第450話
◇
195年春
雪解けの時期の高山にしか咲かないと言う幻の花、それを煎じて飲ませればどんな猛毒の気付け薬にもなると骨都侯と検大人は戦士を動員して探させた。まだ寒いというのに、四方八方に戦士らが出かけると十日目にしてついにそれを見付けることが出来た。
耐寒性がある白い花、それも手のひら位の大きさしかない上に、雪が残っている初めにしか咲かないので滅多に見つからないのも頷けた。また気付けにしかならないならば、わざわざ探すことも無いのが幻の花と言われるようになったゆえんだろうか。
那藍がそれを煎じて島介に飲ませてやり、一日中付きっきりで看病を続ける。自分に出来ることなどそれしかないと言わんばかりに。気を失っていても体が弱らないように、定期的に動かしてやったりしたのは、医者として長く過ごしてきたゆえのことだろう。
「……はて、どれだけ寝ていたかな」
ある時ついに島介が声を出した、それに気づいて隣にある椅子に座ると横顔を見詰めながら「もうすぐ君の子が産まれるくらいだよ」と答える。
「そうか。随分と待たせてしまったな、チュウに悪いことをした」
すぐに起き上がろうとはせずに手足が動くかを確かめてみる。前に寝込んだ時よりも体の調子が良いことに気づく。
「なに、こうやって意識を取り戻したんだ、贖罪は追々やったらいい。身体の様子は?」
毛布から手を出して握ったり開いたりしてみる、力はそこまで入らないがしっかりと動いている。足も毛布を跳ね上げる位には動かせた。
「悪くない」
「十日もしたら一人で生活出来るようになるだろう。大事をとって今は寝るんだ、もう一度起きたらその時に皆に報せよう。無理はしてはいけない」
「そうさせて貰う」
変化があったのを直ぐに知らせたい反面で、自身を整える時間を貰えるのはありがたかった。こういうときは医者の言葉に素直に従う方が良い、そう思える位には色々な体験をしてきていた。翌日の遅い朝、パッと目が覚めたので今度は身体を起こす。
「そうやって起き上がれるなら心配はなさそうだ」
「看病に感謝します」
「なに、これが私の生きる道だからね。ぬるま湯だよ、飲めるか?」
渡された素焼きの器に生ぬるい湯が入っている、それを慎重に口に運んだ。一口目は緊張して、二口目はもういつものように意識せずとも充分に。粥と薄く干した果物を湯に晒した何かを口にして終わりにする。
「体が驚かないように徐々にで」
「医者いらずの患者でなにより。チュウは今、まさに出産の最中だよ」
予定日はもう少し先だったらしいけど、陣痛が始まったので緊急でとも言われる。那藍がここに居るのは、出産は女たちの仕事だからと説明された。
「まあ確かに、俺達男が出る幕ではないか」
「こればかりはね」
肩をすくめて苦笑いする、意識が戻り食事が出来るならばあとは時間が解決してくれるだろう。最初に妻に会わせてやりたいと思うのは、きっと誰しもが一緒。暫くで待っていると外から老人がやって来て那藍に話があるとすだれを潜った、すると島介が身体を起こしていることに気づく。直後、ばつが悪そうな表情をしたのを見逃さない。
那藍がどうしたのかとここで喋るようにと言ったが、老人は手招きをして耳打ちする。そして去って行った。那藍が大きく深呼吸をして天井を仰ぐ。
「悪い報せから聞かせて欲しい」
どうせそういうことだろうと、切り出しやすいように島介は真面目な顔で呼びかける。たとえ悪い報せしか無くても、大人というのは些細な良い報せを作り出すものだから。寝台のすぐ傍にまで来るとじっと瞳を覗き込む。
「チュウが出産の後に息を引き取った。最期の言葉は『あなたの人生を全うしてください』だそうだ」
「……そうか。チュウには夫らしいことを何もしてやれなかった」
「そんなことはない、伯龍殿が意識を失っている間、チュウは今が一番希望があると笑っていた! チュウは今が幸せだと語っていたんだ」
共に寝起きしていたことがある那藍もこたえているのが感じられた、無論、夫よりもきついことはないだろうと耐えている。短い間であっても二人で過ごした記憶は愉しいものだった、島介にしても忘れられないものだ。
「そうか。チュウがそう言っていたならば、そうだったんだろうな」
「良い報せもある、子供は無事だ。男の子らしい。暫くは郷の女が皆で面倒を見てくれる」
暫くと言わずに自活できるまで面倒を見るのが習わしでもある。子供は集団社会で育てるものだと言う意識があるからだ。
「チュウの生まれ育ったのはこの北方世界だ、子もそこで育つべきだな」
中原へ連れて行ってもきっと無事に大きくなるとは思えない、不幸になるなどと思う前に命を落としてしまいそうだ。けれどもここならばそんなことはないだろう。
「少し外す、しばらくしたら戻るよ」
那藍が気を利かせて一人にしてくれる。島介は目を閉じてかつてのチュウを思い出し、長いこと唸っていた。戦士が涙してよいのは家族を失った時だけ、その日、部屋には誰も訪れることは無かった。
数日後、みるみる体調を回復した島介を主にして葬儀を執り行った。骨都侯や検大人まで参列する、格式高い葬儀を。やり方など知らなかったが、そんなものにケチをつけるやつなどいなかった。そんなところに大慌てで駆けて来る若者が居た。
「落ち着かんか小僧が!」
骨都侯が鋭く叱責した、相手が族の若者であればみなが己の子だと思い接するだけの度量を持ち合わせているらしい。検大人などうっすらと笑っていた、気持ちがくみ取れたのだろう。
「北西部から難烏桓族が向かって来ています!」
その場の空気が凍り付いた、報復の為に雪解けを待っていたのだろうか、またやって来ることなど始めてだった。大人しく飢えを受け入れていればこんなことは無かったのかもしれない。
「規模は」
「軍勢の煙から五千以上は確実かと」
こちらよりも多いのは間違いない、話し合いにやって来たのではないことははっきりとした。とはいえ軍勢は直ぐにはやって来ることは出来ない、その数が多い程顕著に時間差は現れる。
「骨都侯、戦いの準備をしよう」
「そうだな、検大人また共に戦ってくれるか?」
「無論だ、我等はこの地の民だ。もはやいがみ合う必要もない」
死線を潜り抜け、共に冬を越えたおかげで同族意識が芽生えたようだ。元より食糧の奪い合いをしていただけで、族を滅ぼそうとしていたわけではないので憎しみは持っていなかった。
「俺も行く」
「伯龍殿はまだ全快していない、無理は不要だ」
二人の長が頷くが、島介は首を横に振る。ならば己の意志に従うまでと、それ以上の反対はしない。笛を吹いて回ると戦闘準備をするようにと触れた。侯が場を離れた時に大人に訊ねる。
「検大人、骨都族と共にとなれば大人はどうするつもりで?」
「ふむ、俺の娘をやつの息子に嫁がせるなどで同化をはかる。先が見えれば俺は退いて構わん」
それが族の為になるならば、なんの未練もないと考えを明かした。本来ならばそのような大切なことは外部に漏らすものではないが、相手が何度も命がけで誠実にやってきたものだからこそ。
「そうか。ではこんなところで戦って死んでいる場合ではないな」
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