ウァラク、国境警戒

 国境の町を有する、イスグロリエスト皇国の北西に位置するウァラク領。

 隣接するアーメルサス教国とガウリエスタ王国の二国が戦争状態となって、半年以上が経過している。

 両国とは大峡谷を挟んでいるが、そこには大きく堅固な橋が架けられており、どちらの国からも皇国の国境へと入ることができる。


 彼等は豊かで平和な皇国へ続くその橋への道を自国のみの領地にしようと、争いを繰り返している。

 皇国としては……そんな橋など落としてしまっても構わないのだが、アーメルサス教国の魔道具技術やその地でしか取れない魔石の買い付けで、多くの皇国人が出入りしていた。


 そして、アーメルサスの西の海にあるオルフェルエル諸島への足がかりを失うのは少し惜しい……と思っていた。

 オルフェルエル諸島は森と水の豊かな島国が多く、どの国にも所属していない少数民族が暮らしている。

 その地のことを昔の冒険家が『神に愛された国の名残』と手記を残していた。

 皇国では海に沈んだという『魔導帝国』の痕跡ではないか……と思う者もいたため西への唯一の経路と言っていい橋を惜しむ声もあった。


 かつてガウリエスタの東、皇国側からだとシュリィイーレの西の森から抜けた辺りにあった少数民族領はガウリエスタの強欲な貴族達によって森の恵みを奪われた。

 その村のいくつかからは皇国への道もあったのだが、ガウリエスタからの侵攻によって寸断された。


 襲われた町や村は殆どが砂漠化し、いくつかの村は大峡谷へと沈み、残った僅かな山脈の中の村々も魔獣と魔虫に襲われて全滅してしまっている。

 崩れた山中に今はもう人が通れる道はなく、ガウリエスタは唯一皇国へと入れるウァラクの国境を失うわけにいかないと必死にアーメルサスを退け始めたのだ。


 そして、そんなガウリエスタに背後からミューラが襲いかかった。

 その争いに反発するかのようにミューラで革命が起きたが……失敗し、ただ国力を大きく落としただけ。

 だが、ミューラは仕掛けてしまった争いから引ききることもできず、じりじりと攻め込まれている。

 交渉をするには既に機を逸しており、どちらの国も完全に勝ちきることもできない膠着状態のまま『引けば攻めてくる』という恐怖からだろう、引くこともできないでいる。



 ウァラク領主・ハウルエクセム家では、連日、次官である扶翼のサラレア家と共に対策を練っていた。


「ミューラ北方がガウリエスタに押され、戦線が南下しています」

「うむ……ミューラはもう、さほどもつまい……」

「ガウリエスタも決して『勝っている』とは言い難い状況のようですね。これ以上の南下はないと思われます」

「ほぅ?」

「ミューラの南半分には、ガウリエスタは手出ししないでしょう。押さえるとしても、北側の三割程度。そして、アーメルサスとの戦に集中するのでは」


 その状況下、ウァラクが本当に心配しているのは三国の現状……ではない。


「ディルムトリエンが火薬を使ったことで、ミューラが取ったあの戦法を警戒しているのだろう」

「馬鹿なことをしたものですよ……あれでは、再建どころか……再生もできない」

「砂ならばまだマシですが、おそらく『毒』になろうかと」

「……それほどの魔獣の数なのか?」


 そう、魔獣である。

 ミューラもアーメルサスも既に『樹海もり』を、神々の加護を失って久しい。

 そういう国には、魔獣が蔓延る。

 そして、魔獣は『死体』によって爆発的に増える。


「もし、魔獣が溢れたら……ウァラクだけでは……」

「ミューラの北方戦線が崩れたら、その魔獣がガウリエスタ側へ流れ込んでくる可能性は?」

「……ミューラの北側には、迷宮が少ないと聞く。だが、あの国もガウリエスタにも、もう『樹海もり』がない。魔獣の足止めはできん」

「争いがあれば『人』の死骸がありますからね。いくら焼いているとはいっても、取りこぼしがないとはいえない」

「そうなれば、魔虫が戦場に湧く……今の季節、魔虫の成長は早い」


 円卓の面々の顔色が曇り、声が更に重くなる。


「魔獣はおそらく、ディルムトリエンの南へ向かう群れとミューラからガウリエスタを北上してくる群れがあるでしょう」

「アーメルサスが、どこまで南へ攻め入るかで状況は変わるな」

「しかし、魔虫は流れてきます。夏場ですから、ウァラクからヴェガレイード山脈へ入ることも考えられる」

「魔虫の警戒は最大限に致しましょう。魔獣については、現時点では予想が立ちません」


 争い傷ついた両国の戦場に向かって、魔獣が雪崩れ込んでくることを最も警戒しているのだ。

 既に『橋』は閉鎖しているが、死体を求める魔獣が大峡谷から溢れないとも限らない。

 そして魔虫は、橋も谷も関係なく飛んでくるのだ。


「ハウルエクセムの【塊岩魔法】で魔獣の侵入は防げますし、サラレアの【盛焰魔法】で焼き尽くすこともできます。ですが、魔虫には……決定打に欠く」

「【盛焰魔法】は強いが、広範囲向きではない。虫や鳥だと取りこぼしが多くなる」


 ウァラク公はここまでの事態は予想できていなかったと、唇を噛む。

 まさか……迷宮を壊し魔獣を放つなどという愚策など、思いつく者がいるということすら考えていなかったのだ。

 それは彼等だけでなく、おそらく皇国の誰ひとり選択肢に含めることすらなかっただろう。


「……セラフィエムスに要請を出そうと思う」

「セラフィエムス……迅雷、ですか!」

「ああ。広範囲に伝播する雷であれば、空中を飛ぶものに有効であろう」

「お越しいただけるでしょうか……ここは、あまりにセラフィラントから遠い」


 セラフィラントは皇国の東端。

 そして警戒すべき迷宮国・ヘストレスティアと陸続きの国境を有している。

 だが、ヘストレスティアは現在安定しているし、東の海には争いの気配はない。


「今『迅雷の英傑』は、シュリィイーレにもいる。お力添えをいただく……この国境を守れねば、ヴェガレイード山脈……錆山を魔獣に荒らされる。それは絶対にあってはならぬ!」


 強大で激しい【迅雷魔法】が放たれれば、橋など落ちてしまうかもしれない。

 だが、将来にあるかどうかも確定していない国益のために、現在と直近の安全を明け渡すことなどできない。


 ハウルエクセム卿もサラレア卿も、そして会議に参加していた全ての従家の者達も決意を固めた。

 ウァラク公が立ち上がり、従家の者達が会議室から国境門へと移動を始める。


「皇太子殿下に御子が生まれようという大切な時期に、大地を荒らされることなどあってはいけませんな……!」

「左様! 是が非でも、我が国境から魔物は一匹たりと通さぬ! 御子達の誕生に呪いなどあってはなりませんからな!」


 皇太子の婚約者であるハウルエクセム家の娘、スフィーリアはあとふた月ほどで臨月を迎える。

 絶対に、その御子の祝福を穢させはしないと、誰もがその剣に誓いを立てる。


『祈りは必ず神々に届く』


 彼等は皇国の護り手となるべく、西へと向かった。

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