第91話 まだやり直せる

「高熱光線によって細胞やウイルスを破壊する緊急焼却装置。この部屋にもあって幸いだったな」

「ワクチン開発の拠点ですからねぇ。失敗作は早々に廃棄しなければ最悪の事態を招きかねませんから、当然配備されてますよ」

「今はその『最悪』一歩手前の状態なんだがな」


 無事にワクチン開発室に辿り着いた虹枝にじえだ灰仁かいじんは、部屋に備え付けられた小型の焼却炉のような装置へゾンビウイルスワクチンのサンプルを放り込んで廃棄した。これで少なくとも、『エンダー』に噛まれない限り新しいゾンビは生まれないだろう。


「今や世界最悪の毒物と化したこのサンプルを廃棄する事は仕方のない事ですが、少し悲しいですねぇ」

「何を辛気臭い顔をしている。お手頃な殺人ウイルスでも欲しかったのか?」

「そういう意味じゃないですよ。一緒になってこのワクチンを開発した皆さんは、もちろん自分が助かりたいという気持ちもあったでしょうが、今を生きる人類を救うために尽力しました。そうして生み出された物が危険物として処分され、彼らの一部はゾンビになってしまうなんて、何とも浮かばれない話だと思いましてね」

「……お前は職員想いの研究者だな。勇人ゆうと達にイカれたマッドサイエンティストだと紹介した事は撤回しなければ」


 しんみりと独白する灰仁へ、虹枝は感心したように頬を緩めた。


「流石は、命乞いをすれば助けてやらない事もないスターゲート職員リストに入っているだけの事はある」

「なんてものを作成してるんですかアナタは」

「その同僚への優しさを実験体となった子供たちへ向けられていたら、剝がされる予定の爪も五枚から二枚になっていただろうに」

「結局二枚は剝がされるんですね!?」

「不満そうだな。これでもサービスしてるんだからな? 同期として共にこのクソ組織に入ったよしみだ」

「ちっとも得した気分にならないのは何故でしょうか」

「まあどれも、私がスターゲートをぶっ壊す時の話だ。今の所はその予定も無いのだし気にするな」

「本当にアナタは、いつ爆発するか分からない時限爆弾のような怖さがありますよね……」


 灰仁はズレた眼鏡を直しながらそう呟く。虹枝は自分の事ながら妥当な評価であると小さく笑みを浮かべ、彼から視線を離す。


「死んでいった職員には、後で哀悼でもしてやれ」

「……はい?」

「お前のさっきの、死んだ職員が浮かばれないという話だ」


 汚染された実験道具を念入りに焼却するレーザーを防護ガラス越しに見下ろしたまま、虹枝は僅かに目を細める。


「私だって、死を惜しんだ人間が一人もいなかった訳じゃない。下部サイト01で共に生き延びよう、共に子供たちを守ろうと誓い合った警備員が死んだ日には、満足に墓を作ってやる余裕もない現状を悔やんださ」

「そう言えば話してましたね。下部サイト01で生き残った職員はアナタだけだと」

「ああ。だが結局、現実は立ち止まる事を許さない。歩みを止めれば喰われるだけだ。私たちに出来るのは、寝る前に黙祷でもする事と、職員の遺した研究を無駄にしない事だ」


 机に置かれたタブレット端末にちらりと視線を向ける虹枝。この端末だけではないが、開発に失敗したゾンビウイルスワクチンの研究データは確かに残っている。


「彼らが命を削った証はここにある。これを有効活用する事を、死んでいった奴らも望んでるはずだ」

「……そうですね。かなり後退しちゃいましたけども、振り出しには戻っていません。失敗は成功の母とも言いますし、ワタシ達は諦めませんよ!」

「ただまあ、次は開発中のワクチンを接種しようとする馬鹿が発生しないよう気を付ける事だ。こんな事が二度も起ころうものなら、責任者であるお前には今度こそ文字通りの『責任』を取ってもらう事になる」

「ハハ、それはごもっともです。爪を剥がされないよう頑張ります」


 職員の死を悼む灰仁の暗い雰囲気が晴れた所で、焼却装置から作業の終わりを告げる音が鳴った。

 全てのサンプルを廃棄し終え、虹枝は一仕事終えた後のように肩を回す。


「さて、次は施設内を徘徊しているゾンビを殺して回るか」

「プラズマガン等のエネルギー兵器は全て武器庫にありますけど、取りに行くには危険ですよねぇ。ですがそうなれば、武器も無いのにどうやって戦うんです?」

「武器ならあるさ」


 虹枝は灰仁の問いに答えながら棚の前まで歩いて行く。そこに並んでいるのは、研究や実験で使う様々な薬品だ。それらを掴んで、彼女は薄く微笑んだ。


「可燃性の薬液。腐食性の劇薬。スターゲートには他にも取扱注意な危険物がたんまりとあるじゃないか」





     *     *     *





 無事にゾンビたちを蹴散らし、ついでにスプリンクラーが作動してびしょ濡れになったものの、俺と唯奈ゆいなは大部屋に避難していた子供たちのもとへ辿り着いた。

 急にテレポートして来た俺たちを見て子供たちは驚いていたが、すぐにテレパシー少女ことユズハが駆け寄って来た。


「勇人さん、唯奈さん! 大丈夫ですか!?」

「だいじょぶだいじょぶ……ゾンビを燃やしてスプリンクラーが作動しただけだから」

「それより、ここにはみんな揃ってる? 誰か逃げ遅れたりしてない?」


 手渡されたタオルを受け取りながら、唯奈は大部屋の中を見渡す。唯一の出入り口付近には机や棚を並べた即席バリケードが設置されており、部屋はかなり広々としていた。その中で、様々な髪色や瞳の色をした子供たちが集まっている。


「はい。全員無事です。詳しい状況が分からないんですけど、今どうなってるんですか……?」

「大人達の一部がゾンビになって施設の中をうろついてるの。だから私たちは、アカネさんたちが外から戻って来るまでここで籠城する事になる」

「つっても十分くらいで到着するだろうし、そこまで深刻でも無い。だから大丈夫だ」


 十六人の子供たちを見渡し、出来るだけ不安を与えないよう努めながら話す。俺と同い年くらいの子から、中には小学生くらいの子までいるので、あまり暗い空気になっても耐えられないだろう。


「誰か、体調が悪い子とかいないか? ゾンビを見て気持ち悪くなった、とか」

「私は大丈夫ですけど……皆はどう? スズとか苦手じゃなかった?」

「へーきへーき。人間の死体よりはマシだよ」

「わたしも大丈夫ー!」

「俺なんて血ぃ見ながらメシ食えるもんね」

「キモ。それ自慢になってないし」

「さっきゾンビ見て怖がってただろお前ー」


 割と大丈夫そうだった。皆笑いながら、学校の休み時間みたいな雰囲気でやいのやいの談笑していた。

 超能力者を兵器利用しようとしていたスターゲートが彼らに何をしていたのかは知らないが、子供たちが血を見たりしてもパニックにならない事に、今回は救われた。


「ここで隠れてるだけで良いなら、皆でボードゲームでもしない?」

「いいねー、やろうやろう!」

「お兄さん達も一緒にどうですかー?」


 ……いや、流石に慣れすぎてね?


「これくらい緩い方がちょうどいいのかもね」

「ま、まあそうだな」


 非常事態でも普段通りの気持ちを保てているのは良い事だ。うん。


 虹枝さんと灰仁博士は無事にワクチンを廃棄できただろうか。双笑ふたえは無事にあおい黒音くおんと合流できただろうか。

 心配は残るが、今は皆を信じるしかない。それまで俺たちは子供たちの相手をして、事態の収束を待つとしよう。

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