第4章~過去とつながる1番シアター~
過去から届いた半券
週が明けると、「Cinema Bell」は平和を取り戻した。
月曜日のその日、僕の担当は久しぶりにシアター清掃などが中心のフロア業務に戻っていた。
メンバーは、一岡さんと五反田さんと僕という、なんだか安定の顔ぶれだ。お客さんの入りが少ないこともあって、まったりとした時間が流れていた。これでお金をもらっているのがちょっと申し訳ないくらいだ。
忙しいのは疲れるけど、暇すぎるのも良くないということは、アルバイトの中で学んだことの一つだ。仕事に追われていると時間はすぐに流れていくけど、何もない時間は、いろいろなことを考えてしまう。
藤乃さん、今日は来ないのかな……。
卒業式の後に姿を見かけはしたけど、ちゃんと言葉を交わしたのは、あの公園でのことが最後だった。その別れ際に交わしたやり取りは、今でも鮮明に思い出せる。
『私の心配なんて、鳴瀬くんはしなくていい。そんなことを気にしてる暇があったら、早く残りの七不思議を解いて』
あれは、まさに拒絶の反応だった。
卒業式の準備でシフトが減ったこともあって、最後に会った時からずいぶんと時間が経ってしまった。間隔が開けば開くほど、公園でのことは後悔としてますます重くのしかかってくる。
もし、あれが僕たちの最後になったりしたら――。
もともと、僕たちが顔を合わせることに約束なんて何もなかった。前回は公園でたまたま見かけたけど、藤乃さんが映画を観ることをやめてしまったらそれまでだ。
それはまるで、昔の僕と葵の関係みたいに。
今、僕と藤乃さんをつないでいるのは、この「Cinema Bell」と、そこに伝わるおかしな七不思議だけだった。
1番シアターの扉の前で、僕たちはエンドロールが終わるのを待っていた。作品の客層からか、エンドロールの途中に帰ってしまうお客さんは少なかった。
藤乃さんからもらったメモ紙をウエストポーチから取り出す。そこには、七つの文字の列が書かれている。
永田さんの一件で、その四番目までが解決していた。聞いた話では、永田さんは社員さんから厳重注意を受けただけで済んだみたいだ。前よりも、どこかすっきりした表情でレジに入っているのをこの前の日曜日に見かけていた。やっぱり、永田さんは強い人だと思う。
そして、次の七不思議で五つ目。その舞台は、いま目の前にあった。
『⑤ 過去とつながる1番シアター。』
それが次に僕が探るべき謎だった。
過去って、どれくらい過去なんだろう。それに、つながるってどうやって? 過去につながる扉でも出てくるのかな。
「もうだんだんと後半戦だな」
隣に立つ五反田さんがメモ紙をのぞいていた。
「早かったですね。こういう噂って根も葉もないことばかりだから、もっと苦戦するかと思ってました」
「言えてる」と、そう言った一岡さんはどこか残念そうだ。「結局、今のところ全部タネも仕掛けもあるからね」
僕としては、実際に心霊現象だったと分かる方が困りものだけど。
「だが、それにしてもこの七不思議は――」
シアターから出てくるお客さんに気づいて、五反田さんは口をつぐむ。エンドロールが終わったみたいだ。
話はそこで中断になって、僕たちはシアターの中に入っていく。お客さんの数はそれほど多くなくて、少し落とし物の確認をするだけだ。それに、あとの上映も詰まっていないから、急ぐ必要もなかった。
シアターからお客さんがいなくなると、ゆっくりと一列ずつ座席を確認していく。久しぶりの作業だったけど、感覚はもう身体が覚えていた。パタパタ、と、畳まれた座席を開く作業を繰り返していく。
Fの列の座席を確認し終わった時、すぐ隣の一岡さんからの視線に気づいた。
「鳴瀬くんさ、今なにか悩んでたりする?」
「えっ?」
「ごめん。なんとなく暗そうな顔してたから」
一岡さんのこういう察しの良さには驚かされる。ひょっとしたら、僕が分かりやすいだけかもしれないけど。
「悩みってほどじゃないですけど……。ただ、あと一ヶ月もしないで大学生になるんだなって」
藤乃さんのことは言えないから、別の言葉でごまかした。もちろん、大学が迫っていることを不安に思う気持ちも嘘じゃない。
「確かに、不安にもなるよね。大学って高校までとはまるで違うし」
一岡さんは作業の手を止め、屈めていた背中を伸ばした。
「先輩から一つアドバイスをするなら、最初が肝心! ってとこかな。下手したら、そのまま四年間ボッチってこともありえるし」
あまりにも恐ろしい話に思わずつばを飲む。
それにしても、いやに実感のこもった言葉だった。
「途中で仲良くなることはないんですか?」
「もちろん、本人の努力次第だとは思うけどね。ただ、中高とは規模が桁違いだから。隅っこに独りぼっちでいたって、誰も気づいてくれないし助けてくれないから――って、不安を煽ることばっかり言っちゃいけないね」
「やっぱり、一岡さんは……」
失敗してしまったんですか? 最初の、大事なタイミングで。
僕が口にしなかった問いに気づいたのか、一岡さんは力なく笑った。
「だから言ったじゃん。うちはここしか居場所がないんだって」
「信じられないです、一岡さんがなんて」
一岡さんが大学で馴染めずにいるなんて、普段見せている姿からはとても想像ができない。持ち前の笑顔で、お客さんとでさえ仲良くなってしまうような人なのに。
途端に、大学という場所がますます怖いものに思えてくる。
「一岡さんでさえつまずいちゃったなら、僕なんか上手くやれるはずないです」
「九割の人が上手くやってるんだから平気だよ。九割ってのは、うちの体感だけど……。それに、鳴瀬くんは優しいから、大丈夫に決まってるって」
自分が優しい人間だと言うわけじゃないけど、優しいことと集団で上手くやれることはつながらない。優しいことよりも、器用だったり、どこか鈍感なくらいの方が上手く渡り歩いていけると思う。
「おい、いつまで話しているんだ」
僕たちが手を止めている間に、五反田さんは残りの列も確認を終わらせてくれたみたいだった。
「すみません」と、急いで向かおうとした時、ふと足元になにかが落ちていることに気づく。小さな紙きれだ。
拾い上げると、それは映画の半券だった。
別に、よくあるゴミだ。故意か不注意かは知らないけど、床に落ちていたり、座席に挟まっていたりはよくあることだ。あとでゴミ箱に入れよう。そう思いながら、何気なく眺めてみた。その瞬間、僕の身体は固まっていた。
記されている映画のタイトルが、あまりにも予想外だったから。
その映画を僕は知っていた。いや、きっと国民のほとんどが知っている。
『この惑星の真ん中できみに愛を』――略称、『ほしきみ』
数年前に爆発的ヒットを記録した、ベストセラー小説原作の恋愛映画だ。それは、三年前に僕が葵を誘って、結局二人で観られることのなかった映画でもあった。
なんで、こんなものがここに……。
昔の作品が最近になって再上映されていたのかと一瞬だけ考えた。だけど、半券に記載されていたのは三年前の日付。僕が葵と約束をして、葵がこの劇場に来なくなった二月のものだった。
過去とつながるって、こういう意味なのか?
「鳴瀬?」
僕の様子を怪訝に思った五反田さんが呼びかける。僕は慌てて半券をウエストポーチにしまって、その場はなんでもないふりをした。
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