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 港湾長が女性だったというだけでも驚きでしたのに、教会の司祭様まで女の方がいらっしゃるなんて!

「何を言ってるの、ヒメリアさん。神々だって女性がいらっしゃるのだから、当然でしょう?」

 ……そういえば、そうですね。


 神が女性なのですから、それに仕える者が女性であったとしても何の問題もございませんわね。

 どうしてこんな簡単なこと、今まで思い至らなかったのかしら。


 こんなこと……と思えるものですら思い浮かばないから、あの国の女性達は何もできなかったのね。

 何もしなかったのね。

 何もしないで、ただやり過ごすことだけで『許されよう』としていたのね。


 こちらの司祭様も……凛々しい港湾長のリリエーナ様とは少し違う、大らかな感じのお美しさ。

 にこやかなのは、おふたり供変わりませんが。

 はー……うっとりしてしまう。


「左様ですか。事情はわかりましたわ」

「よろしくお願いいたしますわ」

「お任せくださいませ」


 たったこれだけで、わたくしはこの教会でしばらくの間『お勉強』しつつ、お手伝いをして毎日の糧と寝床を手に入れることができた。

 この教会の神官様達も皆様女性で、わたくしはなにひとつ不自由することなく過ごす事ができるようになったのです。

 この国の教会では、親を失ってしまった子供達への教育や生活の支援をしてくださるのですって。

 教会って……隷属契約をするための場所ではなかったのですね……



 教会で暮らすようになって数日。

 自分が今までいた所が、どれほど悲しみに満ちた場所だったのだろうと溜息をついてしまった。

 皆様お優しい方々ばかりで、後宮にいた頃のように髪を引っ張られて起きることもなく、床にたたきつけられた破かれている服を拾い上げて着ることもない穏やかな日々。


 服の作り方を知っている神官がいらっしゃって、型紙というものから衣服を作るやり方を教えていただいた。

 王都で人気の型紙師の方が作った服の縫い方も教えていただきました。

 袖が少し膨らんで、優しい感じの可愛らしい服です。

 基本的な作り方を覚えたら、自分で好きに模様や飾りを付けられますよ、と言われた時は胸が高鳴ったわ。


 その飾りには刺繍が多く使われるので、いくつかの刺繍も教えていただいた。

 素敵だわ。

 楽しくて自分の手巾とか、服の裾にまで刺してしまったほど。


 みなさんで服を作ったり、小物を作ったりして売っているのでわたくしの刺繍をした物もいくつか売ってくださったの。

 そして、お料理も教えていただいたのですが……どうやら、わたくしには全く……向いていない作業のようで、材料を幾許か無駄にしてしまいました。


 食べものを食べきれなくて捨てざるを得ないなんて……なんという罪深いことかしら!

 毒も入っていない食べものを捨てるなんて、初めてだわ!

 ……毒に匹敵するほど、不味かったということなのかしら……がっかりです。


 教会の南側に柑橘の畑があり、お掃除や片付けなどのお手伝いも楽しかったわ。

 果汁をいただいたり、果実で作られたというお菓子をいただいたり。

 固めた蜂蜜の中に、枸櫞という柑橘の粉が入っているものが甘くて酸っぱくて吃驚しましたわ。

 だけど、大好きなお菓子になりましたので、いつも衣囊に二、三個入れてます。

 ……【収納魔法】にも、三袋くらい……入ってますけど。


 港に行って、身分証の再発行を助けてくださった方にもお会いできました。

 あの腕の太いひげ面の方は魔導船の船員さんだったので、東の小大陸に行ってしまわれててお会いできなかったのだけど、もうひと方にはお礼とお詫びを言えました。

 当たり前のことをしただけだから気にしなくていいよ、と笑ってくださって……


 ここでは『当たり前』なのに、どうしてディルムトリエンでは誰ひとりそう思えなかったのかと……悲しくなりました。

 わたくしも誰かを助けることが『当たり前』と思えるように、なれるかしら……


 皆さんと過ごしながら神話と神典を読みつつ皇国の法律や、古代語も勉強させてもらっています。

 古代語がこんなにも正確に読めるなんて、やはり皇国は他の国々とは全く違うのだと、ただただ感心するばかり。


 そして、神話のなんて面白いこと!

 ディルムトリエンと同じ神話のはずなのに、イスグロリエストの神々は本当に『人』を愛していらっしゃるのだと信じられるわ。


 この国の身分階位のことを詳しく教えていただいた時は、驚きを隠せませんでした。

 ……本当に、性別なんて何ひとつ関係ないのだわ。

 男が女より優っているとか、女が男より価値があるなどということも全くありません。

 魔法のみが、神々から与えられた祝福と加護のみが、価値を決定するのだそうです。


 今までの悲しみと痛みが、全部消えていくようでした。

 性別なんて、絶対にどうにもできないもので、生まれた瞬間に判断されてしまうのではなく、研鑽し、努力を重ねれば魔法も魔力も手に入る……!

 神々に認めていただけて、大いなる神術すら手になさった方が実際にこの国にはいらっしゃる。


 聖堂に掲げられている次期セラフィラントご領主様・セラフィエムス卿の開示された『詳録』……身分証記載の全てを拝見する度に、嬉しくて堪らなくなるのです。

 わたくしにも自らの努力で得られるものが、まだ沢山ある……そう思えて。



 そして、誕生日まであと十日ほどになった時、わたくしは母上の故郷カタエレリエラに行ってみたいと思うようになっていました。

 司祭様にそのことをお伝えすると、是非訪れるべきですよ、とカタエレリエラのことを教えてくださいました。


 最も南の領地であるカタエレリエラは、冬でも全然寒くない土地で近年カカオ栽培が盛んになっているのだそう。

 カカオは薬としてしか知らなかったのですけれど、この国ではお菓子の材料なのですって!


 なんて素敵なの!

 カカオのお菓子、特に『ショコラ・タクト』というお菓子はとても美味しいのですよ……と、うっとり語られる司祭様を見ていて、絶対に食べてみなくてはと決意いたしました!


 皇国のこと、この国の神々のこと、そして常識もある程度は学べました。

 お手伝いさせていただいて衣食住に不自由なく過ごさせていただけた上に、路銀の足しになさい、と皆様からのお心遣いまでいただいてしまった……!

 そしてラニロアーナ司祭様から、今後も勉強を続けてくださいね、と『イスグロリエスト皇国法』の法典をいただきました。

 ……ちょっと重いですけれど、法典はまだ全部読み終えていなかったので嬉しいです。



 カタエレリエラのサクセリエルまでは、三回の馬車方陣を使って三日間ほどかかるとのこと。

 ……この馬車方陣というもの、未だにわたくしには信じられないのです。

 ディルムトリエンの首都からひと月以上もかけて移動したマイウリアの国境門までの距離を、この方陣ならば一瞬で馬車ごと移動できるなんて!


 もしこのオルツから馬車方陣を使わず走って移動するとなったら、カタエレリエラまではきっと三カ月くらいかかってしまいそうです。

 改めて皇国の魔法の偉大さに、感服いたします。


 カタエレリエラ領サクセリエルの教会で、成人の儀を受けるつもりです、と司祭様に言った時に書簡をひとつ、お預かりいたしました。

「これを、その教会の司祭に渡してくださいね」

「はい。いろいろとありがとうございました。いつかまた、必ず参ります」

「楽しみに待っていますよ、ヒメリア」


 オルツの教会を出ると、晴れ渡った空に心地よい風が吹いています。

 さあ、逃げるためではない、本当の未来へ向かうための旅を始めましょう。

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