73
オルフェリード教官のその表情を見て、背筋が凍らなかった研修生は誰ひとりいなかったでしょう。
すっ、と足音もさせずにラーシュとキリエムスの間に立ちはだかります。
「キリエムス」
オルフェリード教官の声だけが、食堂に響きます。
「君は『正典』を全て読みましたか?」
「……はい」
「では、君の今の価値観が、過ちであることが解るでしょう。過去の我々は多くを間違えていた。だが、新しく成人となり騎士となるべく学んでいる君達が、その間違いを引き摺ってはいけない」
キリエムスは……答えることができないようです。
「ラーシュ」
「は、はいっ」
「確かに君に不当な扱いをした者達は多かったと思います。ですが、これから君が関わる人々がそうとは限らない。まだ心ない行いをする者がいるかもしれませんが、騎士であるのならば偽ることなく彼等の前に立ちなさい」
……オルフェリード教官が仰有ることは『理想』です。
それほどまでに強かったら、確かに
でも……人はそんなに強くいられるものでしょうか……
「その瞳を隠さぬことを選んだ君の勇気は、賞賛に値します。だからこそ、君は今まで君を傷つけた者達でさえ、許す寛容を持ちなさい。君の今後の生き方が『緑の瞳』を持つ者達の誇りとなれるように」
なんという果てしなく、苦しい道を示されるのでしょう。
模範となる生き方をしろだなんて、そのために自分の感情さえも抑え込めだなんて。
「そしてキリエムス、君の心が正しい神典を受け入れられるかということは、君自身が今後、彼にどう見られるかということにも関わってきます」
「え? 僕が……ラーシュに?」
「君はラーシュに『憐れむべき心の弱い者』として扱われるか、己の過ちを認められる『正しい選択ができる騎士』として受け入れられるか、です」
ラーシュもキリエムスも互いに視線を合わせることはありませんが、きっと、許す、許される、なんていう関係は望んでいないはずです。
「なぜですか……忘れないと、許さないといけないのですか? 緑の瞳の奴等がしたことを!」
「キリエムス、勘違いしてはいけない。『緑の瞳』を対象にするのではなく、罪を犯したその個人を罰するべきなのです。犯罪者への怨みや憎しみを、ただ同じような特徴を持っているというだけの『代用品』に向けるのが、間違っているのです」
オルフェリード教官の言葉は、まるで『代用品でなく、そのものであれば憎んでも怨んでも罰してもいい』と聞こえます。
「
あ……そうでした。
オルフェリード教官の家門は、リバレーラの領主・英傑の家門です。
セラフィエムスと同じ、賢神一位が加護神の家門ですわ。
「ですが、寝込みを襲われたり、刃を突き立てられ、毒を浴びせられそうになったというのに、その方は『正典に記された本当の宗神』を多くの臣民に知って欲しいと、そして緑の瞳の者達を不当に扱うのは止めて欲しいと、そう仰有っていました」
襲われた、ご本人が……ですか?
「信じられませんでしたよ。その方は騎士でもなく、成人して間もない方だったのに、この国の誰より神々の想いを理解しているかのようだった。そして……ちょっと悔しかったですね。自分がとても狭量に思えて」
「その方は……不埒者達をお赦しに?」
「いいえ。罪は罪。どんなに虐げられていたとしても、同じことをされていながら凶行に走らない者達もいるのだから、犯した罪は償わせるべきだと断言なさっていました。だからこそ、ただ同じ瞳だからと言って『罪があるかのように扱う』のは、絶対にあってはならないことなのです」
人はとても弱いので、いけないことだと解っていても、似ているものや近しい者を憎んでしまうのではないでしょうか。
母上がわたくしの髪を見てマリティエラ様を思い出し、憎しみと恐れを募らせたように。
だけど、理想だとしても、少しでもオルフェリード教官の語られた方に近付きたいと思います。
「さて……どのような事情があろうと、食事をする場でこのような騒ぎを起こしたのは、決して褒められたことではありません」
あ、『教官』に戻られました。
「ラーシュ、キリエムスは減点。反省文を書いて提出しなさい」
「は、反省文……?」
「自分たちが『一体なぜ減点になったか、そして今後その事態を招かないためにどうすべきか』を書き、明日の朝教務室へ提出しなさい。今日一日、自室で謹慎です」
……巡回のない日でよかったですね。
今回のことでふたりにはなんらかの溝が生まれるかもしれませんが、多分ふたりなら乗り越えられるんじゃないでしょうか。
なんとなく、そんな気がしているだけですけど。
自室に戻るラーシュとすれ違う時に『ありがとう』と言われたのですが……なんでかしら?
わたくし、何もできずに見ていただけでしたのに。
あ、何も言わずにいたことが、よかったのでしょうか?
そうよね、部外者に余計なことを言われたくはありませんものね。
うん、いい距離感でいられたってことですね!
その内また、あのふたりと一緒にお食事ができるようになったら……いいのですけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます