06
暫く待っていると身分証再発行の手続きのために、態々港湾長がいらしてくださった。
……女性の方……だった。
艶やかな銀色の髪を結い上げて、赤茶色の瞳がとても理知的な美しい方……
「それでは、この板の上に両手を置いて、名前と年齢を言ってくださる?」
「は、はい」
見とれてしまって、ぼーっとしていたわ。
声までなんて素敵なのかしら。
「ヒメリア……二十四歳です」
手を置いた金属の板は、ぼうっと仄かに青く光った。
「……よろしいわ。もう少しだけ待っていてくださいね、ヒメリアさん」
「はい……」
港湾長のお姿を目で追いかけてしまう。
あんなにお美しい方、もしかしたら貴族なのかしら?
ぼんやりとしていたわたくしに、港湾長が新しい身分証を渡してくださった。
……随分……大きいわ。
「もう一度魔力を通せば、小さくなりますわ。でもその前に内容をちゃんと読んで、確認しておいてね」
「は、はい。あの……落としてしまった身分証が、どこかに流れ着いたりしてどなたかに拾われてしまうことは?」
そうなったら、もうひとり『ヒメリア』が出て来てしまうわ。
わたくしの心配に、美しさを更に増すように微笑む港湾長は、大丈夫よ、とわたくしの頭を撫でる。
……こんな風に触れてもらえるのは……何年ぶりかしら。乳母が亡くなって以来、だわ。
「再発行が正規の手続きで行われれば、今までの身分証からは文字が消えてしまうの。だから、心配しなくていいのよ」
「そう、なんですか……わたくし、何も知らなくって」
「しょうがないわ、まだ子供なのだから」
……子供?
「わたくし……もう、二十四ですから子供では……」
「そうよ、だから子供じゃない。成人の儀は、二十五歳でしょう?」
この国では、女でも二十五歳が成人なの?
「ディルムトリエンでは……十五歳で成人だったのに……」
わたくしがそう呟いた途端に港湾長は眉をしかめ、お美しいお顔に怒りが見えました。
「あなたのいた国では、成人扱いの十五歳には『婚姻』もなさると……聞いたことがあるのだけれど、本当?」
そう聞かれたので、わたくしは頷いて質問されるがままに答えていく。
五歳になって身分証を受け取ったら、女は全て父親に身分証を取り上げられる。
ディルムトリエンでは女の成人が十五、男が二十。
女は成人すると、必ず男に『与えられる』……つまり、強制的に婚姻させられる。
そして十年間その男に仕え続け、二十五になった時にその男がそのまま女を所有したいと望んだら身分証が父親からその男へと渡る。
もし望まれず突き返されたら、父親に隷属して……生きることになる。
そうなったら大概は『生きる』ことなどできずに、処分されると言われていた。
どこかに売られるか『賤棄』という最下層の身分となって『労働』させられると聞いたこともあったけれど。
だから、女達は必死で男達に気に入られようと、捨てられまいとなんでも言うことを聞くようになるのだ。
それ以外に、生きられる道が選べないから。
「もしや……あなたも?」
「いいえ、わたくしは、マイウリアの方と婚約させられていて、あちらでは男性が成人するまで純潔でなくては婚姻できないからと言われましたので」
そう言ったら、港湾長はほっとしたお顔をなさった。
わたくしの身を案じてくださったのだわ……この国の方々は、なんてお優しいのかしら。
「では、ここから……ミューラへ?」
「いいえ。結婚は拒否されてしまいましたの。それで……追い出された手前、戻りたくなくて……」
そうでしたわ、皇国では『ミューラ』と言うのだったわ。
マイウリアと言っているのは、あの国の王侯貴族派達だけだと聞いたことがあったわ。
「その結婚、あなたが望んだの?」
「いいえっ! 見ず知らずの方なのです! 絶対に……嫌……でした」
「ならば、もうお忘れなさい。そんな悪夢のような国と出来事は!」
忘れて、いいのかしら?
もう、拘らなくっていいの?
「あなたはまだ『子供』なの。あの国の悪習は神々を裏切る行為。今までどうしてあの国から来た女性達が全員身分証を持っていなかったか、やっと解ったわ……聞いても、ちゃんと答えてくださる方がいなかったのも……」
神を裏切る行為。
あの国で当たり前とされていることは、皇国では唾棄されるようなことなのね。
「いままで、十五歳から三十五歳の女性で子供ができた方はいらした?」
「……いいえ……わたくしは、聞いたことがございません……」
子供は女が男に完全に服従した証……と言われている。
だから、ある程度年が経ってからできるもので、子供ができて初めて女はほんの少しだけ認められる。
そして男は『女を完全に飼い慣らすことができた』として、一人前だと讃えられるのだ。
そうなんだわ……母上が、わたくしを身籠もったから逃げられなくなった……とおっしゃったのは、完全にあの王の所有物になったと証明されてしまったからなんだわ。
『王の所有物』につく護衛や監視は、わたくしのような『がらくた』の比ではない。
男達は『所有物』に対してだけは『養わなくてはいけない責任』がある。
子供ができたという『隷属でない服従』に報いなくてはいけない。
わたくしができたから母上は逃げられなかったけれど、わたくしが生まれたから母上はあの王宮で生きていられた……ということなのね。
だから、仕方なくわたくしを生かしておいたのね。
余程、わたくしが苦しげな顔をしていたからでしょうか、港湾長はことさらにお優しい口調で話を続けます。
「子供が授からないのはまだ身体が育っていなくて、神がお許しになっていないから。魔力も安定せず自分自身を支えるのがやっとなのに、別の魔力を持った子を身に宿すことなどできないの」
え?
女はいつでも子供ができるくせに、男に逆らう気持ちが残っているから作れないのだと……何人もの女達が酷い目にあっていたわ……
それ、あの国の男達は知っていたの?
知っていて、ただ従わせるためだけにあのような『暴力』を?
「では……絶対に子供ができないというのに……あんな、あんなこと……」
「ええ。怖ろしいことだわ。身体が未熟な時にそのような行為が行われると、魔力の流れがずたずたになってしまう。子供はできにくくなるし、できたとしてもその子供はもの凄く魔力量が低くて、生き残ることさえ難しいでしょう」
怖ろしかった。
ただ、ただ、恐ろしさだけが、心を支配した。
やっぱり、あの国の女は『人』ではなく、ただの『
いいえ、男も『人』ではなかったのだわ。
「ディルムトリエンは、子供の数がとても少ないのです。きっと……そのせいなのですね」
「そうね。もしかしたら子供が少ない本当の原因を知らず、早くから行為を開始すれば子供が増えると思い込んでいるのかもしれないけれど……無知が、神々に背いたことへの赦しにはならないわ。あなたが犠牲にならなくてよかった」
多分、わたくしはとても青ざめていたのだと思う。
怖くて、そして、一歩間違えていれば、わたくしもそんな男達に蹂躙され……殺されてしまうところだったのだと震えていたから。
「もう、平気ですよ。あなたはちゃんと帰ってこられたのよ……お帰りなさい、ヒメリアさん」
……帰って……?
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