王子

 夜半、『姫』の離宮に潜んでいたふたりが動き出した。

 姫が寝ている部屋の前には護衛もいなければ、同室に侍女もいない。


「誰もいないか?」

「はい……随分手薄ですけど……本当にここに寝ているんでしょうか?」


 ゆっくりと、音を立てないように寝床へと近付く。

 寝息が聞こえ、寝返りを打った時にぱさり、と長い髪が揺らめいた。


「……ん?」

 気付かれたと思った男は、慌てて姫の口を手で覆う。

「姫様、ちょっとだけ、静かにしててください」

「……! んんっ! んーーーっ!」

「静かにっ! 助けに来たんですから!」

「……?」

「ここにいたらヤバいんですよ。今、本物の『王子』の所に連れていきますから」


 偽姫はただ頷き、男達に抱え上げられて館から連れ去られた。

 そして、その姿を物陰から見ていた者達がいた。

 銀色と白の影。


「よろしかったのですか? あの偽物を奴等に渡して」

「構いません。偽物には何ひとつ価値がない。寧ろ邪魔ですから。跡を付けさせていますね?」

「はい」


 銀衣の神官は、なんの感情も見せず冷酷に命令する。

「奴等の拠点を突き止めたら、何も確認の必要はないので決して出られないようにして火を掛けなさい」

「いくつかの拠点のひとつかも知れません」

「構いません。それで反乱分子の動きが、少しの間止まればいいのです」

 一礼すると、白服はその後ろを追うように走っていった。

 残酷な命令の、その残酷さには気付かない振りをして。



 紫の瞳が後ろに広がる闇を見つめる。

「誰も付けて来ていないな?」

「大丈夫です」

 谷間の小さい森の中、道もないような場所を迷わずに進めるのは、彼だけが鑑定技能で判別できる『印』を付けているからだ。

 その後を小柄な男が後ろを気にしつつ、追う。


 暫く行くと木々の葉に覆われるように扉が見え、小さな小屋があった。

 紫の瞳の男は魔力を通して、鍵を開けた。

「『王子』……姫を連れてきましたよ」


『王子』と呼ばれた男が、真っ暗な部屋の中に小さい明かりを灯した。


「……こっちだ」

「俺、念のため周りを見てきます」

「ああ、頼む」

 小柄な男が外へと走る姿を見つめ、扉を閉めた。


 背負われていた男の背中から降ろされた『姫』が、やっとの思いで声を出す。

「……こ、ここは?」

「手荒に真似をしてすまなかった……え?」

「あなたが、王子?」


 王子の赤い瞳が『姫』を見つめ、その表情を歪ませた。


「姫……じゃ、ない?」

「……!」


 ぼうっ!


 炎が上がった。

 湿度の高い森にあるはずの小屋が、勢いよく燃え上がる。

 質の悪い油の臭いが立ちこめ、中にいた三人は……その窓に絶望的に赤々と揺らめく炎を見つけた。


「えっ?」

「火?」

「姫はどうした? どこへやった!」


 王子は女につかみかかり、ここに連れてくるはずだった『姫』の行方を聞き出そうとするが彼女は怯えるばかりで言葉が出ない。


「ぃやぁっ!」

「王子、火がまわっちまう! 外へ……! うあぁっ!」


 女を問い質す王子を無理矢理引きはがし、紫の瞳の男は扉へと手を掛けたが、その腕に炎が走った。

 窓が割れ、その向こうでニヤリと笑う背の低い……さっきまで自分の後ろを走っていた男が勝ち誇ったように叫ぶ。


「わりぃなぁっ! 外へは出せないんだ!」

「おまえ……裏切るのかっ!」

「俺は初めから『こっち』側だよ。第一王子」

「たっ、助けてっ! 助けてぇーーっ!」


 ぼっ!


 叫ぶ『偽姫』の髪に炎が燃え移り、あっという間に火だるまになる。

「ーーーーーーっ!」

 もう、声は聞こえない。


「あんたが死ねば、この国は終わる。よくやったぞ『がらくた』」

「……あぁぁぁぁっ!」


 この時、侍女だった頃に盗み聞いた『密命』を思い出した。

【『がらくた』をマイウリアで殺させろ】

 女は殺されるためにこの国に来た『がらくた』の替わりになってしまったことを……思い出しながら、炎の中で動かなくなった。


 そして王子もまた、紫の瞳の男が焼かれる中で絶望していた。

(また……また、駄目だったのか……! また、俺は、失敗したのか……!)



 その様子を窺っていた銀とふたつの白。

「陛下に報告しろ」

「は」

 白のひとつが闇の中を走り去り、もうひとつの白が炎に撒かれる小屋を笑いながら見ていた男を背後から斬りつけ、その炎にべた。


 銀の男は揺らめく炎を見つめながら、苦々しさと共にほんの少しの安堵を味わっていた。

(まさかディルムトリエンの者が、ここまで入り込んでいるとは……どうあっても南側の開戦は避けられん。だが、第一王子を排除できたのは手間が省けたな)


 炎は小さい森の全てを完全に焼き、三日間燃え続けた。

 その煙は、まるで開戦を知らせる狼煙のようであった。

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