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 昼食後の講義も終わり、綴り帳の新しい使い方を誰もが模索し始めてさっさと自室に戻ってしまいます。

 わたくしも早く戻りましょう、と廊下に出たときに、チェルエッラさんに教務室まで来るようにと呼び出されました。

 あら、ラーシュも?


「千年筆と綴り帳を持ってきていただいたわよ。好きなのを選んでもらえるわ」

「まぁ! でも、この雪の中、随分とご無理なさったのでは……」

「ふふふ……表玄関の前を見てご覧なさい」


 チェルエッラさんに得意気にそう言われて、わたくしとラーシュは表玄関を開いてみます。

 あら、外開きなのに雪で塞がれておりません。

 扉を開くと……背の高さまでも積もった雪!

 でも、先までずーーっと……隧道ができています!


「すっげ! 雪の中に……氷で隧道が作られているのか!」

「こ、こんな風にして、冬場は移動するのですね……吃驚です」


 人がふたり並ぶといっぱいになってしまうような隧道ですが、移動が全くできなかったこの六日間を思えば、素晴らしいことです!

 しかも、なんて美しく、青く照らされているのでしょう!

 奥の方までずっと明るくて、遠くまで見通せます。


 これを通って、売りに来てくださったのですね!

「ふたりともー、いらっしゃったわよー」

 チェルエッラさんに呼ばれて振り返ると……タクト様です。


「あ、この間の【回復魔法】の彼女と、一緒にいただけの男子」

 タクト様のお言葉に、ラーシュさんが微妙な顔に……

 ごめん、ごめん、とタクト様は笑顔です。


「先日は、ありがとうございました。お声がけいただいていなかったら、わたくし、硝子を取り除かずに【回復魔法】を使っておりました」

「それから、今日の書き取り見本……もの凄く参考になりましたっ! ありがとうございます!」


 タクト様がちょっと吃驚していらっしゃるのは、多分ラーシュの声が大きかったからよね。

「まぁ……そう言ってくれるなら、無駄じゃなかったってことかな」

「みんなすぐに自分の書き方の見直ししてました。もの凄く有意義でしたっ!」

「そっか、で、千年筆欲しいっていうの、君達なの?」

「え? タクト様が……?」


 なななななんとっ!

 千年筆をお作りになったのが、タクト様だと仰有るのです!

 魔法師なのに、どうしてこのようなものを?

 ラーシュも疑問に思ったのでしょう。

 次々と質問をしています。


「魔法師……なんですよね?」

「うん」

「なんで、こういうものまで作ってるんですか?」

「好きだから」

「それ、だけで?」

「好きなものを好きなだけ好きに作る。そのために魔法も技能も使うし新しいこともやる。『好きなもの』ってのは原動力なんだよ。職業も技能も魔法も、全部そのためにある!」


 魔法があるからそうするのではなく、そうしたいなら魔法も技能も関係ない?


「『汝自らの智を以て扉叩くべし。されば開かれん』だよ。自らの知恵で扉を開こうとし続ければ、必ずその扉を開く魔法と技能が手に入る」


 神話の言葉です。

 この国の方々は本当に、神話の、神々の言葉を胸に刻み、実践していらっしゃるのだわ。

 そういう方だから、こんな素晴らしいものが作れるのね。


「君、名前は?」

「ラーシュですっ!」

「賢神一位だね? 俺と一緒」

「え? どうして……」

「俺の魔眼で見えるから。賢神一位なら、この色の千年筆とかどうかな?」


 魔眼!

 やっぱり、神々と同じ色の瞳には、そのような加護が掛かっているのですね!

 アズール様がわたくしの魔毒や鉛中毒を見破られたのも、そのような魔眼なのかもしれません。

 医師様でもないのに、と、ちょっとだけ不思議だったのですよね。


 ラーシュさんはウキウキで薦められた千年筆を買って、部屋へと戻りました。

 次は、わたくしの選ぶ番ですね!

 あっ、この赤いの、可愛らしいですわ!

 ティアルナさんと一緒にお買い物に行ったときの、髪飾りの色みたい。


「この赤いのとか、どう?」

 わたくしが何も言っていないのに、タクト様は一番気に入った物を薦めてくださいました。

 まさか、心が読める魔眼ですかっ?

 いえいえ、そんなものは聞いたことがございません。


「君の加護色が赤だからね。聖神三位ならこの色も、海柘榴うみざくろの意匠も好きかと思って」

「この花、海柘榴うみざくろというのですね。知りませんでしたわ……一番可愛いと思ったのです。あ、わたくし、魔力文字を書くと薄赤なので、もう一本……こちらのも欲しいです!」

 隣にあった透き通るような薄赤のものは、キラキラとしてて素敵です。


「へぇ、魔力筆記も試したのか」

「色墨塊がなくなってしまって、偶然……あ、そうです、あれ素晴らしいですね! 文字が消せるなんて、思いもしませんでした!」

「え?」

「え?」

 なぜそんな、不思議そうなお顔を?


「消せる?」

「はい……空のままの千年筆で間違った文字に触れたら、色墨がすうぅと吸い込まれて。そのまま書いたら、ちゃんと色墨の色で文字が書けました」

 タクト様が黙ってしまわれました。

 軽く腕を組み、右手を顎の辺りに添えて考え込んでいらっしゃる風に。


「君……凄いね。よく気がついたな」

「たまたま……消せたらいいのにと思って触ったら、そのように」

「そーか……」

 そのタクト様の様子を、チェルエッラさんがとても珍しいものを見るように覗き込まれています。


「タクトくんが気付いていなかったこと……なの?」

「はい。俺、文字を消したいなんて思ったことがありませんでしたから。字を間違えることなんて、ほぼないし」

 あ、そ、そうですよね。

 間違えなければ、消したくなんてなりませんものね。


「君! 素晴らしいよ! その発見は、実に素晴らしい!」

 ま、まぁ、そんな手放しで……それに、拍手までっ!

「というわけで、素晴らしい発見にはそれなりの褒賞が必要だね!」


 そう仰有ると、なんと綴り帳三冊と、破線の入った切り離しができる綴り束ひとつ、そして吸い取った色墨を入れておける保存瓶をくださいました!

 なんという過剰な褒賞でしょうか!


「こ、こんなにはいただけません、わたくし、偶然に見つけただけで……」

「いいや、俺にはきっとずっと気付けなかったはずだ。そして君の見つけたその現象はこれから大変有用な機能のひとつとして、千年筆をもっと多くの方々に使ってもらえるきっかけにもなる! あ、その保存瓶に入れたのは二年くらいは平気だけど、なるべく早めに使ってね?」


 に、二年ももちますの?

 普通の色墨は、一年が精々だというのに。


「タクトくん、保存瓶もちゃんと……」

「はい、明日にでも商品登録にいきますよ」

「もう……その場で作っちゃうんだもの、これじゃ商人組合もタクトくんの申請だけで埋まっちゃうわね」


 ……これ、今、この場で作ったのですか?

 え?

 二年も色墨を保つ魔法付きの、この、保存瓶を……?


 やっぱり、この方の魔法は訳が解らないですわ。

 本当に血反吐だけだったのかしら?

 実はもっと過酷な修行とか……なさっていらっしゃるのでは?

 もしかしたら、身体中が傷だらけ……とかっ?


 いえ、タクト様にそれはありませんね。

 全部【回復魔法】で、治してしまわれますものねぇ。




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『カリグラファーの美文字異世界生活』第403話でとリンクしております

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