帰国
男は入国審査官に食って掛かっていた。
皇国への入国が認められないと、拒否されてしまったからだ。
「入国できないとは、どういうことだよ!」
「我が皇国では、賤棄を扱う者は『罪人』です」
「……」
「お引き取りください」
何人もの女達を、隷属させている。
本国にいるのはまだ二十五歳になっていないので教会での手続きを行っていないが、今連れている中にひとり『賤棄』がいる。
男は、女達を調べられてそのことが露見したから、入国が拒否されたと思い込んでいた。
隷属の契約魔法で離れることができないから、仕方なく賤棄を連れてきた。
男は、先に殺しておくべきだったと後悔した。
この男もまた、その『隷属契約』を正しく理解はしていなかったのだ。
そして『皇国』を侮っていた。
皇国の入国審査では、鑑定板に身分証を載せれば『全て』表示される。
本名も、魔力も、魔法、技能、そして『犯罪』も。
神々は全てを、魔力と共にその身分証に刻み込むのだ。
文字という形でなくとも、その者の全てが身分証に刻まれるのである。
他国で使われているような、質の悪い鑑定魔法では見破れない。
だが、皇国入国審査における『看破』は、皇国内に入る他国人の全てをさらけ出させるものである。
特に、他国からの大型船が行き来するこのセラフィラント・オルツ港の審査における看破は、西の直轄地シュリィイーレに匹敵するほどの精度である。
そんなことなど知りもしない愚かな男は、怒りをすぐにでもその賤棄にぶつけてやりたかった。
賤棄にならば、何をしても罪にはならないから。
(く、くそっ、仕方ない……結局、ヘストレスティアまで行くのか……その分高値で売れりゃいいが、あいつら全員二十歳を越えちまってるし……)
『女に価値』が、どの国でも自分たちと同じだと思い込んでいる。
皇国で売れなかった者だけをヘストレスティアに連れていくつもりだった男は、あてが外れて苛々としたまま港湾事務所を出た。
「……ん? おいっ、俺の連れ共はどこだ?」
「とっくに審査が終わって、表に出しましたよ」
「なんだと? ……どこへ行きやがった!」
付近を探そうと見回した時に、大柄な港湾警備兵に肩を掴まれた。
警備兵は男を睨み付けると、乗ってきた船とはまったく違う真っ黒い船を指差した。
「入国審査を通らなかった者は、すぐにここから立ち去っていただく。あの船だ」
「わ、わかったよ」
(そうか、女共は先に乗せられたのか。くっそ、とんだ時間の無駄をしちまった!)
男は警備兵を気にしつつ、示された船へと乗り込んだ。
かなり小さめの船だ。
オルツから出る船で小さめのものは、全て高速魔導船。
ヘストレスティアまでなら二刻、ディルムトリエンでも海流の向きで丸一日で辿り着く。
男が走り出した船の行き先を確認すると、船員はディルムトリエンの最も南の港キュライだと言う。
乗ってきたマイウリアに近い港からは、馬車で二ヶ月以上もかかる場所だ。
「……これ、ヘストレスティア行きじゃねぇのか?」
「入国拒否された者は『強制送還』だからな。乗せた国に返すのが当たり前だ」
「なんだとっ! 乗船券を買えばいいのだろうが!」
「入国できなかった奴が、どこで乗船券を買うって? 船の中でなんか売ってねぇぞ」
(……しまった……皇国は船に乗ってからは、乗船券が買えないのか! これじゃただの無駄足じゃねぇか!)
男は苦々しい思いで他の女達を探したが、誰ひとり見つけられなかった。
慌てて船員のひとりを捕まえ、問い質す。
「おいっ、おい! 俺の連れ共は……? どうして乗ってねぇんだっ!」
「連れ? 入国できなかったのは、あんただけだよ」
「なんだと? ば、馬鹿を言うなっ! あいつらの身分証は、俺が持っているんだぞ? 入国なんて……」
「身分証?」
「そうだよっ、ほら……あ……?」
表示が消えていた。
男は青ざめ、船員が覗き込んで身分証を見ていたことに気付いて、半歩後ろに下がる。
「……なんも、表示されてねぇな。吃驚したぜ、他人の身分証を持っていたら……犯罪者として、とっつかまえなきゃいけねぇところだったぜ」
「え?」
「皇国で『隷位以下の者を所有する』のは、重罪だからな。他人の身分証なんか持っていたら大変だったぜ?」
この船の中は『皇国』だ。
皇国の法律が適用される場所である。
(そう、なのか……? じゃあ、女達は……まさか)
「身分証のない隷位や賤棄ってのは、皇国ではどうなるんだ?」
「……『適切に対処』、かな」
ごくり、と男は生唾を飲み込む。
背筋に冷たいものが走った。
(そ、そうか、皇国では、その身分だと処分対象なのか! くっそ、初めからヘストレスティアに行っていれば……! 東の小大陸じゃ高く売れなかったって聞いたから、皇国へ来たってのに!)
船室内をぐるぐると大股で歩きながら、男は改めて皇国はなんて融通が利かないんだと苛ついていた。
(身分証から表示が全部消えたってことは……死んだってことだ。すぐに焼かれちまったんだ……『表に出した』って……そういう意味か)
男は『適切な対処』が、身分証の再発行だとは思ってもいない。
「でも……ディルムトリエンで処分するよりは、運賃の方が、安い、か」
男は無理矢理に自分を納得させ、船室の寝床で横になった。
キュライからどうやって戻ろうか……と考え、次は絶対にヘストレスティアへ売りに行こうと決めた。
◇◆◇
その日、ディルムトリエンのキュライに幾人もの男達が集まって来ていた。
ガウリエスタ、ミューラ、そしてこのディルムトリエンの各地に散っていた彼等は、かの国々での全てを終えて、故郷へと帰国するために高速魔導船を待っていた。
広範囲に散らばっていた彼等がこんなにも早く集まることができたのは、予めこの地に仕込んであった『門の方陣札』があったからだ。
皇国民である彼等はたとえ臣民であっても、周辺国の神官よりも高い魔力量を有している。
その上、質のいい魔石が大量に用意できる皇国では、馬車方陣のような長距離の『方陣札』を個人で使用することが可能な魔力を準備できる。
皇国では各領地の境に仕掛けられている【境域魔法】があるから方陣で移動すれば察知されてしまうが、【境域魔法】どころか『探知の方陣』すら使えない他国であれば、国を跨いでの移動も可能だ。
『門』は魔力さえ潤沢であれば、移動する者達にとってこれほど便利な方陣はあるまい。
アーメルサスとガウリエスタの戦争が始まる少し前から、彼等は情報を集めるためと現地に残っていた皇国民を自国へ帰すために奔走していた。
ミューラで革命という名の反乱が起きた時にも、多くの臣民達を救い出すことができた。
その後、アーメルサスとガウリエスタの戦争が開始されると、すぐに殆どの皇国民がガウリエスタから去り、ウァラクの陸続きの国境が閉ざされた。
アーメルサスに残っている者はまだいたが、あの国にガウリエスタが攻め込めるほどの力はないと見て、勧告だけに留めている。
ガウリエスタがこのまま沈めば、アーメルサスからも引き上げさせた方がいいだろう。
だが、今、急ぐのはディルムトリエンの方だった。
ディルムトリエンは、感情で動く。
最も予測が立たず、厄介な国だ。
「……やっぱりな。どこも『忌む者』ばかりか」
「ああ、何度ぶん殴りたくなったか……」
「俺達の【隠蔽魔法】に、まったく気付かないんだもんなぁ。逆に吃驚するぜ」
魔力の低い者や、耐性の低い者達は、高位の者達が使う【隠蔽魔法】などの精神系の魔法にまったく気付かないことが多い。
彼等は流石に神官までがその有様だとは思ってもいなかったので、驚いているのだ。
普通、皇国では神官というならば、四千を超える魔力を持っているはずだから。
次々と集まってくる皇国の男達。
『門』で皇国まで戻れたらどんなに楽だろう……と思ってはいるが、流石にそこまでの魔力も強力な『方陣札』もない。
海を越えられるほどの魔力や方陣を持っているのは、自分たちの未来の主であるセラフィエムス卿と、セレステの方陣魔法師だけだろう。
その方陣魔法師が度々オルツから、なんと騎馬まで連れて東の小大陸・カシェナ王国との行き来をしていることを彼等は知っていた。
魔力もさることながら、やはり方陣魔法師というのは希有な存在なのだと羨ましく思っていたのである。
「来たぞ」
ひとりがそう言うと、全員が海へと視線を送る。
船が港に着き、降りてきたのは小太りの男がひとりだけ。
もう、イスグロリエスト皇国からこの国に入る者は誰ひとりいない。
「全員かい?」
「ああ。もう『探知の方陣』でも、皇国民の存在は確認できない」
皇国籍を持つ民はその魔力を登録されているので、他国にいたとしても『探知魔法の方陣』を使って探し出すことが可能だ。
しかし、彼等が確かめたガウリエスタ、ミューラ、ディルムトリエンから、もうまったくその反応はなくなっている。
今ここにいる、二十数人の男達のものだけである。
「では、帰ろう」
「ああ、セラフィラントへ」
「やっと、か。長かったぜ」
男達は滅び行くであろう三国に何ひとつ感慨もなく、振り返りもせずに船に乗り込んだ。
そして、魔導高速船は彼等のみを乗せ、海へ、皇国へと帰国したのである。
イスグロリエスト皇国は、三国を完全に見放したのだ。
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