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「さて……では、どうしましょうかねぇ」

「取り敢えず、一度、放していただけませんでしょうか?」

「嫌。ヒメリアは、とても抱き心地がいい」


 いい加減涙も乾いて、これからの話をしなくてはと思っておりますのに、カタエレリエラ公がわたくしを放してくださらないのです。

 司祭様もニコニコとしていらっしゃるだけで、まったく助けてはくださらないし。


「……放してくださいませ、カタエレリエラ公」

「その言い方は公式の場だけにして。私のことは、ニレーリアと呼びなさい」

 いえいえ、流石に不敬でございましょう?

「そう呼ばねば、ずっと放しません」

「お放しくださいませ、ニレーリア様」

「素直すぎてつまらないわっ! もっと『いえ、でもっ』とか言ってくれないと!」


 どうして欲しいのでしょうか、この方は。

「ニレーリア様、ヒメリアが困っておりますわ。愛でるのはあとででも宜しいのではないですか?」

 誤解を招く表現です、ゲイデルエス司祭様。

 まぁ……ニレーリア様はいい香りがして……心地よかったですが。


 渋々とわたくしを放してくださいましたが、まだちょこちょこと手を取ったり腕を撫でたり……

「さっきの、労働というのは大変面白いわ。あの息子共が使い込んだ金額分の返済が終わるまで、枷をつけてカカオ農園の下働きとして働かせよう」

「どれくらい使い込んでいたのかは、既にお調べが?」

「今、調べさせているけど……そうねぇ、下働きだと百二十年分くらいかもしれないわね」


 それって、多いのでしょうか?

 少ないのでしょうか?

 でも、百二十年、一切自分の自由になるお金がないというのは、かなりつらいかもしれませんわね。


「少し短いかしら……ねぇ? エセリア」

「その間の彼等の食事代などはずっと借金となっていくのですから、完済には二百年以上はかかるかもしれませんわ」


 司祭様も、ちょっと悪い微笑みです。

 騙されかけたのですもの、当然ですよね。

 でも、その程度で済むならばまだいい方です。

 主家への裏切りと、魔法を偽った罪は本来であれば『獄』送りですもの。


 牢はただ閉じ込められているだけですけれど、獄では肉体への拷問紛いの罰が加えられます。

 どんなに酷く滅茶苦茶になっても、【治癒魔法】や【回復魔法】で治されて毎日毎日、罪を自覚し心からの反省と謝罪が認められるまで、ただ痛みを与えられるのだとか。


 そんな獄に送られて、刑期を満了して戻ってきた者はいないと聞きました。

 大概、痛みと恐怖に耐えきれなくなって命を落としてしまうのだと言います。

 あの方々、こらえ性がないから絶対に三日もせずに死んでしまいそうですけど……もしかしたらそっちの方が楽なのかしら?

 そうかもしれませんわね……ディルムトリエンにいた頃は、わたくしも『死んだ方が楽』と何度も思いましたし。


 二百年の間に真っ当な臣民となって、勤労に目覚めて欲しいものですね。

 従家の者であっても、皇国の方はだいたい四百歳くらいまでは生きるらしいですから。

 えーと、母上が逐電したのが三十二歳の時で、三十五年くらい前……と教えていただいたから伯母様は今、七十五歳くらい?

 いえ、成人した長子がいるのですから、もう少し上かしら?

 それでも、充分に時間はございますわね。

 でも、あのでーとかでゅーとかいう次男だけは、こんなことするくらいなら死んだ方がマシだーとか言いそうですけれど。


 あら?

 母上はエイシェルスを出てから、すぐに出国したわけではないってことかしら? 

 十年以上も……どちらにいらしたのかしら?


 益体もないことを考えていたので、ニレーリア様の仰有っていることを半分くらい聞いていませんでした。

 いけない、いけない……


「……それでな、流石にあの家をおまえに継がせることはできぬから、我が家門で接収となる。従家としても除籍となるだろう。だが、もしおま……」

「まぁ! ありがとうございます!」

「えっ?」


 ニレーリア様からそう仰有っていただけるなんて!

 従家だなんて、申し訳ないのですがお断りしたかったのですよ。

 あの家と財産は当然接収していただけると思っておりましたが、従家除籍までしていただけるなんて!

 またしても、わたくしの想定以上のことが起きてしまいましたわ!


「わたくし、とてもではありませんが従家など無理ですし、どうお断りしたものかといろいろ思案しておりました。でもニレーリア様が全て接収してくださるのであれば、心置きなく除籍となれますわ!」

「……ヴェーデリアの従者は……嫌か?」

「ヴェーデリアの御家門に限らず、わたくしには従者としてはお勤めできそうもありませんし、それに何より、魔法を継ぐために婚姻なんて絶対にしたくなかったのです。男とあのようなことをするなんて、考えただけで……」


 いえ、別に男は存在するなとか、息をするななんてことは言いませんよ?

 ただわたくしには、近寄って欲しくないのです。

 話すのも、視線が合うことすら、鬱陶しくて堪りません。

 他の方が男性に恋をしたり、婚約したりするのを止める気も罵る気もありませんが、わたくしは、絶対に嫌! なのです。


「これで安心しましたわー! エイシェルスの家系魔法なんて、なくなったとしても全然大丈夫だったわけですし、気にもされないでしょう。もうあの魔法が必要な時代でもございませんものね!」


 つい、喜びのあまり無遠慮なことを言ってしまいました。

 この国では魔法は誇りであり、大貴族の血統魔法はその最たるもの。

 従者の魔法はそこまでではないとはいえ、家系魔法をいらないとか、必要ないとか……それを大切に守り続けていらっしゃる方々の前で、なんて……酷いことを。


「……申し訳ございません……わたくし……」

「いいわよ。あなたに貴族達わたしたちの気持ちを解れというのは無理な話よ。私達もあなたの想いは、全然、解らないもの」


 ああ……なんてわたくしは馬鹿なのかしら。

 誰もがわたくしと、同じ価値観を持っているわけではないのよ。

 そんなこと、ディルムトリエンにいた頃から知っていたはずなのに。

 その違いでずっと、苦しんでいたはずなのに。


 わたくしはこの国のために、この国を守るための魔法を命がけで継いでいらっしゃる方々に……自分の愚かで勝手な言い分を、押しつけてしまうような言い方をしてしまった。

 責任がなくて気楽だと、使命などないから嬉しいと否定するような言葉を無責任に。


「いいと言ったでしょう、そんなに落ち込まないで。私達は自分でこの生き方を選んでいるの。おまえのような小娘にどうこう言われた程度では、揺らがないわよ」

「そうですよ。やっとあなたは自由になったのだものね、ヒメリア。喜んでいいのよ」


 ああ、本当に、この皇国の方々は、どうしてわたくしなんかに優しくしてくださるのかしら。

 忘れてはいけないわ。

 わたくしにも、あのヘッポコなエイシェルス家の血が流れているのよ。


 やだわ、これじゃいつまで経っても『がらくた』のままじゃない。

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