第37話

「ひとつサシで殴り合いでもしてみるか? 小僧に負ける程俺は眠たくないぞ」


 何かしらの型を身につけているようなら素性が知れる。隠れた武闘家って感じじゃない、負けはしないさ。李項がもしもの時は割り込もうと神経を研ぎ澄ませているのが感じられる。


「おっさんが随分とやる気だな。いいさ相手になってやる、俺は強いぞ?」


 ぐるぐると腕を回して肩を温める。殺すつもりでやるつもりは皆無か、こいつは一体こんなところで何をしてるんだか。


「一対一の戦いは技量の差がモロに出る。伯龍だ、小僧手加減してやるから掛かってこい!」


「仲容だ。俺は今まで引き分けたことはあっても負けたことはない。行くぞおっさん!」


 右拳を真っすぐに突き出して来る、それはもう真っすぐに。やってることに似合わず素直な動きだ。拳を軽く払って右脇を斜め下から押し出してやる。すると態勢を崩してよろめいた。


「見え見えの動きでよく今まで無敗でいられたな。女子供でも相手にしてきたのか?」


「くそっ!」


 腰を落として小さな振りで拳を繰り出す。賊たちも騒ぎながらヤジを飛ばしていた。寸前でかわしながらじっと仲容の目を見続ける。力を持て余しているわけか、認められずに腐ってこんなことをしてるんだろうな。


「動きが雑だ、荒い攻撃で隙だらけだぞ!」


 踏み込みが大きい一撃、腕を抱えて投げ飛ばしてやる。腕を決めて背中から地面に叩きつけてやっても良かったが、放ることで衝撃を緩和してやる。


「ぐぁ! な、なんだこのおっさん!」


「さっさと立ち上がれ! 次だ!」


「ふざけやがって!」


 憤ると立ち上がり、掴みかかろうとしてくる。両手でがっちりと捕えた、その直後に自ら体重を支えるのをやめると仲容が前のめりになる。慌てて足を踏ん張り腰を落とそうとするところ、襟首を前に引かれて転がされてしまう。


「なんだ、地面に這いつくばるのがそんなに好きか?」


「どうなってやがる!」


 すっくと立ち上がると冷静に左拳を牽制で繰り出して来る。それを無視して思い切りカウンターで殴り返してやった。自分の右頬が少し痛いが、あいつの左頬は腫れ上がったぞ。


「痛ってぇ!」


「口だけか仲容とやら。何をすねているのか知らんが、こんなところで他人に迷惑を掛けて満足か?」


 地面に腰を下ろして頬をさすっている仲容の目の前に行くと視線を下げて指摘する。


「こうでもして武将をつらないと雑魚しか出てこないんだよ」


「どういう意味だ」


 目を細めて詰問する。何かの一環と言うか、準備段階の動きと言うわけのようだが。


「俺は大将をひっ捕らえて功績を上げないと、まともな仕事も回して貰えねぇんだよ。あいつは野山を測量して上手い事気にいられたみたいだけどな」


 同僚に先を越されてのことか。考えが未熟だ、才能の程は粗削りだが見込みありか。


「仕官先を探しているのか?」


「そういうわけじゃねぇよ。俺は南郷典農部民の石苞だ」


 ……典農部民? なんだそれは。


「典農……なんだって?」


 賊が俺の言葉に大笑いする、石苞は恥ずかしさなのか怒りなのか顔が少し赤くなる。


「畑の状態を見回る仕事だよ!」


「そ、そうか。それは何石位の職なんだ?」


 石というのは単位だ、二十七キロの穀物が半銭半物で与えられる。右将軍の一万石は年間で二百七十トン分の給与ということになる。


「二十石だよ、悪いか!」


「いや、その、なんだ、食っていけるのか?」


 だって月に食糧二十二キロと半銭じゃ足らんだろう。俺の兵士と同じくらいだが、少なくても衣食住は保証してやってるからな。ちなみに中県の李の次男坊は二百石の俸給がある。これじゃつまらんことをしたくもなるわけだ。


 再度賊が爆笑する。悪気はないんだ、ただそう感じたからな。非正規雇用の若者が所帯を持てないようでは国が潤うことが無い。


「だから仕事を貰う為にこうやって蜀に出張ってんだろうが!」


 ふむ、このあたりは蜀だと認識しているわけか。一つ先へ進んだな。やる気を買ってやりたいが、さて能力のほどはどうだろう?


「お前の腕前が今一つなのは解った。頭の方はどうか試してやる。千石の倉が千あり、半数を輸送するのに十石積みの荷馬車で何台必要になる」


 これは算数だな。唸りながら視線を泳がせるのを見ると、こちらも不得手か。


「んなものは運んでみりゃわかるだろ」


 腕を組んでそっぽを向いてしまった。延べ五万台を運んでみて解った頃には破綻してるだろうに。


「文官では出世できなさそうだな。何なら得意なんだ?」


 にやにやしている賊が多い、二度も三度も笑いを誘ったがこいつらも従っていたんだから何かしら才能があるんだろうが。


「戦争だ、俺が軍を持てば大暴れしてやるよ!」


 今までとは違い目に力が籠っているな。どれ。


「少数で包囲されて、敵は大軍だ。比して兵は強壮だとして、どう窮地を脱する」


「敵の将軍を狙って一点突破だ。包囲している以上は陣容は薄い、司令官さえ獲れば逆転できる」


 即答。それも赫将軍と同じ選択肢を取れるか、次だな。


「では大軍同士が遠征の末接近、国を揺るがす大戦。お前ならどうする」


「共通の敵を作って遠征を終結させる。討つべきは遠くの敵ではなく近くの敵だ」


 うむ! もしかしてもしかするぞこいつは。


「最後だ。右も左も錯綜し、情報が入り乱れている。疑心暗鬼に捕らわれるような状況で、石苞なら」


「自分の信念を信じて迷わずに前に進む! 味方がそれについてくりゃいいだけのことよ!」


 爽やかに大言荘厳を吐いた。ところが嫌な感じは何一つなく、若者特有の向こう見ずな部分が気持ち良い。磨けば間違いなく光るぞ。


「魏に仕えているようだが用いられないそうだな。俺のところへ来るか?」


「将軍にでもしてくれるんなら良いぜ」


 馬鹿にするかのような挑発、だが年季が違う。


「良かろう、今から石苞を牙門将軍にする。男に二言は無いだろうな」


 将軍といっても単独で動かない本陣の守将だ。詐欺と言われたら言い訳も出来ん。


「は? あんた一体何者なんだ?」


 否定も肯定もしない。賊は表情が変わる。賊なのかどうかは解らないが。


「活きの良い若造を拾って帰ろうとしてる最中の右将軍だ。ただし、蜀国のだがな」


 一瞬、ほんの一瞬だけ殺気を放つ。本気を出せばいつでも簡単に命を奪える位の技量差はあるからな。石苞の目が見開かれると冷や汗がにじみ出て来る。


「本気で言ってるのか、さっきそこであっただけだぞ。それを将軍にって」


「俺は産まれや育ちで差別をしない。才能があるようならそれを採り上げ、経験が足らないならば積ませ、道を知らねば導く。石苞が志すならば応援する、だが切り開き歩むのはお前自身だ」


 平等公平などとは言いはしない。それでも未来へ駆けることすらできない奴を、スタートラインに置いてやる位はしてやる。


「俺は石苞、字を仲容。 冀州勃海郡南皮県の住民だ」


「島介、字を伯龍。東海島の出身で蜀の右将軍中侯だ。ついて来い、後ろの奴らも橋を直したら長安へ来るように石から言っておけ。李項、戻るぞ」


「はい、ご領主様」


 どこまで伸びるか楽しみだ、感覚で指揮するようなタイプだな。乱戦になると強みを発揮するぞきっと!



 長安城執務室、北伐が興る前の一時期に戻ったかのように側近の数が増えてきた。賑やかになったなと言うのが印象的だ。呂軍師だけでなく、董軍師にも同席させてまずは石苞を紹介する。


「近所で拾ってきた、中々見どころがありそうだと思ってね」


 おちゃらけて部屋のど真ん中に立たせて、俺はいつもの席に腰を下ろす。流石に上級者が居ると解ってか石苞も大人しい。李項が部屋の隅に控えるのをみて不思議がってる。そりゃそうだろう、偉いと思い込んでいた将軍があんな隅っこで警備をしているなんて普通は思わん。


「石苞殿、島将軍の陣営警護、よろしく頼みますよ」


 丁寧に呂凱が自己紹介した後にお願いする。そんなものは命令しておけば死んでも知らんというのが現在の常だ、驚きっぱなしなのが面白いなあいつは。


「算術が出来ねば軍事でも不利になる、石将軍は私の学府へとお通いなされ」


 董遇に言われ、ぐうの音も出ないのかしぶしぶ頷く。人生の足しになればそれでいいさ。


「今日は他にもやって来るからな。茶でも飲んで待つとしようじゃないか。そう言えば留守中に報告はあったか?」


 平時の執務で急ぎなんて無い、時間は思いのほか緩やかに流れるものだ。


「呉国と魏国で交戦が起こったようですが、魏軍が早々に退いて終結しました」


「どういうことだ」


 電撃的に攻め込んで失敗ではないだろうが。


「魏帝曹丕の親征とのでしたが、呉の最前線を守る徐盛安東将軍の防備を見て、戦わずに引き返したとのこと」


「呉国にそこまで兵力があったのか」


 あれば苦労しないはずだから、計略の類で追い返したんだろうな。結果だけ知っていても経緯はとんと不明だ。


「呉にそこまで国力は御座いませんでしょう。蜀のように士燮あたりから南越勢力の大軍をひいているならば別でしょうが」


 董遇も石苞も話題に全く入り込めずに黙って聞いている。特殊事情が大きい、誰もが協力できるなら戦争は起きないよ。


「派手に防備を見せびらかしてお引き取り願ったってことか。偽兵の類か、呉軍が追撃していないならそういうことなんだろ」


 報告に続きがあり追撃戦が起こっていたなら読みははずれだが、にこやかに「左様で」肯定して呂凱は引き下がった。

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