嫉妬

「ふぅん、やっぱりあの子は面白いわねぇ」


 淡い日差しの差し込む庭の東屋で、オリガーナから魔法訓練の様子を聞いたカタエレリエラ公ヴェーデリア・ニレーリアは、新しく加わった訓練生の実力に満足していた。

 ニレーリアにとって彼女が従者から外れることを喜んだというのは、未だによく解らない感情だが騎士位を得ればもしかしたら……と、少し期待している。


 その時はあの愚か者達から接収した全てを、正しい『エイシェルス』に渡してあげよう、とニレーリアは考えていた。

 従者でなくても、騎士位がとれたら『お祝い』で贈ってもいい、と。


「それにしても……ヒメリアは、全く自分の父親が気にならないのね」

「何も期待していないからでございましょう」

「名前を出した時も、考え込んでいる風だっただけで……聞いてきたらいろいろ教えようと思っていたのに」


 ニレーリアがヒメリアと初めて話をしたあの時、彼女が己の考えを巡らすことに気を取られていて自分の言葉を全く聞いていなかったことなど……ニレーリアは気付かなかったのである。


 軟禁された母親と共に出奔したのは、別邸で護衛をしていたクーリェンスという男だと調べがついている。

 従者家系でもない臣民でありながら騎士位を獲得した、風の魔法を得意とする騎士だと解っていた。

 その娘であるヒメリアにも、風の魔法の才能がある。

 騎士位を目指してくれるのは、たとえ従者になってくれずとも嬉しいことだとニレーリアは微笑む。


「おそらく、今年受かるとしたら彼女だけです」

 オリガーナの言葉に、少しだけ溜息をつく。

「……そうでしょうね。他の者達の情けないこと。ラカエスの所にいる者達も、自尊心ばかりが強くて実力も知識も及ばない者達ばかりだというし」

「推薦は今年までですから、最後だと思えば」


 ニレーリアは貴族にとって『従者』など、何の意味も必要もないものだと常々思っていた。

 大昔ならばいざ知らず、従者を付き従えて強大な魔獣に立ち向かうなどという神話の時代のようなことなど今の皇国では起こらない。


 そして彼等は今ではただ根拠のない自尊心を膨らませて、臣民達から疎まれてさえいる。

 自分が嫡子と確定した時に、害になる者達から少しずつ排除してきてやっと残りが十家門にまでなった。


 今回のエイシェルスのように、特に害がなくとも罪を犯している家門があるというのは……正直、ニレーリアにとっては衝撃的だった。

 まだ、どこかで従家の者達の心根は正直で優しく、主家を欺いてしまう行為もやむを得ない事情があったのかもしれない……と、思っていたのだ。

 あんな利己的で醜い理由など、彼女には考えも及ばなかった。


「今後の従者選定は騎士位があるだけでなく、遡って全てを細かく調査して考えなおすべきね」


 主の呟きにオリガーナは少しだけ微笑んで返した。

 彼女もまた、どれほど今の従家が腐ってしまったかをよく知る者であったから。

 しかし、主であるニレーリアが、まだ少しだけ期待していることをオリガーナは知っている。

 この騎士位試験に挑んで、従家でいたいと願う者達の忠誠と善良性を。


 騎士位試験で従者家系を推薦するのは、なかば惰性と慣例に過ぎず、無能な者は悉く落とされるのだからそろそろこんな推薦という制度は限界だとおそらく貴族の誰もが思っていた。

 そこへ、皇后殿下から『教育再編』の報がもたらされ、来年から推薦は銀証以上のみと決められた。


 銅証以下の従者達にとって今年の試験は、背水の陣であるはずなのにどうも自覚に欠けている。

 それが、ニレーリアには腹立たしくて堪らないのだ。

 今年受からない者達には、きっと『次』はない。

 オリガーナは、割と短気な主がここまで譲歩しているのが珍しいことだと思っていた。


「コレイル次官やルシェルス公は、推薦者を出さないと言っていたわ。うちもそうすれば良かった」

「ニレーリア様、彼等に最後の機会を与えるのも、必要です」


 オリガーナは不機嫌な主を宥めるように、紅茶を注ぎながら微笑む。

 王都で『スズヤ卿式』と呼ばれるその入れ方を、彼女は兄であるシュリィイーレ衛兵隊のシュレイスから教わっていた。

 その紅茶は今、最も魔力量が多く美味しい入れ方であると言われているし、実際今までのどんな入れ方より美味だ。

 ニレーリアはそのお気に入りの紅茶を一口飲んで、溜息を吐いた。


「それにしても、魔法の指導はもう少し考えた方がいいわね。こんなに伸びないのでは」

「元が悪いのですから、教師が良くてもすぐにはできませんわ」

「教える側が、生徒の実力を解っていないのよ」

「仕方ありませんわ。ヴェーデリアの騎士達は優秀ですから」

「そうね。優秀だから、未熟者の気持ちが理解できないのかも知れないわね……残念なことだわ」



 その会話を訓練生達の魔法指導にあたっているフェシリステが聞いていたことに、ふたりは気付かなかった。

 敬愛する主が、自分を優秀だと言ってくれているのは嬉しい。

 だが、残念だ……と、期待はずれだとも言われている。

 今まで指導してきた四人ではなく、新しく来たやせっぽちの娘だけが認められている。


 悔しかった。

 なんであの四人はできないの?

 どうして、あの娘だけが……気に入られているの?

 フェシリステはその場から逃げるように走り出し、身の内に芽生えた感情に驚いていた。


 もし、あの子が騎士位を取ったら……この家門に仕えるだろう。

 既に家系魔法を顕現させている彼女は、騎士位を得たら自分より階位が上になる。

 主に気に入られて、取り立てられ、美しい金赤の髪の彼女は愛する主の元で更に美しく成長するに違いない。


 今は優秀だと褒めそやされている自分でも『結果』が出せないまま、五年が経っている。

 従家の裁定を見直す……もしも、役に立たないと思われたら?

 自分自身が、家門が従者から外される原因になってしまったら?

 フェシリステの中で、漠然とした不安ばかりが大きくなっていく。


 このヴェーデリアからの推薦で騎士位に受かった者は、この五年で男性がたったひとりだけ。

 たとえあの子が受かったとしても……それは自分の評価にはならないだろう。

 だって、あの子の魔法も技能もまったく指導していない。


 あのロッテルリナの手柄になるのだ。

 今年初めて指導者になって……たまたま強い魔法が使える子についた、運が良いだけの彼女の!


 フェシリステはこの暗い感情がヒメリアに向けたものなのか、ロッテルリナに向けたものか解らなくなっていた。


(……どちらも、いい気になんてさせない……受かるのは私の教え子よ!)

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