたりは外へ。

 笑顔で手を振るマリティエラ様と長官が店の扉を閉め、長官と酒盛りの約束をしたおじさまのお姿が見えなくなって、やっとわたくし達の身体が緊張から解き放たれました。


「なんて、怖ろしい町なんだ……」

「本当ね……こんな町中のお店が、セラフィエムス家門直系の方々の……ああっ! 思い出しただけで……あの時、わたしがマリティエラ様の髪飾りに触れていたら……ど、どうなっていたかっ!」

「不敬罪で失格……だけで済んだらいいが、下手すると……」

「やめてっ! 怖すぎるわっ!」


 その後、何度も何度もテターニヤさんからお礼を言われ、ラーシュにはここに来られてよかったというだけでなく、更に吃驚するようなことも口に出しました。


「マリティエラ様とライリクス統括はご夫婦……なのかな」

「「え?」」


 わたくしの『え?』とテターニヤさんのそれは微妙に意味が違っているみたいです。

 テターニヤさんは『ライリクス統括、ご結婚していらしたのね……意外……』と呟きましたが、わたくしは聖神二位と賢神一位の家門でご婚姻なさっていることに、驚いたのです。


 緑の瞳のことと同様に、そのふたつの神々の家門は決して結び合ってはならないと言われていた……と、ラニロアーナ司祭から神典を教えていただいた時に聞いたのです。


「ドミナティアとセラフィエムスで……婚姻なさっているなんて……」

 思わずそう呟いたわたくしに、ふたりがハッとしたように顔を見合わせます。

 その二家門は『古い悪しき因習』を、既に払拭していらっしゃるのだわ。


「……だから、俺の瞳のことも……」

「きっとそうね! でも、ラーシュさん、わたし達も全然気にしておりませんよっ! ねぇ、ヒメリアさん?」

「ええ、そうです」


 ありがとうな、と照れ笑いのラーシュはきっと、この町を離れても瞳を隠すことはないでしょう。

 さて……そろそろ巡回に戻らなくてはいけませんね。


 でもその前に!

 もう少しだけ、買い足しておきましょう!

 えーと、榛果のショコラと勾漆のお菓子……でしたよねっ。


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