マイウリア、黄昏

 ガウリエスタとの戦争に疲弊していたマイウリアでは、既にこの国を統治しているとは言い難い王族達と貴族達が国外脱出を図っている。

 ……だが、東側は海へと出たところで南への海流に乗ってしまい、ディルムトリエンの同盟国ドムエスタ王国にしか辿り着けない。

 マイウリアにはイスグロリエスト皇国のような、海流に逆らうことをものともしない高速魔導船を造ることも、得ることもできないのだから。


 この国を見限った者達は北西側の港へと移動するが、西側は砂漠化が進んでいるため移動が困難であった。

 魔力の少ない者達は方陣門を使うことすらできず、懸命にその足で西の海を目指す。


『がらくた』と呼ばれた姫の偽物と第一王子を失った僅か四日後、ディルムトリエンはマイウリアの南門へと兵を進めていた。

 マイウリア側は対抗できるほどの兵力を集められず、この数ヶ月ただ国境門の堅牢さでのみ戦線を支えていた。


 そして、王宮では民から見放され、神に見限られた王が最後のあがきを見せていた。


「……もう、南側は無理です。ディルムトリエンに南側を渡して停戦交渉し、ガウリエスタに注力すべきです」

「あやつらを我がマイウリアに入れぬ」

「陛下……!」


 落ちくぼんだ目元で、その血赤色の瞳だけがぎょろぎょろと動く。

 王は既に冷静な判断力を欠いていた。


「……南の迷宮を溢れさせろ」

「何を……! そんなことをしたら、国土を守るどころか二度と何も実らぬ地になります!」

「このまま奴等にくれてやれるか! 魔獣の犇めく大地であれば、奴等とて容易には北上できまい!」


 焦土作戦……だが、魔獣を使い大地を汚せば、かつて革命勢力を排除した時のように炎で町を焼くなどということとは比べものにならぬほど、決定的に全てを壊滅させてしまう。

 二度と、その地にまともな植物は育たず、魔獣以外の生物もいなくなるだろう。


(なんという愚かな……!)

(この国を、自らの手で滅ぼすつもりか)


 僅かに残っていた王の側近達ですら、嫌悪感と絶望感に襲われる。

 だが、次の言葉で一瞬、彼等は足を留めてしまった。

「魔獣共を誘導して、ディルムトリエンへと雪崩れ込ませろ!」


 兵ではなく、魔獣に敵国を襲わせる。

 それができたら、自国から魔獣を追い払え、敵国を滅ぼせるのではないか……と。


「誘、導……? そのようなこと、どうやって」

「死骸をバラ撒けばいい……! 死骸の方へ、魔獣共は突進する」


 死骸?

 何、の?

 誰……の?

 側近達の思考が、停止する。


(目の前のこの愚か者の……)


 その時、慌てふためいて飛び込んできた兵士が、事態の更なる悪化を告げた。


「陛下っ! 南東門が……南東門が、落とされました!」

「なんだと!」

「ディルムトリエンは……火薬を大量に使い、門が大きく崩れた……と」


 マイウリアでは数少ない『遠視の魔眼』をもつ魔法師が、南東門の惨状を目撃したのだ。

 その報を聞いた凶王は、狂ったように笑い出す。


「は、はははははっ! 火薬! なんという愚かな奴等だ! 自ら魔獣を招き入れるとは!」


 魔獣は、炎の魔法でなければ焼き尽くせない。

 その魔法が使えぬ者達が身を守るために、火薬で魔獣を焼こうと試みた過去があった。

 だが、逆に魔獣達が興奮状態となり、火薬の臭いのする方へと押し寄せた。

 しかも、火薬を使って燃えた火では魔獣を焼ききることができず、魔虫を呼び寄せてしまうだけだったのだ。


 そうして……国の中央部に砂漠を作ってしまったのがガウリエスタであり、その砂から逃げるように南部の者達はマイウリアへ、北部の者達はアーメルサスへと押し寄せて開かれない国境に攻撃を仕掛けているのだ。


 今の季節はまだ、風向きは北東から南西へ……マイウリアからディルムトリエンへと流れている。

 火薬の臭いはすべて、敵国へと流れ込む。

 そのことに思い至った側近達は……王の命令が『適切』ではないか……と思ってしまったのだ。


「マハルの……いや、セトースから南の全ての迷宮を開け! 魔獣を全部、ディルムトリエンにくれてやれ!」



 凶王の笑い声が響き、側近達の愚かな選択が招く事態に、この国を見限った男が玉座の間からそっと表に出た。

 そして、白服の侍従に尋ねる。


「……第三王子は?」

「北西の砦に」


 銀色の法服のその男は、侍従の答えに軽く頷き大股で王宮を去る。

 目指しているのは、教会。


「では、船で北へ……アーメルサスの西側までお連れしなさい」

「戦の最中に、王族がこの国を出るのですかっ?」

「戦だから、逃がすのです」


 白い法服の侍従は銀の男の指示に唇を噛み、反抗の言葉を飲み込む。

(……終わりだ。この国は、もう無理だ。王族が国を見捨てるなど……)


 だが、第三王子はまだ二十歳を過ぎたばかりだ。

 成人の儀さえも行っていない。

『正式な王族』ではない彼に、この国を背負えとは言えないと白の男も解っていた。

 そしてもう、彼が『王族』になることはないのだ。


 教会の聖堂に設置された方陣門。

 既にこれを使えるほどの魔力を持つ者が少なく、この近辺の者達の避難に利用することもできない。

 ひとり通過するごとに、大量の魔力が必要だからだ。


「南が落ちたのであれば、もう『マイウリア』も『ミューラ』も終わる」

「まだ、北側は戦っているのですよ? 神官達を見捨てるというのですか!」


 攻撃などに魔法が使える者は、既に戦士達の中にはいない。

 弱い方陣魔法ですら神官でなくば使えないのだから、今戦場に行って『死体を焼いて』いるのは神官達である。

 白の男は、せめて自分達の同胞だけは助けたいと思っていた。

 ……民、ではなく。


 白の男は勘違いをしていた。

 高位である神官が戦場に出向いているならば、戦士達は奮起して戦い続けているはずだ、と。

 司祭や神官が戦場で何かをしたところで、誰ひとりは奮い立ちはしない。

 王族や貴族と同様、神に仕える者達も、この国では英雄ではないのだ。


「アーメルサスの西……オルフェルエル諸島に渡る。サプトには、まだ『森』がある。なるべく多くの『民』も連れて行く」


 銀の男は後悔していた。

 やはり、この枯れて穢れた地では無理だったのだ。

 どんなに犠牲を捧げても、神の方陣は甦らないのだ。

 加護のなくなった者の血をいくら捧げても、神々は見向きもしないのだ……と。


(ディルムトリエンもマイウリアも、そしてガウリエスタも、互いを攻め滅ぼすことばかりしか考えていない。これでは……皇国には絶対に及ばない……)


 かつて、大きく揺らぎ、神々から背を向けられそうになったあの国は、自らを律し英傑達とそれを支える扶翼の力で再び神々への信仰を甦らせたという。

 そしてその伝説が語る通りいまだに森と大地を守り続け、神々の加護の中にある。


(大いなる神の方陣から、あの国の英傑達をも凌ぐ魔法を手に入れられたらきっと……神々は我々を、あの国にお戻しくださる)


 イスグロリエスト皇国は、シィリータヴェリル大陸に住む神官全ての憧れの国。

 銀服にとっては、かの国で『神官』でいられるほどの加護を得なくては、戻る意味などない。

(……サプトならば……まだなんとかなるかもしれない。『民』は……必要だ)


 銀色の法衣をはためかせる風が、開いた方陣門から流れてきた。

 その先に、北西の砦・エーロアと帆船が見える。

 銀と白のふたりは方陣門をくぐり、そして門を閉じた。

 その後の彼等の行方を、イスグロリエストの誰も知ることはない。



 その五日後、ミューラは南側の半分を、ディルムトリエンは北側の三割の土地を……魔獣に明け渡すこととなった。

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