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 その後の巡回は……酷いものでした。

 全く、誰ひとり口をきかず、ノエレッテ教官とダリュー教官は何があったのかと思われたでしょう。

 気を遣われたのか、何も仰有いませんでしたが。


 夕食は……別々にいただきました。

 久し振りにひとりです。

 淋しいかと思っていたのですが……意外と平気で、吃驚しています。

 わたくし、図太いのかもしれませんね、やっぱり。


 夕食後に『健診結果』というものをお渡しくださるということで、各自教務室へと行くようにと指示がありました。

 封筒を教務室受付で受け取って、確認しておくようにと言われました。


 その時に、教務室の奥へと入っていくラーシュを見かけました。

 封筒を手に持っていましたから、その件でしょうか?

 何かあったのでしょうか?

 ちょっと……心配ですが、ここで待っていて聞き出すというのも良いことではありませんわね。

 わたくしはそのまま誰とも会話することなく、部屋へと戻りました。



 教務室受付で渡された封筒に入っていたその紙には、今の健康状態とか、今後何に気をつけた方がよいなんてことも書かれています。

 わたくし、もう少しお肉と豆を食べるように、と書かれていました。

 他の方では、お菓子の食べ過ぎを注意と書かれていた方もいらしたみたいです。

 よかった……わたくしは、お菓子の制限はされていないみたいです。


 身分証の再確認もしておいてと言われましたっけ。

 えーと……あら、魔力が増えてますわ。

 二千六百七十一……どうして……?

 ああ、魔力の流れが正常になったからでしょうか?

 それとも、今は【収納魔法】にあまり物が入っていないからかもしれませんわ。


 豆……これでもいいのかしらと思い、楷樹緑果の焼き菓子をつまみます。

 これは木の実だから、ちょっと違うかも。


 変ですわ。

 なんだか、美味しいはずなのに、あまり味がしませんわ。

 なぁんにもやる気が起きません。

 今日は、このまま眠ってしまおう。

 明日……全部、明日、考えましょう。



 ……嫌な夢を見ました。

 そのせいか、いつもより半刻も早く起きてしまいました。

 朝食までまだ随分と時間がありますので、お菓子をつまみつつ準備をします。

 お腹は空いていますから、具合が悪いというわけでないことが解っただけでもいいですね。


 準備ができてもまだ時間があるので、少し散歩にでも出ようと思いました。

 部屋には戻らずそのまま朝食に行って、食堂から直接講義室へ参りましょう。

 文箱なども全て【収納魔法】に入れて……


 ちょっと、訓練場の方に行ってみましょうか。

 あちら側からだと、町が見えるはずです。

 あの色とりどりの光の隧道、上から眺めたらどうなのかしら?

 やっぱり、雪で真っ白なのかしら。


 二階にある訓練場には、誰もいません。

 まだ、薄暗い冬の朝、窓が曇っていてよく見えませんね。

 手で硝子を擦ると、町の風景……建物の半分の高さまでが雪に埋もれて、今いる二階が地面みたい。


 雪は、今は止んでいるみたいですが、きっとまたすぐに降り出すのでしょう。

 ああ、隧道の光、透けて見えるんだわ。

 なんて綺麗なのかしら。


 全部の色があるわ。

 神々の色、全部が。

 そして全ての光が集まって中央が白く輝くのは、まるで地上に天光が映っているかのようだわ。

 今度、教会に行ってみよう。

 司祭様に……緑の瞳のこと、伺ってみよう。


 なんだか、少し気分がよくなったわ。

 夢……もう忘れてしまった。

 ふふ、そんなものかもしれないわね。

 この程度の嫌なこと、なんて、自分次第で忘れられるのだわ。


 そろそろお食事、いただけるかしら。

 お腹、空いて来ちゃった。



「おはよう! ヒメリア! 早いなっ!」

「お、おはよう、ラーシュ……今朝は、随分と元気ね?」


 食堂の前でいきなりラーシュに声をかけられ、吃驚してしまいました。

 ……あら?

 久し振りに窓からさす天光の光のせいでしょうか……なんだか、ラーシュの瞳が……緑色に見えます。


 朝食をいただきながらも、隣で食べているラーシュをついつい見てしまいます。

 やっぱり、緑に見えるわ。

 凄く綺麗な、緑玉の色だわ。


「なんだよ、そんなに見つめて〜」

「瞳、ずっと、その色でした?」

「……いや。態と色を変えていた。いろいろ言われるからな」

「なら、どうして戻したの?」


 ラーシュが何か言おうと口を開いた時に、その声をかき消すように叫びが聞こえました。

「きさま……っ! 騙していたのかっ!」

 わたくしが驚いて振り向くと、怒りを露わにしたキリエムスが拳を握り締め立っていました。

 まだその拳を振り上げてはいませんでしたが、今にもラーシュに飛びかからんばかりの勢いです。


「俺はおまえを騙してなんかいない」

「では、なぜ、瞳の色を偽った」

「俺自身じゃなくて、瞳の色だけで判断する奴がいるからだよ……今のおまえみたいに」


 キリエムスの顔が引き攣ります。

 怒りと、それでも友人だと思う気持ちと、裏切られたという悲しみがごちゃ混ぜになっているかのようです。


「ずっと、訳も解らず『緑の瞳は忌む者』と言われ続け、親にさえ嫌われた。でも、故郷を離れ瞳の色を変えたら……誰も俺に石を投げなくなった。俺自身の価値が、ただ瞳の色が緑というだけでずっと歪められてきた」

「……そ、それは……神々に仇なす者の色と……伝わっていたからで」

「たったそれだけのことで、が当然だというのか? おまえ達自身は、何を根拠にそう決めつけられていたかも知らなかったくせに!」


 ただ、そう生まれてきただけで、緑の瞳だから、銀の髪ではなかったから……それだけで、嫌われ蔑まれ殺されそうにさえなる。

 自分ではどうしようもないことで、誰からも愛されない。

 ラーシュの心の痛みが、わたくしが忘れようとしていること、消してしまいたいと願う過去を思い出させます。


「その瞳の者達が、どれほどの犯罪をしたか知っているだろう!」

「黒い瞳の犯罪者が、今までただのひとりもいなかったとでも言うのか?」

「う……っ!」


 一触即発……というのでしょうか。

 緊張が限界まで高まり、もしふたりのどちらかが次に口を開いたら……きっと、とんでもないことになるのではないかと、その場の誰もが身動きすらできずに見守り続けていました。


「そこまでです。少し、騒ぎすぎですよ」


 空気が、突然、重くのしかかって圧縮されていたような空気が緩みました。

 そして今度は、別の緊張が襲ってきました。


 皆の視線が集まった先には、オルフェリード教官の姿がありました。

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