春を、待つ

 風が少し冷たくなってきた待月まちつき十二日の朝。

 バーラムト夫妻とその娘達は、振り返ることなく走っていったヒメリアの背中を見送った。


「……行っちゃったわねぇ」

「帰ってくるかしら」

「結果は王都で発表だもの、戻ってくるわよ」

「そういう意味じゃなくて!」

「ああ……それは、無理かなぁ。絶対にヒメリアは受かりそうだもん」


 娘達ふたりは、妹を送り出したような寂しさを感じていた。

 ヒメリアの最終試験が終わって、結果がもたらされるのは来年の新月しんつき、春になってから。


「そうだねぇ、ヒメちゃんほど良い子なら受かるだろうねぇ」

 娘が旅立つような寂しさを感じているのか、バーラムトが呟くとセリアナが強めの言葉で否定する。


「良い子だからじゃないわ。ヒメリアは優秀だから、ちゃんと努力してるから、受かるの。あの子が荷物整理している時に、あたし、ちょっとだけ予備試験の結果表見ちゃったのよね」

「姉さんったら……そんなところで【遠視魔法】なんか使っちゃ駄目じゃない」


 ルリエールは姉を窘めるようなことを言いつつも、その内容には興味があるようだ。

 それを察したかのように、セリアナはにやっと笑う。


「凄かったわよ? 実技は、弓は満点で魔法もほぼ満点。筆記もかなりいい点だったわ」

「ほっほーっ! やっぱりなぁあ! あの【回復魔法】が使えるんだから、そうだろうとも!」

「皇国法もちゃんと理解しているのねぇ。まだ成人したばかりなのに、ヒメリアちゃんは本当に勉強熱心なのね」


 なんでお父さんが得意気なのよ、と娘ふたりに呆れられつつもバーラムトはヒメリアが褒められるのを嬉しく感じていた。

 妻のティアルナも、どうやら同じような気分らしい。



 その日、工房で刺繍入れの作業をする女達とバーラムトの娘達は、ヒメリアの話題ばかりだった。


「受かったら……銅証で家系魔法がある上に、騎士様……ね」

「うん。従家三位騎士……かぁ。どこかの家門の従者になったりしちゃうのかしら?」

「そうなったら、王都には来なくなっちゃうわね」


 銅証というだけでも自分たちとはかなり違うのに、更に離れてしまう。

 階位だけでなく、物理的な距離の遠さにも、彼女達は淋しさを禁じ得ない。

 決してその階位をひけらかすことなく、楽しそうに刺繍をしていた彼女の笑顔ばかり、思い出す。


「……寂しい……」

「近衛になればいいのに」

「あの子は、衛兵の制服が着たいって言ってたからなぁ……」


 手元で刺繍を刺しながら、その制服を纏うヒメリアを想像して少し、微笑ましくなる。


「どこのご領地がいいのかな? 今の在籍は、カタエレリエラでしょ?」

「あそこのは駄目よっ! ヒメリアには似合わないわ! あの子の金赤の髪には、絶対に青系がいいと思うの!」

「あら、金赤だからこそ、赤が映えるのよ! ロンデェエストとか絶対に似合うわ!」

「ちょっと暗めの服の方が、金色が綺麗に見えるわよ。ヒメリアちゃんなら……マントリエルのが似合いそう」

「寒いところは……ムリじゃないかしら? 南国育ちよ? コレイルなら格好いいし、王都にも来やすいし!」


 きっと、ヒメリアは制服で領地を選ぶだろうと、誰もが思っていた。

 ある意味、ちょっと失礼だが……

 カッコつけもない、嘘もない、そんなヒメリアを、この工房の皆が愛していたのかも知れない。


「……決まったら……絶対にあの子の制服の刺繍は、全部うちでやってあげよう……」

「そうね」

「うん、絶対」


 彼女達の誰ひとり、ヒメリアが試験に受からないと思う者などいなかった。

 新年、きっと彼女は満面の笑みでこの工房を訪れるだろう。

 その時には、両手を広げて迎えてあげよう。


 冬を告げる木枯らしが、王都に吹き始めたばかりだ。

 彼女達は早く春になればいいのに、と、いつもの冬よりも強く、思っていた。

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