『姫』
マイウリア国境門の小部屋に、卓に突っ伏したまま動かなくなった身体が八つ。
その全てを確認した白の法服を纏う神官は、眉ひとつ動かさずに銀の法服の男に報告する。
「終わりました」
「八人全員か。やれやれ、敵国で出されたものを、鑑定もせずに口に入れるとは……」
「姫はどうしていますか?」
銀色の神官がもうひとりの白服に視線をやり、その白服が困った表情を浮かべているのを見て不機嫌な顔つきになる。
「それが……この『姫』の身分証、どうやら偽物でございます。まったく違う魔力が入っております」
この国で使用している『審査鑑定板』の魔法は、決して高い精度ではない。
魔法としても、使われている石板の材質も皇国のそれには全く及ばないが、持主と身分証作成時に入れられた魔力の違いくらいは判別できる。
「ほぅ、あちらの王も浅はかなことを。自分の身内のひとりくらいは切り捨てなくては、大望など果たせませんでしょうに」
「大望……?」
「強欲なディルムトリエンが、ただ人質としてだけ『姫』を渡すとでも?」
本当の『姫』であったのならば、王からの密命でも受けて王子か王族を殺せとなどと言われていたかもしれない。
失敗して死んだとしても、それを口実にできる。
しかし、偽物ならばもっと簡単だ。
『その偽姫が死んでしまえばいい』のだから。
「我々も随分と舐められたものだ」
この話が蒸し返され、ディルムトリエンがこちらに『使者』を送ってきた時に、まず絵姿を送れと言ったが本人をご覧いただいた方が早い、などと言い、既に旅立った……と強引に送って寄越した。
『婚約者の姫』については名前以外全く知る者がいないのをいいことに、初めから『偽物をマイウリアで死なせる』ためだったのだろう。
銀服は、なぜこんな後始末を自分がせねばならぬのかと、あっさり来訪を了承した国王が恨めしかった。
国王としては人質を取っておきたかったのだろうが、現在の情勢でそれが何の意味もなさないとどうして周りの奴等も反対しなかったのか……
(あの凶王に……逆らえるほどの者は、もう残ってはいない、か)
「偽物と解らないとでも思ったのでしょうか……?」
ぼそりと呟いた白服に、銀服の男は怒りの感情を露わにした視線を向ける。
普段なら白服にこんなお喋りはしないであろうが、格下と思っている国に侮られたような工作をされたことが余程許せないのだろうか。
いつになく饒舌に、自分の考えを口にする。
「おそらく魔毒などで弱らせた娘を『姫』に仕立て、こちらに着いてすぐに死ぬように画策したのですよ」
「で、では、初めから同盟のためでなく、攻め込む口実としての生け贄……ですか」
「海路を使わなかったのは、ディルムトリエンには海軍がないからでしょう。あの国の海は南のドムエスタに握られていますからね」
それでももし海から来たのであれば、ディルムトリエンを煽ったドムエスタが黒幕にいる確率が高いと踏んでいた。
だが、船が使えないというのであれば、南側に仕掛けてくるのは短絡で思慮の浅い自らの実力も自覚していないディルムトリエンだけ。
だとすれば、なんとか押さえ込めるかもしれないが、時期が悪い。
もう、十年前とは国情が違いすぎる。
どちらの国にも以前のような国力はなく、それに付け込むようにガウリエスタは大地の穢れていない北側に攻め込んできている。
ディルムトリエンは、革命擬きに失敗した南側を今なら手に入れられると思ったのかもしれない。
だが、どんなに考えを巡らせても、本当の思惑など見えてこない。
この国の一部が欲しいのか、全てが欲しいのか、それとも土地や民ではなく何か別の目的で入り込んでいるのか……
まったく読めないディルムトリエンに対し、苦々しい気持ちが抑えられないのか語気に苛立ちが混ざる。
「では、街道沿いに伏兵を置いて、姫の死を確認次第攻め込むと?」
「侍女が死んでしまっては、報告するものもいませんからどうなっても……」
〈許してっ! 違うのですっ、わたしは、わたしは身分証を取り上げられてしまって……〉
部屋の前まで来た時に、女の沈痛な叫び声が聞こえた。
部屋に入ると『処分』をするはずの白服に縋る、醜い女の姿があった。
「何がありましたか?」
「ああ、この『姫』が……」
「わたしは、わたしは騙すつもりなどございませんでしたっ! ただ、身分証を……とられてしまって……! 替わりにそれを提げているようにと……」
『姫』の身分証を取り出した銀服は、その名前を見つめた。
名前に『ヒメリア』と文字が刻まれているが……違和感があった。
(表示されている名前が……本名ではない?)
冒険者が使う『通称』のように、名前の表示だけを変えることはできる。
教会か役所でそのように手続きして、本名を隠す者も少なくはない。
『本当の名前』がわかってしまうと、支配系魔法の餌食になりやすいから身分の高い者達はそのようにしていることもある。
イスグロリエスト皇国の民のように魔力が高ければ、支配系魔法にかかることは少ないが、魔力量の乏しいディルムトリエンやマイウリアでは当たり前の防御策である。
しかし、名前は偽れるが、身分証の魔力までは変えられない。
「これは……」
(確かに姫の名前ですが、魔力が本人と違う……取られた? ……! もしかして)
「……この身分証、あなたのものではない、ということなのですね?」
「はい」
『姫』は、祈るように跪き、銀服を見上げる。
一国の姫が、こんな従属するような態度をとることなど到底考えられない。
偽物だと、九割九分確信している……が。
「皆さん、一度隣の部屋へ。この部屋には鍵をかけて、出られないようになさい」
「……!」
青ざめたままの『姫』を部屋に残して、扉が閉められた。
隣室に入るなり、銀服は苛立ちを隠さずに忌々しげに身分証を見つめる。
その姿に白服のひとりが恐る恐る声を掛けた。
「一体、どういうことですか?」
「おそらく、侍従が全て殺されるであろうことは、想定の内だったということです」
「え?」
「名前表示だけを変えて別の者の身分証を持たせ、本物の身分証はまだディルムトリエン王の手元にあるのでしょう」
銀服は少し落ち着きを取り戻し、身分証を卓の上に放り投げた。
身分証は、本来この大きさではない。
本名や親の名前などは、このままでは判らない。
身分証には、特殊な魔法が込められている身分証作成用の金属板が使われる。
これに魔力を通すことで、神々から『恩寵』として獲得している魔法や技能などの全てが記される。
本人が再度魔力を通せば小さくすることができるので、持ち歩く時は首から提げているものなのだ。
そして、本人が魔力を通さねば、大きさを変えることはできない。
小さいままで誰でも見られるのは『名前・年齢・在籍地・職業』くらいのもの。
この国の鑑定板では持主である本人の魔力と一致しなければ、それ以外の情報を読み取ることはできないのだ。
通称を獲得していれば、読み取れる名前は本名ではない。
「そ、それは……どうして」
「死んで死体がなくなれば、身分証の表記が消えます。そうしたら確実に姫が死んだことが、即座に判明する」
「……!」
「彼女は姫じゃないかもしれない……ですが『姫』の可能性もある以上、今殺すわけにはいかなくなりました」
「では、王宮に?」
「いいえ、言ったでしょう? あれは必要がないのですよ、もう。ですから、適当な屋敷にでも閉じ込めておきなさい」
「侍従達と同じようにしては?」
「もし本物なら何らかの打診があった時に『生きて』いなくては都合が悪いかも知れません。殺すことはいつでもできますよ。ですが、本物かどうかは確かめなくては」
それに頷き、白服が『姫』の部屋へと移動する。
銀服の神官は、ぎりっ、と唇を噛み、甘く見られたものだ……と、呟いたが誰の耳にも届いてはいなかった。
「え? 入国……できますの?」
「ええ。暫くは『離宮』にいらしてください。支度が済み次第、お迎えに上がりますから」
「はい……!」
白服の神官からそういわれた偽姫は、取り敢えず生きていられることを喜んだ。
(よ、よかった……解ってもらえたのだわ、わたし、助かるかも……!)
一緒にここに入った者達の安否など、彼女の心と記憶から完全に消えてしまっていた。
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