07

 余程呆けた顔をしていたのでしょう、港湾長はくすり、と笑ってわたくしに身分証をよくご覧なさい、と仰有います。


 名前、ヒメリア……姓、エイシェルス


 え?

 姓が……ディルムトリエン王家のものでは、ないわ。


「もう少し下も」

 そう促されて見たのは出身地。

『サクセリエル』

 ……どこ?


「サクセリエルはこの国の最も南の領地、カタエレリエラの領主様がお住まいの町よ。姓は……その従者家系のものね」

「わ、わたくし、イスグロリエストの……?」

「ええ、そうよ。あら……ご存じなかったの?」

「身分証がわたくしの手元に戻ったのが、四日前でしたの……船に乗る直前で、船に乗ってからはあまりに航海が楽しくて……見ておりませんでした」


 あらあら、と微笑まれる港湾長のお美しい仕草に、この素敵な方と同じ皇国の臣民なのだ……という喜びが湧き上がってきた。

 従者家系……というのは貴族に仕える家系ということ。

 どうやら少し前までは『下位貴族』といわれる身分があったようだが、今は皇国で『貴族』を名乗っていいのは、十八家門と呼ばれる大貴族の方だけになったのだとか。


 つまり、この姓と出身地はかつて『下位貴族』と呼ばれた母上の家門のもの、ということ。

 どうして?

 子供は父親の姓になるものではないの?


「……わたくしは父に認められておらず、あちらの籍に初めから入っていなかった……?」

 あり得るわ。

『がらくた』なのだし。

 そもそもあの国の女性達が、まともに籍に入れられていたかどうかすら……怪しいわ。

 もしかしたら、女というのは生まれた時から『流民』扱いなのかしら?

 だとしたら、あの国はなんでそこまで……?


「そうかもしれないと思うけれど、だとしたら『家系魔法』は絶対に顕現しないはずだわ。他国の者との間に生まれた子供には、母親が持っていたとしても絶対に出ないの。でも、あなたには【南風魔法】があるわ。それは間違いなく、皇国従者の家系魔法のひとつ。おそらく、あなたの本当の父親は……この皇国のどなたか、だわ」


 ディルムトリエン王家どころか、あの国とは全く関係ない血筋ということ?


 これは……少なからず、衝撃的。

 まさか、まさか母上が……あの男以外の子供を産んでいたなんて……!

 国王は……あの男は、わたくしが自分の子でないと知っていたの?

 いいえ、もし知っていたら母上はその時点で無事では済まなかったでしょうし、わたくしもとっくに殺されていたはずだわ。


 多分、母上ご自身も、わたくしがあの王の子供ではないと知らなかったはず。

 いいえ、知っていた?

 態と、あの男以外の人と子供を作った?

 ……それは無いわ。


 だって逃げ出すはずだったのだから、自分を養わせるために子供を作るなんてあり得ない。

 本当に何も知らなかったから、王も騙されたのかしら。

 そしてわたくしは『がらくた』だったから……一切関心を持たれなかったから、無事だったのかしら。


「……きっと、あなたのお母様はあなたを守るために、態とミューラの方と婚約させたのかもしれないわ」

「どうして、それがわたくしを守ることになるのでしょう?」

「その婚約がなかったら、あなたは既に汚され、その家系魔法も失われていたかもしれない。そして、お母様があなたを遠ざけようとしたのは……あの国から出るあなたの心残りになってしまいたくなかったのかもしれないわ」


 なんて、お優しい……お美しい解釈でしょう。

 母親が子供を守るために悪役になってまで……だなんて。

 だからといって、子供の気持ちを踏みにじったり、愛していることを伝えない理由にはならないと思うけど。


 そしてわたくしの母上はきっと、自分の娘の婚約者のことなど知らなかったでしょう。

 娘がいるということすら、忘れようとしていたとしか思えないもの。

 それに、知っていたら……いつかあの国を出られるわたくしを、心の底から憎んだでしょうから。

 無関心では、いられないほどに激しく。

 でも、それは口には出しません。


 この美しい方には、『母が子を愛する』という慈愛に満ちた物語が……とてもお似合いになるもの。

 それに、今わたくしは喜びに満ち溢れているのだから、そんなことはどうでもいいわ。

 わたくしの身体には、あの国の男の血は流れていない!

 あの魔獣のように禍々しい奴等の血が、全く入っていないことに歓喜しているのですもの!


 そして一番問題だと思っていた国籍は、なんの心配もなくなったわ。

 従者家系の家系魔法を持つ者は、間違いなくこの皇国民であると証明されているから、保証人や身元引受人がなくても皇国国籍になるのですって!


 でも、新たに想定外の問題が出てきてしまった。

 子供って、働かせてもらえるのかしら?

 わたくしの二十五歳の誕生日まで、あと三ヶ月もあるのに……


「そうね……もうご両親がいらっしゃらないというのでしたら、教会に相談に参りましょうか」


 そう仰有った港湾長はわたくしを促して、奥の通路から隣の教会に。

 ……ここって、もう皇国の国内よね?

 わたくし、入国審査していないわ。


「ちゃんとしたでしょう? わたくし、あなたの身分証を拝見致しましたわ」

「……それだけ、ですの?」

「他に何が?」

「だって、入国審査って、身体も全て調べると伺いましたから、全裸になるものと思っておりました」


 港湾長は浅く溜息をついて、わたくしに向き直ります。

「ディルムトリエンの常識はお忘れなさい。やはり、あなたは教会でこの国と、正しい常識というものを教わった方が宜しいわ」


 もしかして、教会って働かせていただけるのかしら?

 ディルムトリエンでは……ああ、いけないわ!

 あんな国と、この皇国を比べるなんて!


 きっと、大丈夫。

 わたくしは、この国で生きていけるわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る