幽霊劇場の七不思議

天野琴羽

第1章~最初の七不思議~

映画館のお仕事・出勤初日

『ねえ知ってる? 西口にある映画館のうわさ』

『それって、劇場通りにあるあそこ?』

『そうそう。もしかして知ってた?』

『聞いたことあるよ。女の子の幽霊が出るってやつでしょ?』

『あれ、私が知ってるのとちょっと違うかも』

『なになに、どんなやつ?』

『えっとね。聞いた話なんだけど――』



「とまあ、そんな具合に、ここの劇場って結構いわくつきなんだよね」


 一岡さんは、けらけらと笑いながらそんなことを言う。

 よりにもよって、これからこの劇場で働こうとする人に対して話す内容じゃないと思う。


「でも、ただの噂ですよね……?」

「どうだろ。実際、いつからあるかも分からないような、古~い映画館だからねぇ」


 思わせぶりな言葉に、僕は思わずつばを飲んだ。

 その反応に気づいたのか、一岡さんはからかうネタを見つけたかのように、いたずらをたくらむような目になった。その表情が、なんだか猫みたいだと思った。


「あれ、もしかして鳴瀬くんはこういうの嫌い?」

「嫌いっていうか、苦手なんです。昔、家族でお墓参りに行った時、迷子になっちゃって。それがちょうど日暮れ時だったから、それ以来苦手意識ができちゃって」


そこまで説明すると、一岡さんはいたずらな表情を消して、「それは確かに苦手にもなるわー」と同意をするように言ってくれた。

 一岡さんは、通路に転がるポップコーンを、歩きながらひょいと箒で拾った。使っているのは、ちり取りと一体になったタイプのものだ。

 最初に顔を合わせた時、明るい茶色に染まった髪の毛がいかにも大学生らしくて怖かったけど、最初の印象よりマメな人なんだと分かってきた。


「ま、みんな普通に働いてるからそんなに心配しなくて大丈夫だよ。うちはまだ一度も見たことないし」

「は、はい……」


 僕は一岡さんの隣をついていきながら、深くなずいて答えた。

 高校三年生の冬。今日はこの映画館でのアルバイトの初出勤日だった。



 校則でアルバイトが禁じられていたわけではないけど、今までは学業優先で働くなんて頭になかった。だけど、先日早々に推薦で大学からの合格を得た僕は、ついに人生で初めてのアルバイトを始めることを決意したのだった。

 場所は、池袋の西口に伸びる「劇場通り」の一角に建つ「Cinema Bell」という小さな映画館だ。東口の「サンシャイン通り」にあるような華々しい大型劇場とは違って、シアター数や来場者数も多くはないけど、それでも昔から細々と続いている老舗だった。

 今日は平日でお客さんも少ないけど、それでも館内には放送のアナウンスや話し声が響いていて活気がある。通路の壁には新作映画のポスターや、アニメ映画のパネルなんかが設置されて見た目にも賑やかだ。

 内装は老舗というだけあってところどころ古さを感じる箇所はあったけど、それがどこかレトロな趣があって好きだった。まさに、昔ながらの映画館のような雰囲気を漂わせている。


 家の近所にあるこの劇場には、昔は客として何度も足を運んでいた。それが今日からは、晴れてそのスタッフだ。

 初出勤の今日は、社員の男の人から大まかな業務上の規則を聞かされた後、アルバイトの先輩である一岡さんが研修担当となり、劇場内を歩きながら仕事内容を教えてもらっていたのだった。


 僕は箒とメモ帳をそれぞれ片手ずつに持って、ホワイエ(シアター間を結ぶ通路のことだと教えてもらった)を歩いていた。

 ふと、前からお客さんが歩いてくるのが見えて、慌てて背筋を伸ばして「いらっしゃいませ」と口を開こうとした。でも、のどから空気が漏れただけで、上手く声にはならなかった。


「はは、そんなに緊張しなくて大丈夫だって。なにか言ってくるお客さんもいないから」

「す、すいません……」


 バイト自体が初めてだから当然だけど、接客の経験だって初めてだ。お客さんとすれ違うたびに、どうしても身体に力が入ってしまう。


「別に謝らなくていいよ。うちみたいに、お客さんの前でもへらへらしてるよりよっぽどマシだから」


 言いながら、一岡さんは小さく折りたたまれた一枚の紙を胸ポケットから取り出した。確かそれはフロアコードといって、一日の上映スケジュールをまとめたものだったはずだ。


「とりあえず、あと三分で2番シアターの上映が終わるから、そしたら一緒に清掃入ろっか」


 うなずくと、一岡さんは突然「そうだ!」と、なにかを思い出したように慌て出した。


「ごめん、ちょっとやること忘れてて、少しここで待っててくれる?」


 言うや否や、返事も待たずに急いで走り去っていってしまう。当然、僕にはそれを引き留めることはできなかった。

 まさか、バイトの初日から一人放り出されてしまうなんて。


 どうしよう、今ここでお客さんから声なんてかけられたら……。そんなことを考えた瞬間、緊張でどっと汗が湧き上がった。


 ホワイエの真ん中で呆然と立ち尽くしていると、隣から突然「あの……」と声があった。


「は、はい!」


 思わず声が上ずった。声をかけてきたのは、初老の男の人だった。


「お手洗いはどちらに?」

「え――」


 頭の中が一瞬真っ白になる。

 落ちつけ。別に教わってはないけど、何度も客として来ていたんだから、だいたいの構造は頭に入っている。

 劇場は、入場前のロビーと入場後のこのホワイエとに分かれている。ロビーにもトイレは一つあったが、入場後も一つ設置されていたはずだ。

 一直線に伸びるホワイエの、入場口から見て右手の奥。何度かそこのトイレを利用していたことを思い出す。ちょうど、僕たちが立っている場所とは反対側だった。


「お手洗いなら、この突き当りにあり……ございます」


 ぎこちない敬語でどうにか答えると、男の人は「どうも」と、小さく頭を下げてから伝えた方へと去っていく。

 どうにか無事に対応できたことに、ほっと胸をなでおろす。

 だけど、その心臓がバクバクと暴れるように跳ねていることに気づいて、思わず深いため息を漏らしてしまう。


「やっぱり、向いてないかなぁ……」


 ただ場所を訊かれただけでこんなに緊張していたなんて。

 いつもこれだ。人と関わることの苦手意識は、いつまで経っても抜けてはくれない。自分が接客に向いていないことなんて、働く前から分かっていたことだ。

だけど――。


 こんなところで諦められない。


 再び彼女に会うまで、僕はここを辞めるわけにはいかないんだ。

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