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シュリィイーレに来て三日が経ちました。
わたくし達受験生は互いに言葉を交わすような元気もなくなるほど、講義と訓練に疲れ果てています。
今日もあの書き取る利き手が痛くなるほどの講義か……と、皆さんの足取りが大変重いですね。
ですが、朝食の時にオルフェリード教官から、昼前は少数ずつの組になって衛兵の指導員二名と一緒に町の巡回をする……と言われました。
皆さんの表情が明るくなったのは、いうまでもありません。
食後に一階玄関口に集まり、三人ずつ名前が呼ばれて担当していただく隊員の方の元へ。
「ラーシュ、キリエムス、ヒメリア。担当はノエレッテ、ダリュー」
まぁ、ノエレッテさんって女性かしら!
だとしたら素敵……と、思ったのも束の間。
がっしりとした男性でした。
詐欺です、あんな可愛らしいお名前なのに。
「本日の我々の担当は、北西地区だ。この町の鍛冶師が多く工房を構えている地区であり、近衛や各地の衛兵隊で使われる武器の殆どを作成している」
そういえば、鍛冶でも大変有名な町でしたね。
王都の近衛や衛兵隊用の武器って、この町で作っているのですね。
あら、十五番さんだわ。
えーと……どっちかしら?
まだ、名前が解らないのよねぇ。
「初めてだよね、話すの。僕はキリエムスだ。君と同じ組で光栄だよ、ヒメリア」
「初めまして、キリエムスさん」
……ということは、十五番さんはラーシュさんと仰有るのね。
やっと判明してスッキリしましたわ。
準備をしているとダリュー教官から、小さい石の嵌め込まれた徽章のようなものを制服の襟につけるようにと渡されました。
これは一体何のためでしょうか?
北西地区というと、今居るのが東地区なので遠そうですね。
でもその分、町を見られるわね。
と……思っておりましたのに、東門の事務所から『方陣門』らしきもので北西門まで移動してしまいました。
そこから担当地区を見回り、昼に北西門に戻るのだそうです。
あっ、さっきの石の徽章、魔石ですのね!
いただいた時は濃い赤だったのに、少し色が変わっていますもの。
「町の中に移動する方陣門があるなんて、初めてだ」
「そうだな、まぁ……ここは普通の町より大きいからかもしれないが」
おふたりがそう呟いておりましたが、わたくしが知っている馬車方陣とは全く違う物でした。
人の専用だからでしょうか?
北西門の近くには果樹園へと繋がる道があり、西地区の畑が多く広がる風景が眼下に見渡せます。
ここは南側より土地の高さがあり、外門は北側の森の中へ入ることができるのですが、果樹園に入るには随分と階段を下りていかねばなりません。
北へ目を向けると『神々の祝福の山』がそびえ立ち、山々が連なり麓に広がる『碧の森』が見えます。
もう既に北西門も北門も閉じられてしまい、入ることはできませんがこの森や山から採れる鉱石や貴石は大変値打ちが高いのだそうです。
町中へと歩き始めると、皆さんが割と親しげに衛兵隊員達に声を掛けてきます。
どの町でも、こんな光景は見ませんでしたわ。
「あれ、今年は研修生が少ないみたいだね」
「そうなんですよ。暫くは町を一緒に回るから、宜しく頼みます」
ダリューさんもノエレッテさんも、町の方々にとても丁寧です……あ、そうでした。
どこに聖魔法師の方や、貴系の方がいらっしゃってもおかしくない町なのでした!
「この町は冬になると閉める店が多い。自宅と工房が離れていて、工房に誰もいない場所もあるから、特にそういう場所を見回って異変がないかを確認していく」
随分と寒くなってきていますから、開いている店も少ないようです。
人がいないから、見回る?
誰もいなければ、何も起きないのではないのかしら?
山から吹き下ろしてくる風でしょうか、もの凄く冷たくて強い風が時折辺りの土や小石を飛ばします。
ピシッ!
いくつかの小石が飛んだ先に、硝子窓があったようです。
窓に亀裂が入り、かしゃん、かしゃん、と硝子が落ちました。
「おっと、あそこはデーニヒスさんの工房だな」
「確か自宅は離れていたぞ。俺が呼んでくる」
「そうだな。我々は工房近くで待機だ」
個人の工房ですよね?
衛兵隊が……こんなことまでなさいますの?
「不思議そうな顔だな」
「はい……少し驚いてしまいました。衛兵隊がどうして一工房の、たかが窓が割れたくらいで……」
キリエムスさんも、同じ疑問を抱いていらっしゃったようです。
「この界隈の工房は、貴重な素材を扱うことが非常に多い。個人の財産でなく、国家の財産の加工を受けている工房がかなりある」
「ここも……なのですか?」
「いや、解らん」
「解らないのに、どうして?」
「我々にさえ、どのように貴重な物がどこで使われているかは秘匿される。だが、もしかしたらこの工房がそれを請け負っているかもしれん。知らなかったから見過ごしたというのは、許されん」
ノエレッテ教官の言葉には『そんなことは当たり前だ』という響きが含まれております。
「町の衛兵隊はその町の全てを守らねばならない。そして、騎士というのはこの国の全てを護る者のことだ」
「ああ、すまねぇな、衛兵さん。うちの【付与魔法】効果が薄くなっちまってて今日新しくかけてもらうつもりで……」
そう言いつつ走り寄ってきたこの方が、デーニヒスさんですのね。
ご一緒のお若い方は、息子さん?
いえ、お弟子さんかしら?
「風が強くて小石が当たったようでした」
「ああー、そうかぁ、いや、助かったぜ。風が入るとまずいからよ」
キリエムスさんがここぞとばかりに、では、お片付けを手伝います! と割れた硝子を拾おうとなさいます。
行動が早いのは、素晴らしいですね。
わたくし達も手伝おうとして、側に寄った時に強風が!
「わっ!」
窓の側にいたキリエムスさんが目に砂が入ったのでしょうか、窓硝子側によろけて倒れてしまいました。
硝子が更に割れ、窓から入った風が部屋の中で何かを舞いあげています。
「いかん! 中には鉄粉が……!」
その声と同時くらいに、窓から火が噴き出しました!
な、なぜ?
灯りなど点いていませんでした。
ただ、風に何かが……
「水……っ! 水を……!」
キリエムスさんは水魔法が使えるのでしょうか?
魔力が溜まっていくのが感じ取れます。
「駄目だ! 水は使うな!」
え?
叫んだのは、デーニヒスさんに同行していらした若い方です。
そのまま、炎を……まるで、炎を何かで包み込むかのようにまとめ上げ、舞い上がった黒い粉と共に閉じ込めて……消してしまいました。
「待て、危険だ!」
「大丈夫です。少し離れててください、ノエレッテさん」
そう言うと素早く窓に近付き、あっという間に割れた硝子を嵌め込んでしまいました。
そして、入口から中へとはいり……室内で燃えていた炎も、消し沈めてしまったのです。
水も使わず、たったおひとりで。
「もう大丈夫ですよ、デーニヒスさん。中を確認してください。壊れたところは修復しますから」
「すまねぇ! いやぁ、衛兵さん達とタクトがいてくれてホント、助かったぜ……」
「削りカスが粉で残らないように、清掃と固体化の魔法も付与しておく?」
「そうだな。頼むよ。俺達の魔法だとどうしても残っちまうから」
「了解ー」
この方、付与魔法師なのだわ。
「キリエムス、大丈夫か?」
「は、はい……いてて」
「怪我をなさいましたの? 教官、【回復魔法】を使用をしてもよろしいですか?」
「ああ、許可する」
わたくしの【回復魔法】でしたら、これくらいならすぐに治せます。
「あ、細かい硝子の欠片が入っているかもしれないから、ちゃんと鑑定してから【回復魔法】掛けた方がいいよ」
付与魔法師の方から突然に声が飛んできて、一瞬手が止まりました。
そうでした。
硝子が中に入ったまま傷を塞いでも、治らないどころかかえって酷いことになってしまいますわ。
「申し訳ございません、わたくし、鉱物系の鑑定ができませんの。どなたか中に残っていないかをご確認いただけませんか?」
ノエレッテ教官も、ダリュー教官も……そして、ラーシュさんもその技能や魔法がないみたいです。
これは……お医者様に行った方が。いいかもしれません。
「俺が視てもいい?」
「すまんな、タクトくん。頼めるだろうか」
ダリューさんが付与魔法師のタクトさん……という方にそう言うと、彼はすっ、と地面に膝を突いて、立ち上がれないでいるキリエムスさんに向き合いました。
魔法師が、膝を突くなんて!
その光景にわたくしだけでなく、キリエムスさんもラーシュさんも驚きを隠せませんでした。
「うーん、結構入っちゃってるね。ちょっと熱くなるけど、我慢してね?」
そう言うとタクトさんは、キリエムスさんの傷口だけでなく、身体中を包むように魔法を展開なさいました。
キリエムスさんは少し熱いのでしょうか、びくっと身体を強ばらせましたが、すぐに……痛みが消えたような顔になりました。
「はぁ……相変わらず、タクトくんの魔法は展開と収束が早いな」
「どうやったんだ、今のは?」
「【加工魔法】で体内のガラス片全てを一度溶かして抽出、体外でまとめました」
は?
【加工魔法】ってそんな魔法でしたっけ?
物の形を変えるとか、素材を分けるとか、そういう魔法ではありませんでしたか?
あ、でも、形を変えて、取り出して、また形を変えた……ってことなのかしら?
「それじゃ【回復魔法】掛けてあげて。消毒もしてあるから、【回復魔法】だけで平気だよ」
えーと……『消毒』とは?
【浄化魔法】のことかしら?
この方……一体いくつ魔法が使えますの?
わたくしは【回復魔法】を使いながら、魔法師という方々の実力に少し……打ちのめされておりました。
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『カリグラファーの美文字異世界生活』第392話とリンクしております
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