旅立ち

 ヒメリアと共にオルツに降り立ったディルムトリエンの女達は、主の男と港湾施設へと入った。

 売られると解っている彼女達の瞳の色は暗く、絶望と悲しみだけが映り込む。

 入国審査官が、感情のこもらない声で女達を別室へと誘導する。


「まずは、女性をあちらの部屋へ」

「何故だ? あれらは……私の連れだ」

「おや、あなたは『女』と同じ扱いの入国審査をお望みなのですか?」

「……! あ、そ、そうか。いや、すまん。そのような気遣いとは思わず」

(そうだよな、女なんかと同じに扱われては堪らん。流石、皇国は気が利く)


 主の男は、皇国でも女の扱いは自分達と変わらないと思っているようだ。

 態とそう思わされていることなど、この男は気付く由もない。


「女性の審査は……少々時間が掛かります。よろしいですね?」

「ああ、構わん。『隅々まで』見てくれ」

「……では、あなたはこちらへ」


 男は何の疑いも抱かず、別室へと入っていった。

 きっと、港で『値踏み』をするためだ……とさえ思って、どれほどの値が付くだろうかとニヤついていた。


 そして後から乗ってきたあの娘は、一体誰が売りに来ているのだろう……と、同室に待機している男達を見回す。

 痩せてはいたが、金赤の髪は皇国では多い髪色だ。

 きっと高く売れるに違いない。

 どこで手に入れたのか聞き出そう……と。



「港湾長、本日は全部で七人です」

「多いですね……では、ひとりずつ入っていただいて」


 船から降りた女性達が案内された部屋の奥にもうひとつ部屋があり、彼女達はひとりひとりその部屋に呼ばれていった。

 そこに居たのは、オルツ港の港湾長リリエーナ。


「……あ、あの」

「ようこそ、イスグロリエスト皇国へ。入国審査を行いますので、こちらの金属板に手を置いて名前と年齢を仰有って」

「リーエル……二十二歳、です」


 手が置かれた金属板は、身分証の再登録のためのもの。

 それを確認して、リリエーナは彼女にふたつの選択肢を提示する。


「リーエルさん、あなたには選択肢があります。まずひとつ目は、このまま、あの男の元に戻ってディルムトリエンへ帰国する」

「え? き、帰国?」

「帰りたいですか?」

「……」


 リーエルは口を噤むが、泣きそうな細い声でやっと、いいえ、と答えた。


「もうひとつは、このまま身分証を再発行して、皇国の教会にて保護、成人の二十五歳の時に皇国に帰化民として籍を移す」

「こ、皇国に……? 皇国の籍になれるのですかっ!」

「ええ。ただし、この国の常識を学び、法を守っていただくのは勿論ですが、成人したら必ず皇国内で仕事を得て暮らすこと。できそうですか?」


 初めての、まさに希望の光がリーエルの前に降り注いだ。

 彼女は『生きていられるかもしれない』と、頬を紅潮させた。


「あそこに戻らなくていいのなら……なんでもしますっ! なんでも、できますっ!」

 切実な想い。

 その叫びにも似た答えに、リリエーナは彼女達がどのように扱われていたのかと怒りがこみ上げてくるのを感じた。


「ありがとう。あなたが未来を選んでくれて良かったです。奥の部屋にいらして。この国の服に着替えてくださいな」

「あ、あの……入国審査って」

「今終わりましたわよ? 着替えが終わったら、身分証をお届けしますわ」

「は、はいっ!」


 次、そしてその次と、リリエーナはディルムトリエンの女性達に同じように質問し、同じような痛みを感じる。

 だが、生きることを選んでくれた女性達に、リリエーナは胸をなで下ろす。

 恐怖に支配されて、自らを諦める方がいなくて良かった……と。


 オルツ港は諸外国からの大型船が着く、イスグロリエストで最も他国人の出入りが多い港である。

 国内の南側から届く物品や食品などはここより北のリエルトン港まで運ばれるが、リエルトン港には他国からの大型船は入港しない。


 皇国では、他国から食品を入れることなど殆どないし、必要な資源は広大で豊かな国内からこの大陸で一番質のいい物が出回るのだからここに届くことはない。

 他国からオルツ港へ来るのは『人』のみ。


 最近、東の小大陸から女性や子供がやってくることがしばしばあった。

 全員が『隷位』という最下層の階位であり、皇国と国交のある東の小大陸にあるカシェナ王国に売られてきた『身分証のない者達』であった。

 彼女等はディルムトリエンの男が売りに来て、買取を断ったとしても港や町中に置いていってしまうのだ。


 扱いに困ったカシェナ国王から泣きつかれたセラフィラント公が、国と各省院の承認を取り『難民』として受け入れることにしたのである。

 セラフィラントでは彼等のために仕事が用意できるとして、許可が下りたのだ。

 成人している者達は、最近新しく増えてきた『不銹鋼』という金属を使った加工工房や、新たな食品として利用が始まった木の実などの加工工房で雇用され、子供達は教会で保護されている。


 その全てがオルツへとやってくるので、セラフィラント公から『身分証のない女性と子供全員に身分証再登録』が要請されている。

 ただ、担当者が男性では口さえ開けない者が多く、同じ空間に男性がいるだけで怯える者も少なくない。


 そのため、入国管理事務所だけではこの対応ができず、港湾長であるリリエーナ以外適任者がいなかったのだ。

 しかし、リリエーナは自分の手で彼女達を救えるのであれば、と進んでこの仕事を引き受けている。


 本日、最後のひとりがリリエーナの待つ『再登録の部屋』へ入ってきた。

「お待たせしましたわ。あなたで最後ですわね」

「……」

「こちらの金属板に手を置いて名前と年齢を」

「フェムリア、二十……七歳」


 金属板が反応しない。

 リリエーナはフェムリアを見つめ、咎めるのではなく願うように促す。


「年齢が違うみたいですわね。本当のことを」

「三十……です」

「……なぜ、たった三年を誤魔化そうとなさったの?」

「だって、三十過ぎだと、買ってもらえなくなると言われて……」


『買われること』を気にするなんて……と、リリエーナは不快な思いに胸のむかつきを覚えた。

 自分は売られて当たり前だとでも思っているのだろうか、と悲しい気持ちになる。


「そう、でしたの……」

(この方だけ、賤棄、だわ)


 賤棄。

 隷属を強いられ、人ではないと教会さえも認めた『棄てられし者』……

 だが、まだ救える。


 適性年齢という、婚姻が許される年齢を迎えていない彼女はまだ『教会の保護下』にあるから。

 厳密には適性年齢前の者は全て、まだ『神のもの』であり『人と結ぶこと』はできないのだ。

 婚姻であっても、隷属契約であっても。

 だから、いくら契約で結ばれてはいても『逃げ出せる』のである。


 それを識る者は少なく、また、ただ遠方に逃げたとしてもその契約が有効なまま適性年齢を迎えてしまったら『確約』となってしまう。

 その時に隷主と距離が離れていれば『契約違反』で魔法が発動してしまうからその命はなくなるだろうし、近くにいても二度と逃れられず本当の『賤棄』になる。


 今ここで聖魔法での儀式をすることによってのみ、彼女はまだ『人』に戻れる。


「あなたは、このままでは皇国には入国いただけません」

「えっ?」

「あなたの『隷主』は、一緒にここに来たあの男性ですか?」

「……はい」


 隷主となっている者が『同じ土地』にいる今ならば、その儀式が行える。

『隷属契約』を断ち切るためには、そのふたりが同じ土地にいなくてはいけないから。


 ここまでのことは、セラフィラント公から要請はされていない。

 だが、カシェナから来た幾人かは……救えなかった。

 そのことが、リリエーナにとって重く苦しい出来事となっている。

 だから、助けられるならば絶対に助けよう、と彼女は心に誓っていた。


「あなたが、この国の教会で二十年間の奉仕を約束していただけるのであれば、あなたを『解放』できます。ですが、そのためには『名前を捨てて』いただかなくてはいけません」

「なま……え?」

「そうです。名前と今、持っている全てを捨てることができれば、あなたを『隷位』まで戻し、二十年後に移民として皇国の籍を用意できます」


 その儀式で『隷位』に戻せても、一度でも身分証に『賤棄』と記されてしまった者はすぐに『帰化』はできない。

 だが『流民』と同じように、決められた年数教会に奉仕することで『移民無位』としての皇国籍は取れるのである。


「もし……このままだと……わたしは、あの国に戻されるのですか?」

「はい。それだけでなく、今のあなたは……隷主に腕をもがれても、殺されても何ひとつ文句の言えない身分です。誰もあなたを守らないし、あなたに……言葉をかけることさえないでしょう」


 名を捨てることは、今までの全てを否定すること。

 何もかもを投げうち、二度と故郷に戻ることも叶わなくなる。

 魔法も、技能も、積み上げてきた全ての研鑽も棄てなくてはいけない。


「……要りません……名前なんて、要らないっ! 助けて……助けて、くださいっ!」

「解りました。……司祭様、お願いできますか?」


 リリエーナが奥に声を掛けると、青い法衣の女性がフェムリアを導く。


「はい、では、こちらへ」

「女性の、司祭……様?」

 その温かい手に引かれ、奥の出口から中庭へと出たふたりは教会の裏口に入っていった。


(今日は、大丈夫でしたわ……よかった)

 リリエーナはゆっくりと立ち上がり、新たな道を歩き出した彼女達を皇国内へと開かれた門から見送った。



 司祭はフェムリアを聖堂に座らせ、その前に立つ。

「只今より、聖魔法による『絆壊はんかいの儀』を行います」


『絆壊の儀』とは、聖魔法を付与された貴石を使い、司祭の持つ『精神魔法の方陣』と『身体操作の方陣』、そして司祭だけが持つ名付けが許された聖魔法を使って行う儀式。

 個人を特定する魔力の流れを強制的に変え、全ての絆を一度断ち切って再構築する魔法。


「この儀式により、あなたは名前を改め、新たなる神に仕えることになります」

「はい……」

「ごめんなさい、少しだけ、痛いわよ」


 司祭はフェムリアの両方の手のひらを浅く切り、血を滴らせた。


「つっ!」

「その両手のひらでこの貴石を包み込んで、目を閉じなさい」


 緑色の貴石をその両手の傷に当てて、手を合わせる。

 フェムリアは痛みが消えたことに、少し戸惑う。


 そしてふたつの方陣が描かれた石板の上にそのまま手を置き、きつく目を閉じて司祭の歌うような祈りの言葉を聞く。

 心地よいその声に、身体中の魔力が渦を巻いているような感覚を覚える。

 少し、痛い。

 そう感じて肩を強ばらせたが、苦しいというほどではなかった。


「……終わりましたよ」


 司祭の声に、瞼を開く。

 なんだか、今までと見え方が違う……と、彼女は怖くなって司祭を見上げた。


「あ……あたし」

「あなたの名は『フェアネーラ』。聖神二位に仕えなさい」

「フェア、ネーラ」

「手の中の貴石をこちらへ」


 開いた手の中にある貴石は、藍色に輝いていた。


「……血が止まってる」

「この貴石の魔力と聖魔法によって、あなたの身体を巡る魔力の流れを変えました。今までと加護神が変わり、使える魔法が変わりました」

「はい」


 全てが、変わったのだ。

 今までのフェムリアという女は、もういない。

 渡された身分証には、新たな名前と『人』としての階位が示されていた。


「ようこそ、フェアネーラ。これからしばらくの間、この教会で一緒に頑張りましょうね」

「は、い……はいっ!」


 そして、全ての女達は初めに案内された『待合室』に戻ることはなかった。

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